神理教メルマガ 「一億総平和ボケと癒しの音楽5(添付) 第81号」 平成14年5月20日(月)2回目 |
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幼稚園での話題や事件が、本教にも相通じることもあります。
逆に教えが日常生活に活かされる事にもなるのでしょうね。
<父の日参観の話→ 一億総ボケ>
北九州市の私立幼稚園101園の内、30園が参加してお互いの情報交換をする
メーリングリストがあります。 その中の話題の紹介と、そこでの気づきをお話します。
・ある幼稚園からの投げかけ
最近の幼稚園の行事には、父の参加が増えて有難いことです。
ところで、この時期になるといつもながら考えてしまうのは、参観日のことです。
幼稚園での身近な行事で行くと、母の日・父の日という行事につながってきますが、特に
父の日にか関してはどのように取り組んでいますか? 近年離婚率も上がり、シングルの家庭も少なからず、母の日に関しては,取り立てて問題
はないのですが、父の日ということを前面に出すと何かと問題が起きるのです。 各幼稚園では、参観等についてどのように対応し、配慮されているのでしょうか?
我園では数年前に、母の日・父の日の参観をやめて、一学期の
保育参観として、家族参観にしてしまいました。 また、プレゼントなどについては、どのように配慮していますか? 参考になる意見をお聞かせ下さい。
・そこで巫部からの少しずれた議論
もう一度ゆっくり考えてみたいと思いますが、母の日が○で父の日が×というのは変ですね。
でもそうした風潮が母子家庭の増加と共に、小学校などでもあるようです。 子どもの小学校で数年前、父親委員会を作ろうとした時その手紙を配らない先生がいて、校長も それをどうも知りながら見過ごす、ということがありました。 教頭が、一生懸命に父の名前を使うのはまずいです、と繰り返すのを聞いて奇異な感じを 受けたのを覚えています。 母親委員会があるのに、何故父親委員会がいけないのですか、等の意見が 出ましたが、はぐらかされていたのを思い出しました。 もう一度考え、議論してみたいと思うのは、何故そうするかということを整合性を持った 説明が出来ることと共にどうするかを決めるときが、世の中の流れと共に来ているように思うからです。 外務省に象徴されるように、私たちの社会は最近とみに、”平和ボケ”→”一億総平和ボケ”を感じます。 (この話は、小泉首相の意見箱にも入れました)
何が社会のためによいかという前に、何が社会の中で摩擦を避ける方法かと考えてしまう 自分が恐ろしい、と思うのです。 さて、父とか母とかいう言葉を使わないのが、何も考えなくてよい目先の解決方法なのでしょうが…。 *編集より
(幼稚園へ)
投げかけて止めたのですが、少ししつこかったですね。
皆さんは、どう思われますか。
でも、私は自分自身が本当に平和ボケしてはいないだろうか。
例えば、しんり幼稚園が、今まで平和であっただけに、私を含めて教職員一同が、
”これだけ子どもや親にしてあげれば充分”と自分の力を出し切ることを惜しむ気持ちが、どこかから
忍び込んでいないか、と恐れます。 どうすれば、もっと子どものためになるのか、そのために自分の持ち場の家庭を理解しようと、お父さん
お母さんと交流の場を深めるためにはどうすればよいのか、を両方の立場から考え、出来れば楽しく手を つなぎたいですよね。 (加えて神理教へ)
この話は、皆さんの属する社会にも通じることですし、大教庁にも言えることだと思います。
ホスピタリティーを発揮したいものです。
”参拝に来られた方に、これだけして上げれば充分”などと思うようになりたくないものです。
もっと神さまに近づく心持ちを形成して頂くためにはとか、もっと境内で気持ちよく過ごして頂く
ためには、やはり両方の立場から考え、出来ればお互いの心の垣根を越えて手をつなぎたいものです。 ご意見や本院での体験をお待ちします。
<諸行事 再3>
26日(日)は、近畿ブロックの研修会で、巫部と渡辺が出向します。
お近くの方は、是非研修会にご参加下さい。
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