(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
昨年末に娘から、『しんめいP』という著者の『教養としての東洋哲学・自分とかないから』サンクチュアリ出版、を紹介されました。
注:以下『P』氏とさせて頂きます。
分厚い本でしたが、字数が少なく写真や絵が多く、分かり易かったので、楽しく興味深く短い時間で読めました。
著者は、東京大学卒で面接も得意で一流会社に入ったそうですが、ある時、人と一緒に仕事が出来ないことに気付いたそうです。
でも、それは直ぐでなく、何度も書類の提出が出来ないこと等で徐々に気付き、職業を転々とした後、引き籠りになったのです。
そうした情けない自分に気付いたことが苦しく、虚無感を乗り越える為に哲学書を読み漁ることになりました。
先ず西洋哲学に取りかかったけれど、抽象的すぎて、『P』氏の目的の『生き方』に興味のない哲学者が多いと感じ、取り止めます。
虚無感を哲学するニーチェでさえ、発狂して10年間引き籠もって死んだのを知り、怖くなったとのことでした。
東洋哲学
そこで東洋哲学を数多くの書物から学ぶ中
で、虚無感から脱する為の考え方を、多く学べ、救われたとの事でした。
その中で、50冊前後の読破した東洋哲学の本のノートの自身への活用が話題になり、この本の著作となったようです。
私が買った時には12版を重ね、15万部を越える売り上げとなっていました。
仏教の空と道教の道
仏教は正確には不明ながら紀元前624~544年に活動し、無我を悟りとしたインドの釈迦が開祖です。
また、紀元150頃~250頃の出家の龍樹は、空の理論の大成により、釈迦の無我を簡易に示したと著者『P』氏は述べています。
龍樹は、若い時の素行の悪さや、大乗を取り入れることで釈迦を否定したという説もあり、現代の仏教界での評価は様々のようです。
また、龍樹は現代でいう論破王であり、その簡易な理論をもって、殆どの仏教論者を論破した為に、憎まれることもあったようです。
道教は紀元前571~470年の哲学者で、中華の春秋時代(紀元前770~453年)の道を悟りとした老子が最初の始祖とされます。
また、紀元前369頃~286年頃の思想家で、中華の戦国時代(紀元前453~221年)の莊子も始祖の一人とされます。
ともあれ、約二千五百年前の中華とインドのほぼ同時期に出現した東洋の二人の哲学者の思想が、著者を救ったということです。
仏教の無我と空1
*釈迦の無我
無我と空はインドの仏教の悟りです。
先ず、『P』氏は、釈迦の無我とその活用に
ついて、次のように解説しています。
【例えば食欲は、『自分』のどこから出ているのかをよく自省・観察すれば、どこからでもないことに気付くものです。
それは、自然と湧き上がるもので誰ということは無く、となれば実は『これが自分だ』といえるようなものは一つも無くなります。
何もかも入れ替わり続けて、自分も例外でない、それが無我なのです。
それを突き詰めれば、『自分』こそが人生の苦しみの原因ということになります。
そこで、この本の主題である『自分とかないから』、即ち『無我』となります。
『自分』などはただの妄想で、本当は世界は全て繋がっていることは、観察すれば分かるものです。
それなのに、変わらない『自分』を保とうとすることが苦に繋がっているのです。
『自分』や自分が拘る欲や家族でさえ、全部捨てると、楽になり、気持ち良くなるのです。
王子という地位や家族を捨てた釈迦は、全てを捨てた境地を一番気持ちよいと言い、此を涅槃と呼びました。】
これを読んだ皆様、この実践することにより、苦から救われ楽になれそうでしょうか?
私は、以前ここで紹介した『捨ててこそ』の心境は理解出来ますが、全部捨てるまでは、理解が及びません。
『P』氏は、妻も信用も、一旦は全て失っても、そこからの活路も見いだせる事を説き、そこは良く理解出来ます。
しかし私は、家族も含めて今持っているものを、活用することから、充実した楽しみを得ているからかも知れません。
『P』氏が家族の一部を失ったのは、ご自分
の意思ではありませんが、釈迦は自分の意思で捨てているようです。
本教の教祖は、それは、子孫を増やし大切に育てるという、人の道に反していると伝えています。
無我の境地は人生のヒントとして理解出来ますが、それを全ての人の幸福に応用できるとは思えません。
しかし、救われる人もいるのでしょう。
読者の皆様には、是等を比較して、自分の立ち位置を決められればと思います。
*龍樹の空1
・この世は幻1
龍樹の空は、釈迦の無我への理解が出来ない弟子達が煩瑣な教義を形成するのに対し、空という分かり易い理論なのだそうです。
『P』氏によれば、釈迦の弟子の多くは無我を理解出来ず、教義を煩瑣にしたあげく、衰退を招いたとしています。
それまでの仏教は、出家した人だけの上座部、或いは小乗仏教と名付けられています。
龍樹は、煩瑣で多くの人に理解出来なかったものを、空を以て、誰でも入信しさえすれば救われるという大乗仏教を唱えたようです。
空の考え方は無我の解説とも言えるようですが、『この世界は言葉の魔法が生み出した幻』という捉え方です。
先ず、心・精神的な受け止め方を説明します。
例えば、その人の持つ肩書きが、社長とか芸術家と付くことにより、同じ写真でも見方が変わってきたりするものです。
また、親子や兄弟姉妹は、どちらかが先ではなく同時にその関係が成立するものです。
子がいないと親ではなく、弟妹がいないときは兄姉ではないからです。 (つづく)
