(おのず)(から)(みち) 420 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))58

 (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

第七条人は(いか)るとも(おのれ)は怒ることなかれ4

9)(なげ)かわしい現実

 (たい)()の昔から私たちの国は、(かむ)(ながら)(神の心のまま)でありました。

 国も一家のことも全て神祭りで神への報告を最初に行い、国政と家政を行うのが古くからの習わしでした。

 皇居での大臣の就任式や、家を建てるときの地鎮祭に、その名残があります。

 (:注じん)(ぐう)(:注)(じん)()(かん)の仕事をする人達は、全て神と心を通わせることが出来、神と人との仲を取り持ちました。

 そして、当時の人々に安心を与えるという仕事を全うしていたものでした。

:注神宮=伊勢神宮を始めとする律令期の神社

:注神祇官=大宝律令制定以前からの神事を司る組織、又は明治時代初期の祭祀・宣教・神社を統治する最高国家機関。この場合は前者。

 けれども、仏教が渡来してからは、神から与えられ(:注)生きる意欲の為に必要な欲(ぼん)(のう)(こだわ)りとして、切り捨てようとします。

:注生きる意欲の為に必要な欲=本教では、物欲・食欲・性欲等に加え、(しち)(ざい)((たい)(){()}(どん)(ふん)(まん)(ゆう)

(えん))も、神に与えられた必要な感情と考える。

 ただ、その感情に(とら)われ()まらないよう気を付けることと、その為の(はら)いの(へい)(よう)等を伝える。

 又、此の世(:注)()()として、死後(:注)極楽こそ大切で、それを釈迦や如来が連れて行ってくれると教えます。

:注穢土=古神道を伝える本教では、此の世を穢土と(あきら)めず、神世のように、明るく楽しく充実した世界にしようと考える。

:注極楽=本教では、生前の七罪が祓われれば、心軽く自然と神の世界(=日の若宮)に帰り昇りる、と考える。

 労苦を乗り越え、楽しく過ごす子孫を見守ることが、美食や音楽や美男美女と過ごすより質の高い、死後の至上の喜びと考える。

 又、生前の(はっ)(とく)((けん)(こう)(せい)(じつ)(いん)(とく)(し(せ))(しゃ)(ろう)(えき)(あい)()(こっ)()()(はく))により、翼が羽ばたくように、力強くより上位に進められる、と考える。

 他力(自然=)と自力のお陰である。

 その結果、神への報告祭や、神祖と心を通わせる祈りが減り、人々に安心を与えるという仕事と実質が伴いにくくなりました。

 大変、(なげ)かわしいことです。

10)本教の教信徒の心構え

-1怒りの使い分けと覚悟

 教祖は、こうした事態を(うれ)いて、心の底から、国の為、人の道の為に、この七条を(さと)されたのです。

 ですから、本教の教信徒は、よく教祖のお心を汲み取っておきましょう。

 そして、敬うものを敬い、信じるべきものを信じて家を整え、私事や()(さい)なことに決して怒らないようにしましょう。

 しかし、権力者の横暴や不条理な迷惑や害のある教えや活動には、それを見抜くと共に、奮然とこれを退けるようにしましょう。

 こうした気持ちで、天皇陛下の為、また国家の為には、一身を犠牲にしてでも尽くす覚悟を、普段から持ちましょう。

-2怒りを制御する心得

 ここでは、(わたくし)(ごと)で怒ることは()(しょう)でつまらないことだ、と教えています。

 私事で怒ることは、自分だけでなく、他人の心も傷つけることにもなるのです。

 私事で怒らないためには、信仰を通じて心を磨き、余裕のある心を養うことを教えています。

(筆者付記

 第七條の御教誡には、怒らずに、自分の心も、()いては他人の心をも(なご)め、心身共に健康を保つ()(けつ)があります。

 自分のだけが和み、他人の心は(すさ)んでも平気だという神経では、とうてい神には認められません。

 他人を(すさ)ばさせた心は、必ず直接、或いは他人や私たちの先祖を通じて自分の心を荒びさせるという、神の(ことわり)があるのです。)

-3怒りの感情も神の(たまわ)り物

 怒りというと、全て(みにく)く悪であるように取り扱いがちですが、神が与え下さったものに、無駄なものは一つもありません。

 神が怒りという感情を人に与えられたのは、私事の為でなく、世の為人の為に、過ちを取り除く原動力、と受け取りたいものです。

-4御神文の活用方

 ()(しん)(もん)(わが)(こころ)(すが)(すが)し』の言葉を見直すこの御教誡は素晴らしいものです。

 真実は、難しい教義よりも、こうした見た目にも簡易な(こと)(だま)を繰り返し唱えることから、安心への道が開かれるものです。

 普段から、御神文を(とな)え込むことを、心掛けましょう。

 私事の怒りを感じた時、御神文を唱えることは知っていても、実際にそれが出来るでしょうか。

 怒りにまかせて、自分を見失う事もあるでしょう。

 そうならない為には、普段から御神文を唱え、怒りを感じる前に相手や自分の心の動きを予測する余裕を得ていることです。

 この第七条の3)夫婦円満の()(けつ)で紹介した方は、普通の人が怒りを感じる場面でも、笑える心境に達していたのでしょう。

 神の(ことわり)を踏まえての御神文の唱え込みが、笑いに替える余裕を持てるようになったのだと言えます。

(筆者付記

-5経営者松下幸之助の心得

 故松下幸之助氏が経営の講演会で、

『経済力や心の余裕を持っているべきである』という話をした時、

『経済力も心の余裕も無い私たちはどうすれば良いのですか』という質問があったそうです。

 氏は『先ず、有る積もりにならなければ』という風に応えたそうです。

 経済力も心の余裕も最初から持っている人はいないでしょう。

 しかし、そうした余裕の心境に達する秘訣の一つとして、御神文のような自分を励ます言霊や信仰があるのだと思います。)

11)まとめ

 怒りというものは、自分中心の考え方に()り固まらせようと働くものです。

 怒りを感じることがあっても、少しでも余裕を持って、

「これは、神から与えられた()(れん)かもしれない」と考え直す心のゆとりを、普段からの御神文や信仰によって、(やしな)ってゆきたいものです。

 信仰とは、個人または家族等の心が通う人達と共に行う、本能としての祈りの習慣です。

             (第七條おわり)

令和7年12月号 No.1342  2025-12

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