神理教メルマガ 「神理教メルマガ  第47号 平成14年2月24日(日)2回目

 メルマガを購読していない信者さんから方から、次のような文が来たので、その下にお返事したものを紹介します。
 皆様は、いかがお感じでしょうか。
 
<RTさんより> 
 私はTと申します。Y教会のS先生にお世話になっております。
 S先生の元にお邪魔するようになったのは、もう6年以上前になりますが、勉強心
がなく、いまだに祝詞も少ししか覚えてなくて大変申し訳なく思っております。

 S先生には、何かあると直ぐに電話をします。
 でも何もなければ、2ケ月も3ヶ月も連絡をしません。
 私が教会に通うようになって、S先生に助けていただいた数は、10本の指では足りません。
 また、不思議な出来事も数多く起こりました。そして、神様・ご先祖様からのお知
らせも少しずつ感じる事が出来るようになりました。
 先生のお陰で、私自身の気持ちも変わりました。
 
 しかし、最近色々な悪い出来事があり、私の気持ちが荒んでしまっているのを感じました。
 S先生の優しい気持ちにどっぷり漬かり、先生の温かい手のひらであぐらをかいているような状態でした。
 でも、先生はいつも私の事を見捨てず、気に掛けていて下さいました。
 それを知ったのは、私のご先祖様から「いつもあなたの事を気にかけている」というお言葉からでした。

 私は、今から何事に対しても人に感謝し、「〜してあげる」という傲慢な態度を改め、先生のような気持ちの
人間になりたいと思います。
 一度はご先祖様から「ダイアモンドのような心」と言われたあの頃を思い出し、又、強い信念をもち、努力し
たいと思います。
 私がレールを外れる事のない様、導いていただいた事を感謝いたします。
 今回の出来事ももしかしたら、私に与えられた試練であり、また、反省する意味でもよかったのかもしれません。
 
 初めてなのに、このようなメールを送った事をお詫びいたします。
 でも誰かに私の今の気持ちを知って貰いたいと思ったし、又自分自身にとっても、
メールを送る事によって決心を曲げないと思ったからです。
 どうも有難うございました。
 
*お返事
 お話の内容、良く分かりました。
 良い先生にご指導されて、お幸せですね。
 私たちがお勧めしているのは、神前奉仕です。
 困ったときに助けていただくことを繰り返していると、その時多少の御礼をしても、それで済んだことに
はなりません。
 困ったことが起こるというのは、ご先祖が困ったことを通じて教会に行き手をあわせることを望まれて
いる、と考えることも出来るからです。
 御礼の気持ちは、物やお金だけでなく、神前を拭き清め玄関前の草を抜き掃き手を
あわせる、という風に心を形に表すことが大切です。
 その形が出来ることで、社会奉仕も行えるようになり、他人にも感謝され本当の意
味での一としての幸せを得ることになるのです。
 病気・災難から救われ、感謝の気持ちが湧き起こり、神と祖先に手をあわせる、と
いうのがご先祖の願いなのです。
 これからは、そうしたお気持ちにも心を寄せながら、何もなくとも教会に足を運ばれることをお勧めします。