幽霊・憑き物の正体
(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
本教、子ども講習会
7月28・29の日・月に、数え70才の私が覚えて居る限り初めての、子ども専用の講習会が開かれました。
7〜8人で古事記の絵本や家庭祭式の練習、本院教徒(宗旨が神道・神理教)の佐野氏の奉仕で移動動物園も楽しみました。
夕刻は、親も参加して、バーベキューや花火をしながら、境内を走り回りました。
楽しい思い出として心に残ることでしょう。
朝6時半からの朝拝を教祖殿・大教殿で行い、そこでの話しに穂見大祭での教話と併せ、少し手を入れてお伝えしたいと思います。
大人の憑き物
数年前まで、夏と言えばテレビ等で幽霊や怪異現象の特集があっていたように記憶しますが、近年は大幅に減ったように感じます。
幽霊の 正体見たり 枯れ尾花
という俳句があり、実はススキだったというように、物事を怖わごわ眺めると、実際とはかけ離れたものに見える、という意味です。
私達本教人は、冷静になって是等をどう捉えるのが良いのでしょうか。
・穂見大祭・永代祭祀祭での話し
小見出しの祭でお取り次ぎした、教祖御歌と説明文に手を加えて転載します。
石木らの 憑くにはあらず 取り付きし
その狂物の 移るなりけり (神理百首)
人を怖がらせるのは、岩や木の悪い精霊ではなく、狂物が岩や木に移り宿り、通り掛かった人等に悪さをする、ということです。
その狂物や悪さとは一体何なのでしょう。
神道では、人は別天神・五柱神から分御霊を戴き、体は木火土金水・十柱神から創って戴いたと伝えられます。
従って、人は祖先を通じて親から生まれた神の子孫と考えます。
生前は世の為人の為の働きを楽しみ、死後は神の世界である日の若宮に帰り昇り、子孫の守護神である産須根神となります。
自分の生前に祓いきれてない罪に染まったままの人の霊魂は重いことから、先ず自然に黄泉の国に沈むこととなります。
黄泉の国では、黄泉神から生前の罪の指摘に恥じ入るという苦しみにあいます。
しかし、反省と子孫の祈りと共に祓いを行うことで、罪から解き放たれ、心(=霊魂)が軽くなります。
そこで霊魂は、自然に或いは生前の徳を翼のようにして日の若宮に帰り昇ります。
黄泉は、自分の罪に気付き、その罪を祓う処です。決して火や氷や針山に追い込まれたり、肉団子にされたり等、酷い目に遭う処ではないのです。
この神の理を忘れた霊魂は、他教の地獄観に惑わされたか、迷いの世界に彷徨い、所謂木石水土や鳥虫獣に憑く、となります。
最近は余り聞きませんが、古来狐狸や犬が取り憑いたと言われるのは、そうした動物霊が憑いたのではないのです。
動物に憑いた人の霊魂が助けを求めて、神祖の守りの薄い人に頼ると伝わります。
これが、狂物の正体と言えます。
そして、生前の物・食・睡眠・性・好悪・ギャンブル・嗜好品への依存等の欲を浅ましくも他人の体で果たそうとするからだと考えます。
これが、悪さの正体と言えます。
岩や木や鳥や虫や獣の精が憑くのではなく、元々は快楽への暗い拘りから離れられない人の意志の弱い死霊の仕業なのです。
神祖からの守りの薄い、哀れな霊ですから、後にあげる解放への心掛けと対策により、必要以上に恐れる必要はありません。そこで、この御歌は、その理を知る事で、祭や日頃の心掛けや対策を取ることを伝えるものです。
子どもの憑き物
子どもへの憑き物とは、大人にも共通ながら、虐めが代表的なものです。
虐めも、先ほどの生前の欲の罪と同じく、生前の暗い快楽や拘りから離れられず、守りの薄い人に憑いたとも考えられます。
親は、まさか自分の子どもが人様の子どもを虐めているとは信じられず、虐められる方の親も、気付きにくいもののようです。
憑き物からの解放への心掛けと対策
・心掛け
私は朝拝の終わった後の話で、お化けや幽霊は可哀相な人の魂なので、ただ怖がってもなにもならないよ、と伝えました。
それより、もし自分が虐められていると気付いた時は、すぐに信頼出来る先生や友達や家の人に相談する事を話しました。
自分を虐める人は、そうした狂物に取り憑かれているのだから、自分が相談することは、虐める人を助ける事にもなるのです。
又、自分はふざけている積もりでも、相手が嫌がっているとしたら、それは虐めであることに気付くことが大切です。
もしかしたら狂物に取り憑かれているかもしれないので、どうしたらこの暗い喜びから解放されるのか考えることです。
決して自分だけのせいではないのだから、恥ずかしいからとか、怒られるのが怖いからと、隠してしまうと大変なことになります。
その暗い喜びは放っておくと益々増えることになり、相手だけでなく自分の心も、疵が大きくなってしまうのです。
・対策1
まだ軽い状態で止められそうなら、すぐに止めると共に心から謝って、もうしないことです。
隠せ仰せると思い、隠す為にもっと相手に酷く当たることになれば、警察沙汰になったり世間から冷たく見られることになります。
自分を制御出来ないと感じたら、虐められる人と同じように、虐める人も、早く信頼出来る先生や友達や家の人に相談する事です。
そうした状態に気付くことや、それを相談する事の競争だと思いましょう。
特に虐める方は、虐められる方より気付くことや、相談が遅れると、信頼を損なうことになるのです。
・対策2
大人も子どもも、虐めや欲や依存症も、同じような狂物即ち罪が原因だとすると、それを祓うことが肝要です。
先ずは、大人が自分も子どもも、そうした狂物から憑かれないように心を清々しく保ち、罪に触れないようにしましょう。
それでも、気づかぬうちに嫌な物を見聞きするものですから、常に神社や本教の本院・教会で手を合わせ祓いを心がけましょう。