(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
*老子と莊子2
・老子2
『しんめいP』氏はありのままでいいと言う人は、実は幸福な人や金持ちが多く、その言葉が信用出来ないと思っているそうです。
しかし、老子の生き方が、思想家として仙人のようにただ座っているだけなのを知り、強い説得力を感じたそうです。
・莊子
莊子も道教の始祖の一人とされますが、基本的に『P』氏と同じ無職の哲学者であるからこそ、強い説得力を感じたそうです。
*道とは何か
・老子の道徳経
『P』氏は先ず、老子の唯一の本『道徳経』の『道の道とすべきは、恒の道に非ず。1章』を提示します。
その意味は、道という言葉を口にすると、もう道ではない、ということで、『P』氏には深い言葉に感じられるそうです。更に、
『これを見れども見えず・聴けども聞こえず・縛れども得ず。14章』として見えない・聞こえない・捕らえられない、とします。
そして、『詰を致すべからず。』を解釈して、道はとうてい計り知れないものである(=こんな思想だと決られない)、と説明しています。
従って、道はつかみどころが無い、それ故に、全ての存在を生み出すという計り知れないパワーを持っている、と捉えるそうです。
又、『名あるは、万物の母なり。1章』を解釈して、名前が有るとき、道は万物の母であるとし、万物の母をすごい言葉としています。
私にはこの辺りを理解出来ませんが、『P』氏は感覚として捉えているのでしょう。
釈迦や龍樹は厳密な言葉で語り、老子はぼやっとした言葉で語るとし、道の良さは解釈が自由なところとします。
『P』氏はその読者に、分からなくても深いな、という気分になれば、それでOKと伝えています。
・莊子の道の哲学
莊子は道の哲学を発展させて、この世界は夢かも知れない、と考えたそうです。
莊子の文章で一番有名という、胡蝶(=蝶々)の夢の、全文たった62文字の例え話の紹介がありました。それは、
『昔、莊子が夢で蝶々になって、自分が莊子であることを忘れた。
目が覚めて、自分が莊子であることに気付いた。
そこで思ったのは、莊子が蝶々の夢を見ていたのか、それとも今、蝶々が莊子になった夢を見ているのか、混然となった。
こうした感じで、莊子と蝶々という全く違った物に変化してゆくものなのだ。』
『P』氏はこれを解釈して、
『全ての母である道の前では、現実も夢も同じようなもので、自分と思っている物も世界と思っている物もどんどん変化する。
これが現実だ、と言えるものは存在しなくて、実は僕らは夢から夢を渡り歩いているかも知れない。』というのです。
確かに私も、小学生くらいまでは、おもちゃの兵隊のように、雛人形は人がいなくなると動き出すのでは、と思っていました。
また、中学生くらいまで、自分がいなくなれ(=死ね)ば、世界は無くなるのではと考えていた時代があります。
自分が雛人形と友達になれないかと隠れて動くのを待ったり、目をつぶって周囲の世界の有無を確かめたりしていたものです。
本当のところは証明出来ないでしょうが、短い?経験値からどうもそんな事はない、と教えられた気がしています。
『P』氏が紹介する道の感覚は、人生のヒントとして理解出来ますが、それを全ての人の幸福に応用できるとは思えません。
しかし、想像をたくましくし、その世界に浸ることで安心出来、救われる人もいるのでしょう。
読者の皆様には、是等を比較して、自分の立ち位置を決められればと思います。
・仏教と道教の違い3/3
『P』氏は、
『この世界を幻と観る仏教の空と、この世界を夢と観る道教の道は、似ている。
しかし、道の哲学が凄いのはここからで、空は現実世界のあらゆる価値観を否定するが、道は現実世界での勝ち方を教えてくれる。』
それは老子の道徳経に
『無事を持って天下を取る。57章天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す。43章
海は百谷の王66章』
『P』氏はこれを解釈して、
『小細工をせず、ありのままでいれば、天下を取れる。57章
世界で最も柔らかいものが、世界で最も堅いものを支配する。43章
海は何もせず、柔らかで一番低い処にいて全て受け入れる。
もし海を滅ぼして困るのは、堅くて高い処にいる存在である。
つまり敵がいない、即ち無敵である。66章』としています。
そして、道の哲学はスケールが大きく、『勝つ』に対しても、次元の違う答えを出してくれる、としています。それを次に分かり易く、具体化するとしています。
・道を活かし、現代社会で勝つ方法1
『P』氏は、老子の道徳経を引用して、
『為して而も恃まず。51章』を解釈し、
『偉大なことをするが、それを誇ることがない』としています。また、
『それを、自分でも気付かないままに実行するタオピスト(道の遣い手)が、少数ながら現実の世界に見受けられる。
それは、例えば婚活の現場で、地味で強みも無く普通の人なのに、何か感じが良く、すぐに良い人を見つけて解脱してゆく。
そうしたタオピストは視野が広く、相手に上下のレッテルを貼らず、ありのままを観ているし、自分がありのままである。
婚活の場に来ても、そこはフィクション(虚構)のように感じているから、肩肘を張らず、正にありのままである。 (つづく)
