(おのず)(から)(みち) 390 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

徳力神宮と造化(さん)(ろう)

           (()(きょう)(かい)は、一連の題が終了後再開)

 (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

(とく)(りき)神宮()(しょう)のご報告

 皆さまには少し急なお話に感じられることと、申し訳なく思いながらお話しします。

 六月の本教第97回議会で、神理教の名称は残しながら、約5万uの境内全体を徳力神宮の名前を()(しょう)することが決まりました。

 ご神前には、先ず7月1日の(つき)(なみ)(さい)と同日からの(ぞう)()(さん)(ろう)、続いて9日の大元稲荷夏越祭と順次報告祭を行っています。

徳力の由来

 その(いき)(さつ)を説明させて頂くにあたり、(さき)の教話資料に()せた二つの歌を紹介します。

 徳力は (じん)(ぐう)(こう)(ごう)の (ゆかり)()

   ()(だい)()(くひ)の (こころ)(とど)むる

 本院のある徳力という地名は、今は町名の一つに過ぎませんが、実は約一千六百年という、神社の中でも古い歴史を持っています。

 西暦391年、(じん)(ぐう)(こう)(ごう)(さん)(かん)(せい)(ばつ)の折に、(ものの)()(かんなぎ)()()九代()(くひ)宿(すく)(ねの)(みこと)(ずい)(こう)します。

 神事・古医道・農業指導を司る家柄ですから、実務と共に、(おほ)(なめ)(現在の(おお)(なべ))山での(こう)(ごう)の戦勝祈願の手伝いもしたと伝わります。

 徳力の名称は、この時軍船を造る木をこの

地で採る((){又は()()}())、に(ちな)んで付けられました。

 これが、時が経つにつれ変化して、縁起の良い徳の力の意味を持つ、徳力となりました。

 神の気を()(=戴く)(こと)(だま)(ほん)(げん)(=その言葉の持つ本来の意味)を併せ持つ、大変有り難くも親しみやすい名称と言えます。

大和からの転居の理由1/2

 ()(くひ)宿(すく)(ねの)(みこと)は、この水の湧く徳力の地を今でいうパワースポットと感じられ、心に留め子孫に伝えられたのでは、と推測されます。

 この水も細菌ゼロの飲用可能の、日本では珍しいミネラルが豊富の硬水と分かりました。

 徳力は (とほまり)(ふた)()の ()()()(むらじ)

   水湧くこの地に 止まりにけり

 物部・巫部家十二代()()()(むらじの)(みこと)(先祖)が、西暦430年前後、天皇家十七代()(ちゅう)天皇の命を受け、弓矢を(たまわ)って諸国を(めぐ)ります。

 そして天在諸神を祀り神事と共に古医道を以て疫病を(へい)(そく)させた後、()(ぜんの)(くに)()(くの)(かわ)(かみ)の徳力山に連なる(おほ)(なめ)山に(ひも)(ろぎ)を建てます。

 ()()()(むらじの)(みこと)は、琴に代えて弓を鳴らし天在諸神を奉齋し、万民の信仰の大元とされた本教の先祖、又神人と称えられます。

大和からの転居の理由2/2

 神事から武力に軸足を移す物部氏に違和感を覚えた九代()(くひ)宿(すく)(ねの)(みこと)の思いが、十二代()()()(むらじの)(みこと)に受け継がれたのかと推測します。

神宮について

 本教は約5万uの境内に、大教殿・教祖殿を始め造化神宮・大元稲荷神社他、古い歴史を持つ社殿等を(よう)しています。

 例えば造化神宮と大元稲荷は、十二代()()()(むらじの)(みこと)が二つ目の歌にあるように四百三十年代前後に、この徳力の地に(とど)まった時に(しず)められて以来、約一千六百年に至ります。

 このような歴史と共に教えが伝わる神社は()(しょう)で、それを理解頂いた(あり)()(がわの)(みや)を始めとする宮家に理解と助力を戴くこととなります。

 造化神宮は、明治時代は()(かく)(しゃ)でしたが、小松宮彰仁親王・元帥陸軍大将大勲位から、石碑にあるように造化大神宮を()(ごう)戴きました。

 神宮は伊勢のみ又は、鹿島・香取という考え方もありますが、中・近代の幾つかの神宮名使用の歴史も(かんが)み使わせて頂く事にしました。

神理教について

 神理教という名称は七十七代の教祖が明治政府に神道系十三派に限定して、明治27(1894)年認可された名誉ある名称です。

 高校歴史の教科書にも載る誇らしい名称で、約百四十年に至りますから、最初に触れたように、この名称も併せて使わせて頂きます。

 こうした古代から近代に至る歴史に鑑み、神理教の名称は残しながら親しみやすい徳力神宮の名前を加称することが決まりました。

 この深い意味と共に、親しみやすい名称を以て、色んな企画を行いながら本教の発展を(はか)りたいと思いますのでお力添えを願います。

 

造化(さん)(ろう)

 教祖神は(ぞう)()(ぐう)に明治32(1899)年6月30日に登山、7月1日より三七・二十一日間、萬國統一世界平和乃大祈祷を行いました。

 私はその百二十年後の令和元(2019)年に同じく二十一日間、翌年から十日間とし、今年は7月1()10()勤めました。

 令和2年からは、新型コロナの為、神理誌等を通じたお知らせはしませんでしたが、何人かお参り頂く事もありました。

 参拝の有る無しに関わらず、お陰様で造化宮の天在諸神と心を通じ合わせようと祈る大

変贅沢な幸せを感じることが出来ました。

 修行と言われる方もいますが、世界平和と新型コロナ等の疫病平癒を祈るのが主目的で、修行は結果的に付いて来るものだと考えます。

 造化宮は、電灯こそありませんが、電気が来ているので手明かりは不自由せず空調もあり、広くて快適です。

 トイレはありませんが、下の禊場の小屋にウォシュレットも用意しているので、参籠をご希望の方は、大教庁に相談下さい。

 私はもう少し続けようと思っているので、この期間以外だと応じられます。

 来年は6月28()〜7月7日()の大元稲荷夏越祭まで行う予定で、祭事や会議等重要な仕事以外は参籠します。

 以下に普段の一日の流れを記します。

 1840分登山1846分造化宮着。19時清祓・大祓・教祖神拝詞・日拝詞・禁厭((かむ)(だから))・世界への神徳(しん)(じゅん)の祈り・祈念詞・神言・鎮魂。

21時頃就寝。

 03時前後に目覚め下山・自宅2階神棚水替・0630分教祖殿-本殿朝拝・1階神殿朝拝。

 朝食後0750分前後に幼稚園職員室から大教庁へ・仕事確認メールチェック1030分松村霊台墓参経由で登山・水替。

 1110分清祓・大祓・教祖神拝詞・日拝詞・祈念詞・神言。12時下山・大教庁で昼食後1240分自宅経由で1310分前後に登山。

 1330分清祓・世界平和祈願祝詞・神理賀詞・人体賀言・祈念詞・神言。1630分前後巡拝しながら下山1730分前後帰宅。入浴・夕食後1840分登山1846分着。以下繰返し。

 午前中は余り時間が取れませんが、1330分から就寝前の20時迄なら、ご一緒のお祈りや、簡易なお祓いや御祈願も可能です。

 来年は、本誌等でご案内出来ると思います。


令和5年8月号 No.1314  2023-8

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