御教誡十箇条(略解の詳解)54
(古神道・神理教を“本教”と記します)
第六条己の身の分限を忘るることなかれ3
7)洞穴の苦学生(のつづき)
(前号では山中の洞穴の人影を怪しみ、村に帰り駐在所に届けたところまで。)
警官も時を移さず村方の屈強な者を数名応援として頼み、吉岡勘五郎等を案内として榛名山の奥深くに分け入り、その洞穴に達した。
そしてその洞穴の周囲を警戒し、警官は充分の覚悟を以って、いざというときには取り押さえようと、まず洞窟の中に進んだ。
ところが、そこには案外にも顔色蒼白たる一書生が、しきりに読書の真っ最中であった。
木村巡査も二度びっくりしてその書生について取り調べたところが、原籍は大分県宇佐郡両川村の中野貞作という者であった。
年は二十五才で、土地の小学校を卒業した後、医業を志し地方の医師の元に身を寄せたこともあった。
しかし、いつまでも玄関番では初めの一念を貫けないと、奮然意を決して東京に出て、新聞配達や車夫を為して学費を造った。
そして医書を学び昨年四月に医学前期の試験に臨んだが落第した。
その後、自分も悟るところがあって、五月十六日に東京から山梨県八代郡共和村の富士川沿いにこことは別の洞穴を見つけた。
そこで、これに籠もって一心不乱に勉学を続けていたところ、村人の知るところとなって同情を寄せられることになった。
そこでいよいよ奮発して勉学を為し、昨年九月に上京して後期の試験を受け、幸いに及第した。
爾来、喜び勇んでまた学資を得る為に車夫となり新聞配達をしていくばくかを蓄えた。
そして衣類十枚と鍋一個と三ヶ月を過ごすだけの米と塩を携えて、経費のかからぬこの榛名山中に来た事を申したてた。』との事です。
木村巡査の一行も大いに感服し、なお将来の安全や始末を注意して帰ったとの事です。
この学生のように己の身の分限を顧みての苦学であるのなら、必ず世に名を残す人になることでしょう。
身の分限を忘れてはいけません。
8)まとめ(第六条の概略)
(筆者付記
・自分に与えられた役割を考える
天皇陛下以下全ての人に、持って生まれた分限が、役職・能力・人柄等に応じてあるものです。
しかし国の内外、現代過去を問わず、分限を忘れ、不相応な地位や金品の収奪や、戦争での人知を越えた虐殺を行うことがあります。
分限の由来は、人類の叡智として神から戴いたものです。
従って先ず自分に与えられた天の定めは何かを、時や社会環境の変化に応じた自分の役割に伴い、謙虚に考え続けることが肝要です。
『人間、起きて半畳、寝て一畳』と言われます。
豪華で広大な敷地や屋敷を持って悪いことはありませんが、人の身の分限の基本に立ち返る考え方を忘れてはなりません。
その範囲さえあればそれが身の分限、と考えれば、経済的な破綻にも怯えたりせず、必要以上に力むことがありません。
力まず謙虚に、自分の分限の範囲で生活していれば、自然と神祖に愛され守られて、朝日が
昇るように運勢も開けて行くという教えです。
逆に無理をして分限を忘れると、日暮れに旅立つように、神祖の恵みを知らずに撥ね返して、運勢を傾けてしまうのです。
・分限を越えるものへの見分け
パナソニックの創業者である松下幸之助が、人に必要なものは何かと問われて答えたのが、運の良さだったそうです。
ではどうすれば運が良くなるかと問われて答えたのが、世の為人の為になるように徳を積むことだと答えたそうです。
謙虚に世間の為に尽くし、人の為に親切にしていれば、その人からのお返しは無くとも、必ず他の人からの助けが得られるとのことです。
人類の叡智である宗教一般の教えも、偉人と言われる人の知恵も同質のもので、それが天の定めと言えます。
ここでは二宮金次郎や盆栽や苦学生の話を元に、分限への見切りの例や、自分の分限に励む大切さを説いています。
・悔いの少ない人生の為に
大正時代の流行歌の歌詞に『命短し、恋せよ乙女』があり、昭和30年生まれの私も、音曲と共に耳に付いて離れません。
現代は男女共に、相対的に寿命は伸びているものの『命短し、勇み奮えよ女・男』となればと考えます。
神道では貪りは罪の一つですが、欲と共に貪り自体を悪とする事はありません。
しかし、身の分限を越え、世の為人の為に活かせない金品等を、『屋上屋を架す』のように貯める事への拘りが罪の重しとなるのです。
金品は、有って邪魔になるものではないにしても、家族や周囲の人と幸せを分かち合う、という本来の目的から外れているからです。
自分に戴いた分限を過大に思い違えては失敗するし、過小に思え違えて、出来る自己実現の機会を見逃すのも残念なことです。
神道では一度しか無い人生と考えるから一生懸命に行うので、懸命に行えば、もし失敗しても悔いることはありません。
その失敗によって自分の分限を見直し、又前に進んで行けるのです。
自分と自分を包む環境を良く観察し、神祖や信頼する人にも諮りましょう。
世の為人の為になることは、必ず自分と自分の祖先や子孫の為にもなると信じて行うべきです。
生活の糧の為の仕事も、誠実に行えは世に役立っているのであり、決しておろそかには出来ません。
同時に、人生の目的を自分の信仰を鏡とすることも大切なことです。
またこうした教えが真っ当と思って頂ければ、神理の道を確りと踏むことで賛同者が増えるのは実践の結実でもあります。
仕事、奉仕(ボランティア)と活動を続けながらも、その元となる本教の普及にも、心を向けて下されば幸いです。
その為に何を行って行くのかは、先ずはこうした教えの実践により、安心・幸福の後ろ姿を見せて頂くことだと考えます。
(第六条終り)
