H22.12.16版
( 石 段 か ら 見 上 げ た 大 鳥 居 )
つきなみさい
月次祭……毎月第一土曜十時〜
祭事・約三十分の後、茶話会でごゆっくりお過ごし下さい。
さきみたま しこん ほんこん
月に一度、大霊殿のご先祖の幸魂(四魂の内の本魂)にご挨拶しましょう。(一月は新年祭・八月
は穂見大祭と同時執行)
人を集める本院ではなく、人が集まる本院に!
〒802-0974 北九州市小倉南区徳力5-10-8
神理教本院 093-962-4538 snr@sinri.or.jp
そう ぎ れい さい
葬儀・霊祭の御案内
はじめに
ぶんれい
人は、神から先祖両親を通して分霊(わけみたま)を戴いて生まれた神の子です。
ほんげん し ひ
人が亡くなることは大変寂しいことですが、『死ぬ』の本言(その言葉の持つ本来の意味)は『風霊
いぬ みもと
・去る』で、故人の霊魂が大元の神様の御許に帰るということです。
葬儀・霊祭は神の御許で安心して過ごせる様に、
せいぜん つみけがれ はらい
@死を受け入れ(自覚)A生前の罪穢れを祓いB死後の在り方(役割)を伝え、故人も遺族も心が安
れいこん あんていきちゃく
らぎ霊魂に安定帰着(鎮まるべき所へ行く)して頂く為の祭です。
うぶすねのかみ
霊祭は上の三つの悟りを深め、五十年祭を期に一層守護の力も高い産須根神になって、子孫を
守る役割が果たせる(喜びでもある)為に続けて行う祭りです。
従って出来ればご家族が毎日そうしたお気持ちで霊前に足を運ばれれば、そのお心が霊祭と合
わさって上の三つの悟りが実現される力となるのです。
かくりよ
故人の霊魂が安心・安定し、幽世での安らぎ・幸いを得てお鎮まり頂くことにより、私たちの一番
の守護神として子孫を守ることが出来るのです。
祖先と私達子孫のあるべき関係を保つ為に、この先も霊祭を執り行なって頂きたくご案内申し
上げます。
ほんきょう
*以下は神理教を“本教”と記します。
みもと きゆう きてん しょうてん
*人が亡くなることを神道では又神の御許に帰るという意味で、帰幽とか帰天・昇天等と言い
ます。
たかまのはら あまつくに あまつみくに ひ わかみや
*神道では一般に神の国を高天原とか天国・天津国等と言いますが、本教では“日の若宮”と
言います。
ほんげん よ よごれ さ
*本言=その言葉が持つ本来の意味。例)善い=汚れ去り
*霊魂安定祭
人が亡くなれば先ず大元の天在諸神に故人の霊魂の安定を願い霊魂安定祭を行います。
まくらべ
故人の枕辺に神酒・お米・塩・水の他、食事時には御飯・おかず・お茶等をお供えします。
(御飯を山盛りにしたり1本箸を立てたりしない。)
この時伺った祭官が、ご遺族・葬儀社と共に通夜祭・葬儀・帰家祭(十日祭)の日時や場所や規模
たまぐし
(玉串の数)等を相談します。
*通夜祭
ひもろぎ
祓いの後神籬に天在諸神の神霊を鎮め奉り(降神)、五十日祭まで故人の霊魂安定への御加護を
祈願します。
霊魂安定祭と同じく、死後の安心・心掛け(霊魂の不滅・故人と遺族の天在諸神への信頼による罪
かくりよ
穢れの解除・日の若宮への帰天)を説き幽世の安らぎと幸せを祈ります。
故人やご遺族の関係者など、お参り頂く方々に都合の良い時間を選びお祭りをします。
普通、夕刻六時〜七時前後に開式します。
*通夜・葬儀から帰った時“塩”を使うのは、日本人の信仰の文化です。
生きる意欲を失うほどの強すぎる悲しみを祓う為です。
つみけがれ
決して“死”自体を罪穢れとするものではありません。
あしもと
作法は、手に持った塩を相手の足下に、左・右・左の順で振り
撒きます。
はつそう かん
*葬儀、告別・発葬(棺)式
祓いの後帰幽詞を奏上し亡くなったことを天在諸神へ報告すると
共に、生前の罪穢れの解除・四魂の安定・帰天を祈願します。
せんれい さきみたま れいじ くしみたま
次に遷霊を行い故人の幸魂を板霊璽に・奇魂を一人霊璽に移します。
こくべつし つつ
次に告別詞を奏上し遺族との別れを偲び筒、四魂がそれぞれの鎮まり処から子孫を見守れるよ
うに祈願します。
はっそう かん し
次に発葬(棺)詞を奏上し遺族との別れを惜しみながらも、現代の習いとして火葬場に出発するこ
とを故人に告げ、骨に宿る荒魂の安らぎを祈願します。
