(おのず)(から)(みち) 396 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

世界の(にかわ)となる祈りと教え

           (()(きょう)(かい)は、一連の題が終了後再開)

 (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

迫害や戦争の世相

 御教語の第六節に、

『今や、世界は(まさ)(ふん)(かい)せられた箱の如く、その用をなさず。(われ)は世界の(にかわ)とならむ』

とあります。膠とは現代の接着剤です。

 御教祖昇天百二十七年の今、二つの世界大戦を経て一旦(まと)まりかけたものの、又分解の様相で、苦しむ()()の人や子どもは(ばく)(だい)です。

 北京政府は、チベット・ウイグル・香港で迫害を行い、南シナ海での領有権を主張し、周辺諸国やそれを支持する欧米と争っています。

 北朝鮮は、威嚇ミサイルを何発も打ちながら、その国民は飢餓に苦しんでいても、軍事下に屈服させられています。

 その他ミャンマーを始め、ロシアやベラルーシやシリヤ等の独裁国の多くも、情報を統制し、反対者を迫害しています。

 昨年2月24日からウクライナへのロシア侵略戦争が始まり、死者だけでも双方で約20万人と言われています。

 又、その(すき)を突くようにして、アゼルバイジャンがアルメニアとの係争地であるナガルノカラバフに侵攻しました。

 107日ユダヤ教の重要祭日の朝、パレスチナ・ガザ地区を実効支配するハマスがイスラエルを攻撃します。

 その時点で1千2百人以上が亡くなり、パレスチナ人政治犯との交換の目的もあってか、2百4十人以上の人質を連れ去りました。

 その反撃により、118日時点で約1万5百人が亡くなり、その内の子どもが4千3百人以上という悲惨な状態が続いています。

 憎しみと報復合戦の中で、支配されたり土地を取られたりすると、死より辛い放浪や迫害を受け続ける事から、守る方も必死です。

 陰謀論と言われますが、戦争や感染症に伴う軍事・医事産業や、それを利益誘導に(つな)げる人等の思惑も絡んでいるように感じます。

 国連などの国際機関も、独裁と民主国家の対立等複雑な事情もあり、紛争の解決への法的な力を持たず、お手上げの状態と言えます。

 避難民の手当等を行うのが誠一杯ですが、何十万人にもなると、これも至難となります。

世界の(にかわ)となる祈り

 祈りは、人に生まれつき備わる本能です。

 宗教学者や人類文化学者でも、公平を意識するのか、成人して祈ったことがないと公言する人もいると聞きます。

 公平は大切ですが、信仰体験の無い人が、宗教や文化を歴史や組織等表層だけでなく、教えの深層からの比較が出来るでしょうか。

 自分の応援する球団が勝つように一度だけ祈ったというのを、批判する人もいましたが、私は一度でも有り難いことだと思います。

 両親に産んで戴いた事だけでも有り難いと思うのと同じで、未だ人としての本能を失っていなかったのだと考えるのです。

 両親への感謝の気持ちが持てるなら、その祖先やその大元の大自然への感謝の気持ちやその表し方にも心を向けて頂きたいものです。

 各民族はその為の感謝祭や、()(たま)(まつ)りを神や仏を対象として名付けて行ってきた事実に目を向けてほしいものです。その神仏の有無や認め方は別に考えるところを、一緒くたにして全否定しているように見受けられます。

 神の存在を認めよ等ではなく、人間としての原点を振り返って頂ければと思います。

 (いわ)(ゆる)学者バカにならず、成人する前の純真な気持ちを思い出すのと同じです。そこで

 私達本教人は、宗派を越えた祈りにより、平和に至る知恵が出るように、また避難民への支援等に役立てる力を得たいものです。

 言葉のいじめが人を殺すように、言葉の祈りは決して現実逃避ではなく、その共有により一層知恵や力を創出する原点と考えます。

 中東は地球の裏側のように遠く感じますが、前項のようにこうした悲劇は、すぐに間近に波及してくるものです。

 先ず私達が、憎しみの報復合戦に巻き込まれないように現実を見据え、具体的な心の備えをすることが大切だと思います。

 そして、そうした穏やかな心持ちを、逆に全世界に波及させたいものです。

 世界宗教が出来る前に、世界の至る所で同じ様な神話が出来たのと同じで、祈りの心が強く共通すれば、祈りはきっと通じます。

世界の(にかわ)となる教え

 本教は現在決して大きな教団ではありませ

んし、教えを強要するものでもありません。

 しかし、この(まこと)の教えを強く信奉する人が少数でもいれば、大きな(かね)を指一本で()らすように世界に響いて行くものです。

 夫婦が別れ、社員が会社を辞める原因の大部分は、性格の不一致とか職場待遇の不満ではなく、会話が無かったからだと言われます。

 それをしなくて、聞いて貰えない・話し合っても一緒と(あきら)めて、やり直すチャンスを消してしまうのだそうです。

 世界の迫害・紛争も同じで、話し会う余裕の無い相互不信と信頼へのあきらめが元になっている場合が大部分に思われます。

 日本の宗教者の集まりで、双方の青少年を招いての交流等行っていますが、こうした活動が世界に広まってほしいものです。

 現在は報復の連鎖で、憎しみという本教でいう七罪の一つから他の罪への波及と、心の目が罪に(おお)われ益々見えなくなっています。

 憎しみ・(うら)みも神から戴いた感情ながら、それに(おぼ)れれば罪と知る私達は、その(ことわり)を踏まえながら、祓いの祈りを続けたいものです。

 春秋の大祭でも、教信徒の皆さまの幸福と共に世界平和を祈るのは、御教祖の時代から受け継がれています。

 例えば罪からの祓いは、毎朝の神拝式と、その後の遙拝式でも行っています。

 皆さまも是非、ご家庭の神殿や教会で罪の祓いと家族の幸福と共に世界の平和をお祈りされるよう御願い申し上げます。

 他者への祈りは、必ず巡り回ってご自分の所へ帰り戻りますし、世界が平和へ共鳴することになると信じます。

令和5年12月号 No.1318  2023-12

戻る