(おのず)(から)(みち) 403 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

(てん)(ぞう)(きょう)(じん)(ぞう)(きょう)

           (()(きょう)(かい)は、一連の題が終了後再開)

 (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

天造教・人造教とは

 天造教と人造教の分類という発想は、教祖の独創であり、学問的に探求すると、自然教である神道の本質と本教だけになりそうです。

 本教の教書『神理学入門』の第三十五に、

(たん)()(したた)るが(ごと)しと(いえど)も、(つい)には()(てん)(ぞう)(おしえ)

 (はく)(せつ)()むが(ごと)しと(いえど)も、(たちま)()(じん)(ぞう)(おしえ)。』とあります。

 意味は読んで字の如しで、次のようです。

 天が造った教えは、(あわ)(つゆ)(したた)るように質素でもどかしく感じることもあります。

 しかし、天の創った教え・神の教えは、(やが)て全ての人の心に浸透して支え、世界中に敷きわたるでしょう。

 それに引き換え、人が造った教えは、短時間で地上を銀世界に変えるように、(はな)やかで心がときめくように感じることもあります。

 しかし、絶対視される教祖やその少数の弟子達の創った教えは、(やが)て雪が解けるように消滅するのです。

 天が造った教えは、自然の(ことわり)から発するもので、例えば母系や男系社会にも、その時

代の(へん)(けん)はありながら対応して来ました。

 人が造った教えは、(へん)(せん)する時代の価値観等に適応出来ず、(ゆう)(ずう)()()等という言葉とは裏腹に、強引な解釈や(はん)()な教義となります。

主な宗教の概観

 他教から原始的と軽視されてきた、日本以外にも細々と残る自然信仰こそ、本人達は気付かずとも、実は天造の教えと言えます。

 他の宗教・教団の大部分は、人造教に分類されることになることでしょう。

 天が造ったと言うのは、表向きは(ほとん)どの宗教・教団が唱えていると思われますが、少しそれぞれの歴史を辿(たど)れば、違いが分かります。

 世界五大宗教を中心に概観すると、

1.ヒンズー教は、バラモン教が発展したもので、教祖は無く天造教の流れを受け継ぐ自然信仰とも言えます。バラモンはインドのカースト制の頂点である、司祭階級の総称です。

 死後は天界で祖霊達と暮らすのが理想とされるのも神道と同じですが、(りん)()(てん)(せい)を信じるという、矛盾の共生は人造教です。

 牛を食べないのは、農耕に必要な聖なる動物だからだそうです。

 (ちな)みに道教は、教祖はいますがかなり(あい)(まい)で、ヒンズー教と民俗宗教という意味でも似ています。

また儒教は、宗教というより、生きる知恵を教える学問のように感じます。

2.仏教は、ヒンズー教の輪廻転生等の教義を受け継ぎながら、その祭儀重視の教えを批判して、新しく創ったとする人造教です。

 教祖である釈迦は、最高仏(にょ)(らい)を創造し、その弟子達が教義を形成します。

 (じょう)()()((しょう)(じょう))仏教が肉食をしないのは、動物に生まれ変わった先祖を食べない為だそうで、植物には生まれ替わらないそうです。

3.ユダヤ教は、紀元前17世紀に、族長アブラハムとその息子イサクと孫ヤコブによって始まったとされます。

 初めは戦争の神であった、唯一神アドナイ(わが主)・ヤハウェ(エホバ)を奉じます。

4.キリスト教は、ユダヤ教のエホバや旧約聖書を受け継ぎながら、その腐敗と共に教えを批判して、新しく創ったとする人造教です。

5.イスラム教は、キリスト教のエホバや旧約聖書を受け継ぎながら、その腐敗と共に教えを批判して、新しく創ったとする人造教です。

 豚を食べないのは、(けが)れた動物だからで、お酒を飲まないのは、酔って争う姿を見たマホメットがそれを禁じたからだそうです。

天造教と人造教との違い

 以上から人造教は、教祖(ない)()その少数の弟子が天造教の神仏観や天国・地獄や人類発生観を真似しながら否定して創ったものです。

 人造教からすれば、天造教と言っても人が創ったものだから、そんな違いは無いのではと言うかも知れません。

 それは、今まで宗教の分類に興味の無かった人も感じるのではないでしょうか。

 私は時折、宗教の成り立ちは言語と同じ様な永い(へん)(せん)の後に出来たと伝える事がありますが、それが天造教だと思うのです。

 言語は、誰かが文法を作って、そこから組織的に辞書を作るように出来たものではなく、出来た言語の中に文法が見い出せるのです。

 各民族の言語は、少数の天才が創り出せるものではなく、民族の叡智、即ち天造の言葉だと言えます。

 宗教も、一見簡単に創り出せそうな神仏観や天国・地獄や人類発生観は、言語と同じくらい永い試行錯誤の後の、天造の教えなのです。

天造教と無信仰との違い

 1.以下に共通するのは、その教えに帰依又は契約しないと、極楽・天国に行けず地獄に行くと(おど)す点で、これは大きな違いです。

 ここからが本稿の趣旨の本筋です。

 それらの他教と違い、天造教である一般の神道や本教は、入教や契約を是非ともと勧める事はありません。

 清く正しくあれば、他教の天国・極楽には行けないまでも、他教の地獄にも行くことはなく、誰でも神の世界に行けると考えます。

 それは、民族や国や政治信条、宗教を越えて、誰でも真の神の世界、安心の境地に生死を超えて進む事が出来るということです。

 入教するのは、本教の価値を見出した方や、より深めたい方、そして日本本来の霊魂観を活用した、葬儀・霊祭を行いたい方です。

 そこで無信仰を自称する人等の一部は、

「私は悪いことはしないから、信仰をする必要がない」と言いますが、そうでしょうか。

 敬神尊祖の基本を伝える天造教が薄れつつある現在、(そもそ)(ぜん)(あく)とは何かの本質を理解しているのでしょうか。

 (よし)は心の汚れが去った状態、(あし)は心から神の明かりが去った状態という、(こと)(だま)(がく)の基本から、(あく)(ぎょう)をしない本質が見えるのです。

 共同体に必要な道徳形成の為に、何故神の国日の若宮や、(つみ)(はら)()()の国の、アイデアが確立したかが分かっているのでしょうか。

 生死即ち(けん)(ゆう)(いっ)(かん)した、自他の霊魂の管理への意識や理解が、より大きな安心を生む事が出来るのです。歴史的にも本教は、本教への入信を無理に勧めるものではありません。

 本教に伝わる、場面に応じた日本民族の洗練された信仰への心や哲学を、生活へ活用して頂ければと願うのです。

 同時に本教を享受・理解する皆様と共に、教義・神術の維持存続が第一目標となります。

令和6年7月号 No.1325  2024-7

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