普通、11:00〜13:00前後に開式(以前は夕刻)します。
しのびて はくしゅ
*忍手(拍手)の作法
安定祭から葬儀・火葬場まで御遺体を前に拝礼する時は、忍手(音を立てない拍手)で行い
ます。
1.戴いた玉串の根本を下にして、右手を上部(左手は下部)に下から持ち御自分の頭と近づ
けます。
しで こ
そこで紙垂に心(故人への御礼や哀悼やお別れ)を籠めるのです。
2.頭から離した玉串を右(時計)廻りに根本を霊前に向けて
置き、二礼・四忍手・一礼にて御拝礼ください。
*故人の略歴人生の三大儀礼は、誕生・結婚・葬儀と言わ
れます。
結婚についても年月日や嫁ぐ前の実家の家名や地名等分か
れば所定の用紙に御記入下さい。また職歴や功績等、祝詞に
入れて欲しいことがあれ遠慮無く御伝え下さい。
*帰家祭・毎十(二十・三十・四十)日祭
・五十日(霊殿合祀)祭・納骨祭・永代祭祀祭亡くなられた日から数え、以上のお祭りをします。
れいこんあんてい
故人の霊魂安定の為には、1.子孫が悲しみを薄らがせ2.生きる力を取り戻し3.その幸せを報告する
ことです。
ひ わかみや
これはまさに故人の安心・喜びであり、日の若宮(神の国)に居られるということです。
又子孫が幸せになるには、祈りや祭によって故人の罪穢れを祓い、その霊魂を清々しく保つこと
です。
清らかな霊魂こそが守護力を発揮出来るのです。
これ等の祭事は五十日祭までに最初に挙げた三つを悟り、遺族も故人も安心・安定して頂く為の
祭です。
さきみたま おおみたまや にぎみたま うぶすなじんじゃ くしみたま
五十日祭を終え安らぎ清まった故人の幸 魂は本院の大霊殿・和 魂は産土神社・奇 魂は家の
みたまや あらみたま お く つ き はか
霊 殿・荒 魂は奥津城(墓)に、各々にお鎮まりの御先祖に迎えられるのです。
出来れば毎日霊前で拝礼頂くと共に、この目的の為に大切な祭事ですから毎十日祭を欠かさず
行いましょう。
五十日までは仮設した祭壇(別殿)で祭事を行い、神籬の榊がなるべく枯れぬようにします。(枯れ
た場合榊のみ交換)
・帰家祭と十日祭等の日程変更
毎十日祭の中でも十日と五十日(三十日)は、特に親戚や関係者も参列する場合が多いようです。
近年、距離の離れた近親者が参拝出来るように、帰家祭と十日祭を一緒に行ったり、仕事の都合
などで平日の前の休日に行ったりする家庭が増えています。そうした場合も、当日はご家族だけでも
御霊前にお参り下さい。
・納骨祭(墓所・納骨殿)
骨壺を玉串や供え物と一緒に墓或いは納骨殿に持って行き、御先祖の荒魂に納骨の報告を行い
ます。
ほうむ
納骨は、五十日祭に併せて行うことが多いのですが、火葬の習慣が出来る以前は葬儀の日に葬っ
おこな
ていたことを考えると、早く行っても差支えありません。
但し仮設した祭壇まで家の狭さ等を理由にして取り除いてはいけません。
*納骨は葬儀の直後でも良いのですが、火葬になってから遺族として直ぐに分かれるのはつ
らいという感情からのものですから、五十日を限度と考えるのが至当です。
土に戻すのも同じ理由で近年は五十年祭時が多いようです。
兄弟は一家を成せば墓は別けるべきですが、その時は骨を分けるのではなく、骨を返した
土の一部を貰い受けます。
*納骨時(出来れば火葬場で)喉仏も一緒にします。
神道(日本)には分骨の習慣がありません。喉仏の分骨は昭和中期に火葬が普及した前後
から他宗派が始めた習慣です。
『・永代祭祀祭(本院・又は教会)』
( 本 殿 前 竿 の 補 修 )
いたれいじ おおみたまや
板霊璽を本院大霊殿にお運び頂き、天在諸神と御先祖の幸魂
に合祀の報告を行います。
五十日祭当日か、後日でも結構です。
かくりよ
本院にて、毎日故人の幽世の、安らぎを願いお祭りをいたします。
永代祭祀料(五万円以上)は葬儀の時に頂いています。
*骨と同じで霊璽も個人の霊璽を兄弟で別々に持つことは
出来ません。
兄弟は一家を成せば墓を建てる以前に霊殿を置くべきですが、その時は
父・母等の個人の霊璽を別に作るのではなく、その家の祖先の霊魂を分け
て頂いて新家の霊璽を作るのです。
『○○家先祖之霊璽』とします。
お墓も別になります。(離れた場所が良い)
*諸事情により神理教以外の神社その他で葬儀を行われた場合も、必ず神理教本院へ故人
