実は簡易な悟りや哲学
(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
昨年の出来事の追加
昨年は気になる出来事が多く、先月号では、例年より4ページ越えの紹介となりました。
その後の年末は14日に本院近くのファストフード店内で、塾帰りの中学3年生男女二人が刺され、女学生は死亡しました。
19日に捕まった犯人は近くに住む43歳の男性で、分かれた家族の子どもが同世代だったということです。
こうした通り魔殺傷事件は神戸市でも18日にもあり、中華国やアメリカ等世界的にも、生活苦や日常不満等を理由に起きています。
又、25日首都バクーからロシア南部に向かアゼルバイジャン航空の旅客機が、カザフスタン西部で墜落しました。
67人の内38人が死亡し、アゼルバイジャンのアリエフ大統領は、ロシアの防空システムによる誤射が原因であったとしています。
29日には、韓国の務安空港で済州空港のボーイング737型機が、胴体着陸炎上し、181人の内179人が死亡しました。
実は簡易な悟りや哲学
・精一杯に生きる
悟りや哲学は、楽に生きる為の知恵であり考え方ですから、難しい筈がありません。
小冊子『神道の悟り』に書き加えさせて頂いたものを、ここにも紹介します。
生きとし生ける動植物は、皆既にその能力内での悟りは備わっていると私は考えます。
皆精一杯に生きて、悩んでいる動植物など居ない、と私は感じるのです。
精一杯に生きる自分を見出すことが悟りなのです。
それが実は気楽な生き方でもある筈なのに、他の事に気を取られて忘れているのです。
・比較能力の本来の使い方
他の事とは、例えば比較です。
人は、比較するという能力を、他の動物より高く持っていると言えます。
比較する能力の本来の使い方は、より質の高い先に行く人を見習い自分を高め、後から来る人をより良い方向に導く為だと思います。
それ以外に使ってはいけない、ということはありません。
しかし、つい自分より地位や能力の高い人を見て卑屈に羨んだり、引きずり下ろそうと思ったりしていないでしょうか。
また、つい自分より低い人を蔑んで優越感に浸ったり、笑いものにしたりする為に使ってはいないでしょうか。
物質文明優先の現代社会の中で、多くの人は本来の悟りの本能・文化を忘れ、自分の本質を振り返らないように感じられます。
私達は、今これに気付き、謙虚な気持ちで自分より高い人を目標にし、低い人に寄り添うことを心がけるべきです。
それこそが、神から与えられた比較能力の本来の使い方である、との気付きが必要です。
どんな動植物でも、比較の能力は低くとも、持てる能力を駆使して、自分と種族の繁栄の為に精一杯に生きているのだと思われます。
その行為は、自分が気付くとか気付かないとかに関わらず、楽に生きる哲学ですし、悟りと言えます。
・祈りや悟りや哲学の発生
人は、世界宗教が発生する以前から、人としての能力の範囲内で、生きる為の哲学・祈りを備え、或いは分かち合っていたと思います。
:注三大(キリスト・イスラム・仏教)とか五大(+ユダヤ・ヒンズー教)宗教や、中華三教(儒教・道教・仏教)等の人造教(⇔自然・天造教)。
それは、世界宗教以前の、祈り・信仰という自然教や、民族言語という叡智の集積が行われつつ自然発生したものです。
宗教やその派閥、民族や政治に囚われず、自分達の宗派だけの天国・極楽や地獄を造らないのが人の本来の在り方だと言えます。
太古のように分かち合い、最善の悟りの為の議論を行うのが良いと思うのです。
・本教の気楽や幸福への道筋
先ずは、小冊子『神道の悟り』一章の日本民族の叡智『幸福への道筋』を辿ってくだされば、と思います。
民族や政治や宗教さえ乗り越えて、誰にでも、安心(=霊魂の安定)や幸福や気楽さに辿り着くことが出来ると思います。
加えて、今の幸福だけでなく、死後も子孫や後輩の繁栄を見守るという、至高の喜び安心を得られる道に繋がるのです。
ここにお気づき下されば、私や本教にとって、喜びに堪えません。
・精一杯に生きる自分を見出す
精一杯に生きる事が悟りであるとしたら、精一杯に生きることに、どうしたらたどり着けるのでしょうか。
私が、自分自身そうさせて頂いていることに気付いたのは、還暦を大きく越えた近年でした。
例えば私は学生時代、不向きな科目を含め、自分は勉強が好きだと勘違いしていました。
数多かった不向きな科目と、ほんの少しの好きかも知れない科目の区別がつかなかったのです。
当然のように徹夜しても効率は上がらず、結果も出なかったものでした。
これをひっくり返すと答えは簡単です。
自分が好きで夢中で楽しく出来、且つ周囲の人にも役立つ、仕事・趣味・奉仕を見つけることなのです。
それは、一つでなくとも良く、先ず今行っているそれらが、本当に楽しいか振り返ることです。
嫌でもすべき仕事・奉仕等と、実は好きだった仕事・奉仕等とを、振り返り、比較区分けして対応することです。
自分の中で比べても、他人と比べる事等せず、自分の力の範囲で夢中で楽しめることは、精一杯生きることであると思います。
気が付けば、好きな分野が、他に大きく秀で抜きん出る事は往々にあるものです。
例えば私は、高校時代古文が苦手で分からない(=分かろうとしない)のが、自他の為に祝詞を書くことで、出来るようになるのです。
懸命になれる仕事や趣味や奉仕を見つけることは、人生の時期によっては、事情もあり難しい事もあるでしょう。
しかし、慌てず怠らず、自分を見つめていると、自分の勘違い含めて必ず見つかるものだと思います。
これが悟りであり、人生哲学だと思います。
色んなことがあっても、動植物のように懸命に生きる自分を見出すことで、楽しく生きているし、悟りを啓いている、と言えます。
