本来の宗教・哲学1とその他
(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
昨年の出来事の追加
先月号での明るいニュースを追加すると、3月22日、野球の世界大会WBCクラシックは、大谷選手等の活躍で日本が優勝を遂げました。
又プロボクシングの井上尚弥選手が、一昨年12月13日バンタム級で四王座統一を成し遂げ、翌1月13日に全てを返上しました。
同時に、スーパーバンタム級に転向し、昨年12月26日に、この階級でもボクシング史上二人目の四王座統一を成し遂げました。
スポーツでは、その他にも多数の方々が活躍し、私達に勇気を与えて下さいました。
世界平和と災害慰霊復興
・祈念詞の前詞(ぜんし)
以前お伝えしましたが、昨年までは日拝時の前詞を以下のように奏上しました。
『斯く宇豆の御前に御祭仕へ奉る某月某日の朝(夕)に、別けて大国主命・少彦名神・教祖神と神号を称し、新型コロナとう疫病をし祓へ給ひ、且は併せ来むとする障り在らむをば鎮め給ひ、此の世を身健やかに心豊けき処と令有給へと祈み奉り筒、称辞畢奉る』
大国主命・少彦名神は、古来病気平癒にご利益のあるとされ、教祖神は巫部家に伝わる
古医道を大成された医者でもあったからです。
今年から世界平和を祈る前詞を奏上していましたが、能登半島地震の死者・行方不明者が1月18日時点で併せて253人となりました。
そうした災害や事故の慰霊と復興の祈願を加え次のように奏上することにしました。
『斯く宇豆の御前に御祭仕へ奉る某月某日の朝(夕)に、別けて大国主命・教祖神と神号を称し、地球の上の荒き魂を和め平かに令成、且つは能登半島地震慰霊・復興を祈み奉り、此の世を心穏へに身健やかに、安けき処と令有給へと祈み奉り筒、称辞畢奉る』
大国主命は、古来政事を司る神でもあり、教祖神は、大元の天在諸神と、平和に為に働く神々との仲取り持ちでもあるからです。
・言霊の力
言葉は只呟くだけの消極的なものではなく、言葉に出せばその力が一層発揮されるという積極的な行動です。
昨今の日本人は本末転倒してその事を忘れ、心ない言葉で他人を死に追いやります。
更に逆に言えば、その位強い力を持つからこそ、心ある良い言葉を使えば、周囲の人に生きる意欲を湧かせるものなのです。
出来れば毎日の拝礼で、お忙しければ週に一度でも、是非こうした言霊の力を戴いて、周囲から世界へと、平和の輪を広げましょう。
本来の宗教・哲学
・忘れられた簡易な教え
人生により正しい指針を提案する宗教や哲学は簡易である筈です。
少数の知識層や支配層や富裕層だけでなく、民族や宗教さえ越えて、全ての人が享受できる、正しい教えが古来存在します。
本来の宗教は、入門や帰依や契約せずとも、清く正しく生きていれば誰でも神恩を享受でき、地獄ではなく天国に行ける筈です。
例えば幸福への道程等の清く正しく生きる方法を伝えるのが、神道本来の役割です。
本教の入門は、それらの内容をより深く学び、教師や教信徒となってそれを周囲に伝え役立ちたい等の場合です。
又、葬儀霊祭を霊魂観に添って行う神式で行いたいとか、教師となって他の祈願を含めて実際に祭官として奉仕したい等の場合です。
本教の教師は、奉仕を喜びと知って行うことから、ご自分の祓いとしての志に加えて、高額な寄付を要求することはありません。
本教によって整理された、幸福への道程等、他教団に見られない簡易な教えは、人の心のどこかに遺っているものなのです。
日本民族延いては人類は、既にそこに達していたと考えますが、今は世界宗教に打ち消されたか、忘れられているようです。
・宗教・哲学の成り立ち
それは、次のように、本教教師でなくとも、誰でも周囲に伝える事が出来る、宗教・哲学の成り立ちと受け止め方です。
1.自然信仰と世界宗教
世界宗教が出来る以前は、世界中の神話が似ているように、人類共通の感覚があったと思われます。
大自然なる神が居られ、男神女神が人の始まりとなる婚姻話しがあり、天国や地獄がある、というようなものです。
神道の天国(=日の若宮)は、酒色を楽しむ所というよりは子孫を見守る喜びを得る所です。
神道の地獄は黄泉といい、反省を促す祓処のようなものですから、反省と祓いが出来ればすぐにでも神の世界へ昇れます。
神道の地獄は、生前なした行いを指摘され、火や氷の世界に入ったような心地がするとい
うことで、実際にそうなるとは考えません。
何万年或いは永遠に閉じ込められるという
アイデアは、一神教や仏教等が入信への脅しの為に流用したのではないかと思います。
2.自然信仰の基本
世界の自然信仰も、その神話の共通性から、大自然を神と敬い、親とその祖先を尊ぶという敬神尊祖だと推測出来ます。
これが、約一万年以上をかけて言語と並行して積み上げて来た日本民族延いては人類の叡智で、宗教・哲学の成り立ちです。
人類が積み上げて来た叡智ですが、それを不可思議に思う考えが、神の意志が働いた、という信仰に繋がったのだと思われます。
これに飽き足らず政治の力学も働いて、人々を偏見や思い込みからの原理運動に引き摺り込むような宗教もどきが発生します。
それらの共通点は皆、信じれば天国に行け、そうでなければ地獄で永遠に苦しむ、というものです。
これが、宗教に対しての見分け方、悟りの一つでもあります。
本来の宗教・哲学を正しく伝える教え
これを三段論法のように伝えると、
1.敬神尊祖が正当な信仰だとすれば、日本神道にはその形が確りと遺っています。
2.教えは、神道一般は若干多様で曖昧ながら、
本教には、理念を霊魂観や言霊学を基に日常に活かせる大系が存在します。
また、それが古くて新しい神道として生々化々と時代に合わせて伝えられています。
人を幸せに導く指針が、メーテルリンクの童話『青い鳥』のように、家族・社会という足下に、敬神尊祖と伴にあるのです。
3.大系を踏まえての、人類・日本民族の心の故郷・原点・生活に活かせる教えは、本教にしか遺されてない、と私は考えています。