の氏名・帰幽年月日・生年月日・祀り主との続柄をお知らせ下さい。
本院では霊名台帳に記載してある方の毎年の命日に、霊殿に霊名を張りだし慰霊を行って
おります。
霊祭名簿に確実に記載される事により、毎月の“たより”や葉書による霊祭その他の案内が
出来ますので、必ず御家族より直接御連絡頂きますようお願いします。
ひもろぎ あらみたま くしみたま
五十日祭が済むと神離は昇神し、仮設した祭壇を取り払い、荒魂の鎮まる骨は納骨され、奇魂の鎮
れいでん ごうし
まる霊璽は当家常設の霊殿(みたまや)に合祀します。
霊殿での祀り方など不明な点はお尋ねください。
五十日祭までの日程、時間など早めに打ち合わせられるようおすすめします。(別表に記載願います。)
*十日祭以後の霊祭には、お参りの人数分の玉串用榊(長さ15〜30p位)を御用意下さい。
<むつかしい言葉>
ひもろぎ し で
《神籬》榊の枝に紙垂を付けたもの。
降神をして神様にお鎮まり戴き、五十日祭まで故人を特別に
お守り願う。
れ い じ こじん れいめい きゆう いたふだ
《霊璽》故人の霊名・生年月日・帰幽年月日等を記入した板札。
遷霊をして故人の霊にお鎮まり戴くもの。 仏教でいうところの
位牌ですが、一人霊璽が多く霊殿よりあふれ出るようなことがあ
れば霊璽箱をおすすめします。
霊璽箱は一つに約十体程納まります。
*以後の霊祭(家庭・本院・教会)
・《百日祭》 毎十日祭の要領で行います。
・《年 祭》 (三年以降は数え)
一・三・五・十・(十五)・二十・(二十五)・三十・(三十五)・四十・(四十五)・五十、と五十年祭まで行い
ます。
年祭については『たより』の年祭表などで本院より案内を差し上げます。
みたまがみ
*五十年祭が済むと霊神は産須根神(祖先神)として名実ともに家の守り神となります。
従って霊璽を昇神することもありますし、一人霊璽を霊璽箱に遷すこともあります。
霊名簿は家の歴史ですから、もし昇神しても洩れないようにお確かめ下さい。
五十年祭は霊祭としては一応最後となりますが、功績者等は家庭の御意志でその後も行わ
れることがあります。
*近年五十日祭以降の霊祭を本院で行う家庭が増えています。
本院は霊魂の元である幸魂の鎮まり処ですから問題はありません。
なおらい
直会(祭典終了後の食事会)も本院に施設が有りますし、近くにも食事処が数カ所有ります。
*その他の霊祭(本院・教会)
・穂見祭
八月初旬から十日過ぎ(十三日〜十五日)、ご家庭を巡り穂見祭を行います。
・穂見大祭
八月の第一日曜には、十一時より本院にて穂見大祭を行いますのでご参拝下さい。
・祖霊祭
春秋の春分・秋分の日には、十一時より祖霊祭が行われますのでご参拝下さい。本院にお祀りして
ある皆様の祖先の霊(幸魂)をご一緒にお祭りします。
げつれいさい としごと
・月霊祭、正五九、年例の霊祭(ご家庭)
ご希望により、その家のゆかりある霊神の命日などに日を定め、他の産須根神・霊神と共にお祭り
をします。
月に一度・又は年三度・或いは年一度、ご家庭の神棚の前にご家族が集い、心を一つに明るい家庭
が築かれますようお祈りします。
ワンポイント
[友引]
《友引に葬儀をしない》は民間信仰です。
現代の六曜制自体も新しい物であることを考えると、そうしないといけないと言う根拠は希薄です。
多分他人が嫌がるだろうから止めておこうというのが実情でしょうが、あまり気になさることはありません。
みつき
[三月に掛かる]
《葬儀から五十日祭までが三ヶ月に渡らないようにするのが良い》も民間信仰です。
三月が“身尽き”という縁起の悪い言葉に通じる語呂合わせに惑わされているのだと思われます。
こ い と
( 神 人 墓 地 か ら の 朝 日 )
祭壇が場を取り過ぎる等の理由で、三十日祭に取り払う家も
あるようですが、霊璽は五十日祭まで別殿に鎮めるべきです。
五十日という期間は死者の霊を安定させる為に必要で、死者に
対する儀礼が家の将来にも影響します。
大切な期間に必要な処置である毎十日祭を丁寧に執り行なわれ
るようお勧めします。
もし祭員が参拝出来ない場合も、ご遺族の心を込めた参拝が
大切です。
きたまくら
[北枕]
《生きている者の北枕は縁起が悪い》も民間信仰です。
しゃか なら い きら
