(おのず)(から)(みち) 406 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))55

 (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

第七条人は(いか)るとも(おのれ)は怒ることなかれ1

1)(わたくし)ごとで(おこ)らない・その手法

 他人は怒っても、自分もつられて安易に怒ってはなりません。

 教祖神がこの誠の言葉を私達に示されたのは、全て救世安民、即ち世を救い人の心を安らかにする為なのです。

 私事の為には決して怒るべきでない、というのが、この言葉の主とする心です。

(筆者付記

・自分の(あやま)ち・弱さへの気付き

 私達は他人の怒りに誘発されて、つられて自分も怒るという、頭では分かっているつもりでも流されてしまう心の弱さを持っています。

 しかし、つい周囲の環境に流されてしまう人間としての弱さを素直に認めることが出来れば、自分を見つめ直す段階に進めます。そして、

自分の弱さを知ることで、流されにくい粘り強さを身につけられるようになります。

 更に自分の考えによって判断し、確固としつつも柔軟な対応能力を持ち、自分の感情の抑制が出来るのです。

 例えば、割合こそ違え、片方だけが悪い交通事故は(ほとん)ど無い、と言われますから、冷静に自分の過ちも振り返ることです。

 そうなれば、自分と相手の過ちを見比べて判断することで、より良い道へ進めます。また、

 例えば、(やまい)(ほん)(げん)(その言葉の持つ本来の意

)()()で、神祖に不満を持つのではなく、何故そうなったかを反省するのと同じです。

 怒りは、(やまい)と同じく、自分の考え方が間違ってないか、自分の弱さではないかと反省する機会であると、冷静に思い直すことが大切です。

 自分に弱い部分があることに気付けば、自分の心だけに()め込むのではなく、信頼する友人・親・教師・霊殿の神祖に話す事です。

 怒りや心配を抱え込むことは、(はら)(ふく)れるという、(つみ)(ほん)(げん)である(つつ)み・(かく)すに(つな)がり、相談する事は()(はく)という罪を解く八徳の一つです。

(ちん)(こん)(ちょう)()(きゅう)(ほう)

