各家の宗教事情
(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
先々月に引き続き、筆者の同級生達とのラインによる宗教問答です。
教団主導の研修会
Q7.7.いつまで経っても新人研修で、細かい事まで教えてくれん(他の教派神道)。
A7.まあ基礎が大切、ちゅうことなんやろね。
神理教は例えば家相・墓相とかも希望によってやっとるよ。
でも、勉強していても、前もって相談して下さってもいいですよ、ちゅっても、竣工式や建墓祭の依頼が突然来て、行ってみたら、あっちゃー(失敗!)ちゅうとこ結構あるよ。
仏壇、神棚、トイレの位置や向き、少しずらしとったらええのにー、とかがあるね。
先祖のお骨の管理
Q8.うちは宗教事情複雑。O家はもともと曹洞宗なんやけど、父と祖父以外はカトリックに帰依してしまった。母が他界したときは、諸般の事情で真言宗で一日供養にしたし。
僕の代でO家の墓じまいしないといけないんだけどカンちゃん(=筆者)とこで永代墓やってるから、神理教にキリスト教の祖母と叔母、曹洞宗の祖父と父、浄土宗だけど真言
宗で葬儀した母を合葬するつもりでいるけどバチあたりかね。
A8.M君(僧職の同級生)は、なんちゅう(何と言う)か分からんけど、私は厳密には問題ない事はないけど、結果的にしょうがないと思う。
神道はさっき書いたように緩いけ、本人がええなら仏教でもキリスト教でも家族が一緒の方がいいっち考えるけ、日本人の場合嫁いだ家の墓に入るよね。
ややこしいのは、真面目なキリスト教徒で、この人達は、家族でただ一人のキリスト教徒でも、他教の墓には入らんちゅうて、一人でも別に作って入る人が多いんよね。
で、大分経ってから、墓の管理料や別の場所にある世話の煩雑さもあるし、家族は高齢化するし、どうしようとか相談があるのよ。
その時、維持がお守りする方の労力的にも金銭的にも無理なら、家族の宗旨のお墓に戻ってもらうか、キリスト教になにがしかのお金を払って引き取って貰うかしかないんよね。
O家もそれと同じで、神理教の永代祭祀墓やないといけんことはなく、お寺でも良いんやけど、便利さとか安心を考慮して、生きとる子孫が、その子孫を悩ませんように、何時か何処かに決めるしかないっち思う。
家族をそれぞれの宗旨のお寺に分ける方が丁寧か、一つにするか。
私は後者(一つにする)をお薦めします。
喉骨の分骨
それと、仏教は喉骨を別にして、宗派にもよるかも知れんけど、本山や檀那寺に納めるようやけど、日本は土地や衛生問題が起きる前は、土葬やけ分骨はせんのよね。
埋葬した墓をわざわざ掘り起こして喉骨取り出したりするのは考えられんもんね。
兄弟姉妹での分骨
親の遺骨を兄弟姉妹で分けん方が良いのは、死んだけ関係ないとか思うかも知れんけど、本人は嫌やろなっちゅう感覚なんよね。
身体の半分とか上下とか足とか腕だけが別れ別れになるのは、自分の場合で考えても嫌やろ。
分墓
最近少子化で減ったけど、兄弟はそれぞれ子孫が居るなら、墓を分けるべきで、その時は、先祖の骨ではなく、土に返した所の土を少し貰って、新しい墓の土の部分に埋めるのが良いとされてきたよ。
この話も十人十色やけ色んな場合があるよね。聞きたい事あったら個別にどうぞ。
直会と御斎
Q9.-1神理教のお宮に詣でたのは初めてでしたが、広くて心癒される空間でした。
人徳でしょう、幼稚園の生徒さんたちに園長先生大人気でしたね。
来てくれたお礼とその後の会議と夕方の直会の話をすると、
なおらえ、って直会って書くんだ。
ただの飲み会と思っとった、と来たので、
A9.-1神社神道では、なおらい、っち読むね。
なおらえ、は大本(教)流(同級生の宗旨)、又は地域によって違うかも。
祭事とか会議の緊張感と、その後の弛緩、もみほぐす様に、全体を味わう感じやね。
感想
お斎は知っとったが、直会は知らんかった、今日は勉強になるなぁ。
おときって御斎って書くんやね、発音のオトキは知っていたけど、漢字は知らんかった。勉強になります、確かに。
おときは知らんかった、仏教系なんやね。
なおらい/なおらえは神道系かあ。
飲み食いするんに、艶つけとんなあ。カンちゃん(筆者のこと)ごめんね。
山笠の後の飲み会を「直会」(なおらいと発音します)と言うけど。
山笠は櫛田神社のお祭りやから、神事なんやない?神事の後の飲み会だから、直会なんじゃないかな。
等がありました。皆さん優秀な学歴ですが、意外と67才前後になっても、知らなかったようです。そこで、次の話になりました。
祭り
Q10お祭りって神事なのかな。まあ、神事の仲間よね。
A10祭の本言(=言霊学の用語でその言葉の持つ本来の意味)は、(神の)前・連なるで、マヘツラナルが約まって、マツリになったっち考えるんよね。
言霊学は、国学(日本本来の習俗,文化,信仰を探る研究・学問で、儒教・道教・仏教等の外来の文化・信仰等を注意深く取り除いて、日本本来の姿を探る)の手法の一つ。
そやけ、祭の姿は、畏怖・敬愛する対象の前に皆で連(列)なって祈る(本言は、明り・入る〈アカリノイル=明りが入る・明りを入れる〉)やけ、太古からの神事の形ち考えるのよね。
アカリノイルは、神の徳を戴く、大自然なる神と波長を合わせる、かな。