死者の頭を釈迦の遺体に倣い北に向けて安置する風習から、忌み嫌われるようになったと考えられます。
本教でも遺体の頭を北に向けて安置する事がありますが、先ず祭壇を@北(南向き)又はA西(東向き)にし、
その後遺体の頭の位置が決まり(祭壇に向かって右)ます。
即ち@の場合は東・Aの場合が北となります。
北枕は毒性の強いフグの種類に付けられたりして、これを忌み嫌う向きもありますが、御教祖は
ずかんそくねつ り かない
頭寒足熱・地軸に沿うの理に適い、むしろ健康に良いと教えています。
南枕は足を上位である北に向けるので返って失礼です。
神理教では日の出る方向である“東”を最良としていて、東枕が良いのだが部屋の向き等から都合が悪け
れば北枕というふうに覚えれば良いと思います。
[茶碗を割る・玄関で遺体を回す]
遺体を送り出す前に玄関で茶碗を割ったりお供えのお箸を
( 境 内 マ キバ ブ ラ シ の 木 )
一本にしたり、又遺体をくるくる回す等行う地域もあるようで
すが、本教では行いません。
是等はもう茶碗も箸も使えないと言い渡し、帰ってくるなという
故人に対する意思表示です。
故人の霊には、そうした姿勢ではなく立派な霊神となって家族、
子孫を守って戴くという気持ちが大切です。
[祓い]
葬儀の場合の罪穢れとは何なのでしょうか。
おこたり いつわり むさぼ いきどおり たかぶ うれい うらみ
御教祖は怠り・詐り・貪り・憤り・漫り・憂い・怨みを七罪として上げていますが、葬儀においての罪穢れとは
この中のやはり『憂い』が中心になることでしょう。
いや
憂い・悲しむことはご遺族として当然の感情ですが、憂いを祓い・悲しみを解き・出来るだけ早く心を癒して
立ち直り・より幸せになった姿を霊前に見せることで、故人を安心させて頂きたいと思います。故人も遺族も
祓いという神事の中で救われ向上する道も開かれるのです。
つみ けが ほんげん か
*罪・穢れの本言=包み隠す・(神からの)気が枯れる(=届かない)。
はら ひ あら あらわ
*祓いの本言=日・顕せ→神から戴いた分霊が本来の姿を顕す。
( 本 院 地 主 社 に 向 か っ て 左 側 、 白 と 黄 色 の 彼 岸 花 )
おわりに
死別の悲しみは生ある者に共通して避けがたい所です。
かしこ しのぶ
古来より人間はその地域の習慣により祖先を敬い、死者を畏む中で故人を偲ぶ形式を造ってきました。
そうした中でも哀悼追慕の姿勢に大差のないのが、我が国における葬儀の原形とも言えるものです。
しかし、仏教その他の伝来により次第に異風が行われる事となり、徳川時代には仏式による葬儀が強制
され、神式が許される特例は神宮の宮司等わずかでした。
明治維新によりそうした無理な制度は廃せられ、信教の自由という法制によって現在の状態となり、昨今
では清廉で賑々しい神葬祭を行う家も増えています。
本教には『帰教』という言葉があります。
それは、仏教化する以前の先祖が信じた元の教えに帰るという意味で、教徒(宗旨が神理教)のほとんど
は『帰教』した先祖の子孫という事になります。
信仰は個人の意思で比較的簡単に変更出来るものの、改宗はその家族一代のことだけでは済ましにくい
点があり、周囲の説得など大変な努力が必要です。
即ち、信仰の自由の中で祖先が改宗・帰教されたのは、必ずそうしなければならない!そうあるべきだ!と
いう深い考えと強い思いがあったはずなのです。
じょうこん ちゅうこん げこん
信仰には上根・中根・下根があるといいます。上根は神様に頼るのに急ぐ必要がなくても信仰する人で、下
根は困ったことがあって神様に救われて信仰に入る人を言います。
皆様方は、御先祖のお陰で上根の信仰が可能です。
どうして御先祖が改宗に至ったのかを振り返ることになれば、ご自分の心を安定させるとともに、平和な家族
生活・社会生活に必ず役立つものと信じます。
このパンフレットをお読みになられたことを機会に、是非御家族の皆々様でこの先も祖先と神様に親しまれ、
お家が益々幸せに繁栄されますようお願い申し上げます。
さきみたま
今後は月次祭等期日を定められるなどして本院にもお参り頂き、大霊殿にお鎮まりになられる御先祖の幸魂
へのご挨拶をお勧め申し上げます。
( 朝 日 の 当 た る 本 院 徳 力 山 )