 怒りは呼吸を速め、命を(ちぢ)めると言われます。

 そこで、心を(しず)めるには、鎮魂・長呼吸法という方法があります。神前、或いは神前を頭に思い浮かべて(よう)(はい)し、出来れば両手をあわせて、

1.息をゆっくりと深く口から吐いて下腹をすぼめます。

2.次に息をゆっくりと鼻から吸って下腹を膨らませるように息を溜めて、

3.一時息を吐かずに、下腹の気を全身に行き渡らせるように力を込めます。

 これを何度か繰り返すと、神の気が全身に行き渡ることにより、体も気持ちよく心も落ち着いてきます。

 普段からこの呼吸法を行っていれば、呼吸数が減り、長生きが出来ると伝わっています。

・相手への理解

 相手への怒りは天に向かって唾を吐くようなもので、それは必ず精神的なストレスや肉体

的な不調となって、返ってくるものです。

 落ち着いて、怒る人の言い分を出来るだけ(さえぎ)らずによく聞いて見れば、相手だけでなく自分の誤っていた部分にも気付くものです。

 相手の過ちを指摘する前に、その人の怒りの原因を考える気持ちが大切です。

 相手がこちらの言い分をどう理解し、どの部分に怒りを覚えているかが見えてきます。

 相手の思いが見えて来れば、相手にあわせて怒る理由もなくなります。

 もし誤解が解けなくても、相手が怒る原因が把握できれば、解決への手がかりとなると共に、自分の心を落ち着かせることが出来ます。

 ここまで心の余裕が出来れば、不要な不安や怒りは消え、相手の不安や(いら)()ちをどう解いてあげるかという、技術的な問題に変質します。

 もし相手の心が見えなくても、見ようとする心(=ゆとり)を持つことで、自分の心の持ち方が大きく変わってくるのです。

 こうした考え方をして、先ず自分の心の余裕を確保することが、同時に相手の心の不安や苛立ちを解く糸口となるのです。

 それは同時に、自分の苛立ちも取り除き、自他の情緒を保つばかりか豊かな心が育つ、極端に言えば現実の修行の場ともいえます。

・安定した情緒や行動の目的

 安定した情緒や行動の目的は、自分の言い分を通す事ではなく、お互いのため、延いては社会の安定の為だと言えます。

 もし相手を言い負かせても、その人の心に安定がなければ、また別の場所で(いさか)いになることが考えられます。

 戦争の原因の多くは、絶望と切りのない無益な復讐の繰り返しのように思えます。

 お互いが納得出来、情緒の安定が取り戻せれば、自分も相手の心も安定することになります。

 そうして安定した人が増えるのと、互いに安定せず(いさか)いが増えるのとでは、最後は天地の違いとなるでしょう。

 両者の和解は世界の平和、神代の実現にも繋がると言えます。

()()を離れる

 相手ばかりを(おもんばか)って妥協を重ねると、最後には自分というものを無くすという不安に()られるものです。

 怒りも同じで、一度振り上げた(こぶし)を中途半端に下ろせば、これからもずっと負け続けねばならないような気持ちに(おちい)りがちです。

 自我を離れる、或いは(こわ)すことは、心の成長の(ため)に必要ですが、どの程度か判断が付かず、自分の心の基盤を失う不安を感じるものです。

 私は、全てを捨て去って、白紙から出発し直すつもりで、目先の怒りや将来の自我の形成について取り組んで良い、と考えます。

捨ててこそ!』の心境です。

 教祖の御歌に、

我が心 離れし後の 心こそ

  人の誠の 心なりけり』  (人道百首)

(我が心という古い自我を捨て去った後の心こそが、神から(わけ)(みたま){ぶんれい}として新たに戴く清く明るい、本来の素晴らしい心なのです。)

があります。

 試験前の勉強等も、短時間の睡眠で懸命に覚えて臨むよりも、効率的に短く準備をして睡眠時間を取った方が成果があると言います。

 眠ると覚えた事を忘れるというより、寝ている間は(かくり)()に帰って、覚えたものを整理して、戻して戴ける、ということのようです。

 睡眠が良いというのは、悪いものを取り除き、良いものをより良くして返して下さると考えるからです。

 ()()るは()(=幽界=神の世界に)・入る(=帰る)で、眠った方が結果が良いのは、こうした神の(ことわり)が有るからだと、本教では考えるのです。

 私達の先祖の大元である神の(ふところ)に、心置きなく飛び込むつもりで自我を捨て去っても、本当の自分は変る事はありません。

 それどころか、精神的にも肉体的にも、より健全になって目覚めるのです。

・心を養う心得

 自分の判断を確信する余り、反対に自分を見失う人を見受けることがあります。

 前に進む為の議論という目的を忘れ、相手の話に耳を傾けず、(げっ)(こう)したり、相手を馬鹿にしたりする人です。

 自分の考えが一番正しく、自分と考えと違う人は、悪であったり能力の低い害であると思い込む、或いはそれに準じる人です。

 教祖の御歌に、

()(なお)し 見直しつつも 聞き直し

 世を善き方に なすが此の道(人道百首)

(先ず声を以て宣言し、行いながら振り返って見直しながら、人の意見も取り入れながら、世の為人の為にと、行動しましょう。

 それが人として生きる、神祖から伝えられた神道・信仰の道なのです。)があります。

 自分の正しいと信じるものへ思い入れが強過ぎて、返って他人の心を傷つけるような過ちを犯してないでしょうか。

 また、自分が正しいと思っていることが、時間が経つうちに変質していないかと、常に見直し聞き直すことが大切なのです。

 信じる道を(まっと)うするためにも、自己の反省と他人への理解の確認を繰り返しつつ、物事を見る目を養い続けて行きたいものです。)

                (つづく)

令和6年10月号 No.1328  2024-10

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