平成14年12月(2002−12)
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「世のため、人のため」
経 彦 さ ま 伝
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こんな逸話(エピソード)があります。
冬の早朝、あいさつにうかがった当番の内儀が、机にもたれて眠っている経彦を目撃しています。窓から吹き込んだ雪が机の上に積もり、経彦の首筋のあたりに白くかかっていたといいます。門を閉ざした病人たちのことを思って、寝る間もおしんで著述に励んでいるのでした。
しかし、そばで世話をする秀子は困りました。
深夜になっても経彦の部屋の明かりが消えないため、気兼ねして休むことができないでいます。今夜でもう三日目でした。お茶を運ぶと、
「秀子さん、私のことはいいですから、早く休んでください」
と、経彦は恐縮するのですが、
「はい、そうですか」
と言えるわけもありません。
さらに二日がたちました。
お茶を入れようとして、秀子は経彦の部屋の明かりが消えているのに気がつきました。時刻は、ちょうど十二時を過ぎたところでした。
翌日も翌々日も、十二時になったら明かりが消えます。
(ハハーン、十二時で休まれることになさったんだな)
と承知して、秀子もそれに合わせて休むようにしました。
さらに、それから二日後のことです。いつものように経彦の部屋の明かりが消えるのを見届けてから横になった秀子は、何かが気になって、ひょいと起き、経彦の部屋を見ると明かりがついていました。
それで秀子はすべてを悟りました。
経彦は秀子を気づかい、十二時でいったん寝たふりをしていたのでした。
親戚の諌言(忠告の言葉)
経彦は、鬼になっていました。
国学の鬼でした。
生活のすべてをつぎ込んで、没頭しました。
親戚の人々が心配して寄り集まってきました。
「学問もいいが、かすみを食べては生きていけまい。いい加減にしたらどうだ」
と一人が言えば、別の一人は、
「学問はしょせん、机の上のお遊び。いかに時間を費やしたところで、骨折り損だ」
と、苦々しい顔で忠告しました。
要するに、病人の治療をすれば儲かって佐野家は栄えるのに、もったいないことだ、と言っているのです。このことは親戚だけでなく、だれもが思ったことでしょう。
経彦はニコニコ笑いながら受け流して、
「あなたらは、自ら学者という人でもあられるが、准南子を忘れられたのですか?」
と言って、その所信(自らが考え信じていること)をすらすらと勢いよく話しました。
少し難しいかもしれませんが、文語体で記しておきましょう。字面を一字一句リズムを楽しみながら追っていただければ、このときの経彦の姿が目に浮かんでくるでしょう。そしてまた、経彦の言わんとする意味もおのずと理解できるに違いありません。「『善く泳ぐ者は溺れ、善く乗る者は落つ、各々その好む所を以て却って禍をなす。この故に、事を好む者、未だ誅せられざるはあらず。利を争う者、未だ嘗て誅せざるはあらず』と言えり。
我家(経彦宅)貧なれども、公等(あなた方)の言を容れて先公(父君)の遺訓にそむき俗業をなし、汚れたる財を以て家を富ます事があろうか。 『大厦なりて燕雀相賀す』で、小鳥が巣を作る都合のよき家を作りて何とする。公等は財を殖やし家を広めよというが果たして当家を思い、経彦を思わば、敢えて言うことなかれ。
史記の『貨殖伝』には、『旱に舟を資し、水に車を資すとて、目前の事より将来の大利を計れ』と教えているではないか。
公等、何のために学問せしや。
和気公は、あの時に我が家や身を思われしや。楠公は一家を顧みられしや。十数代の長き足利氏は、既に初代の尊氏の時に滅び、わずか二代の楠氏は国史の有らむ限り栄えゆくなり。天神は一道鏡のためにも一足利のためにも、和気公、楠公という無二の大忠を作り給り。
今や我が神国や如何。儒仏二教の久しく濁せる上に、西洋教さえ来たり、内に姦あり、外より朽廃のうかがうありて、百の道鏡・百の尊氏あらむとするの時ではなきや。
いやしくも志ある者の安関としておらるる時ならむや。いかに尊皇愛国の士あらむも、未だ我が天子様を世界の大皇帝と仰ぎ奉らしめむと努むる者あるを聞かず。家は個人の巣にして道は天下の命なり。今や、神道と称する諸教あれど、迷信俗士の者にして、中には外道にも劣らむとする者あり。
韓非子にいう、『肉を以て蟻を去る。蟻いよいよ至る』の筆法で、獅子身中の虫なり。真の神道の害物なり。おのれ経彦は、佐野の経彦に非ずして、天神の使なり。公等の厚意は謝するも、我が決心はひるがえされず」
私は、「佐野の経彦」ではなく、天神の使いである――と言いきったのです。
神道再興という父経勝の崇高なる遺訓にそむき、金儲けなどやっている場合か、と逆に神道家としての使命をつきつけたのでした。
これには、親戚連中はひと言もなく、
「まったく経彦の言うとおりだ」
と、目を覚まされる思いでした。
説き伏せに来たのに、反対に説き伏せられ、
「千人の諾々は一士の諤々に如かず(多数の凡人は一人の賢人に及ばない)」
と敬服して帰ったのです。