(古神道・神理教を“本教”と記します)
第六条己の身の分限を忘るることなかれ3
4)分限を弁えた人・二宮金次郎
・二宮金次郎の紹介
二宮金次郎という人は、この分限・分度を確りと守り、誠心誠意を以て自分の一生を、人として生きる道ということに尽くしました。
:注二宮金次郎=二宮尊徳(そんとく)・天明7(1787)〜安政3(1856)年、満69歳。
江戸後期の経世・農政・思想家で、陰徳・積善・倹約を勧め、神・儒・仏の思想を併せた報恩教を創める。
生まれは裕福でしたが父の散財に災害が重なり借財を抱える中に、父の眼病と三年後の帰幽、二年後の母の帰幽と不幸が続きました。
それでも工夫と努力を重ね、弟たちを育てながら二宮家を再興させた後、六百を越える町村の復興に貢献しました。
又、小田原藩等の家政の立て直しに奉仕し、幕府にも抱えられ、その力を尽くしました。
小田原と野洲の今市との二カ所に宮社が建てられ神と祀られ、戦後まで大部分の小学校に像が建ち、多くの人の尊敬を集めました。
また、その逸話や教えは、昭和20年代まで教科書に使われることが国から定められ、国民の模範となりました。
・翁の苦労と工夫
二宮翁の一生には随分の苦心談もありますが、ここに分限を守るという一例を挙げてお話ししたいと思います。
十二歳の時、父に代わって酒匂川堤防工事の夫役を努めますが、年少の力不足を補おうと夜に草履を作って配布して献じました。
寺に入れていた弟が耐えきれずに戻り、その下の弟も母の乳張りがひどく家で育てる事になりました。
十四歳の金次郎は、早起きの薪取り、夜の草鞋作りで生計をたてましたが、貧窮の中に母が亡くなりました。
そこで二人の弟を母の実家に預け、金次郎は実の祖父の家に身を寄せる中、再び川が氾濫し復旧した土地は全て無くなりました。
祖父の家とは言え、奉公した以上は主人のために忠実に働かなければなりませんから、学問が出来る余裕もありません。
その祖父はとても吝嗇(=ケチ)でした。
それでも奉公した以上自分の身は主人の体と考え、主人の暇を利用したり主人の油を使ったりしてはいけないと考えました。
学問への思いを焦がし、ではどうすれば主人の分度に踏み込まないように自分の分限の内で学問が出来るのか、と考えました。
ある日のこと主人に向かって畑の間仕切りの畔へ菜種を植えて、明りを灯す油の替え代にしたいと相談し、許しを得ました。
しかし、日中はしっかりと働き、菜種を植えるにも手入れをするにも、夕方月の光を踏んで帰る時間を使いました。
夜の仕事も主人の為にと心と体を尽くし、学問は寝る時間を割いて、実った種を油に代え行ったのです。この位の心掛けの人でしたから、領主の財政を引き回して天下に名を成し、神と称えられるようになったのです。
5)盆栽と枝葉と根の分度
常に神への信仰を志し、人を善道に導こうとする心掛けのある者は、この分限を忘れてはいけません。
分限を忘れると、その身を誤りその家を潰す、という大変恐ろしいことになります。
それを一つの買ってきた盆栽に例えます。
その盆栽は長期間市場に置かれる内に、枝葉が立派に繁茂したものの、小さな鉢の中で、枯れそうになっていました。
その立派な枝葉が惜しいと思い、その場逃れに枯れた部分のみを摘み置いたのですが、全体が枯れ死してしまいました。
立派な枝葉が惜しいと思っても、思い切って一旦その大部分を切った方が、新芽を出して根に調和し一層立派になることがあります。
盆栽は本来の大きさに伸びようとする枝葉が人間の手によって鉢に入れられます、
その時、根を小さく限定されるために、枝葉も自然とそれに合わされます。
言わば、枝葉も根も限定される中で、調和を保っているのです。その理を知らずに、枯れた枝葉のみを取り去っても、盆栽全体の調和が出来ていない以上、枯れて当たり前です。
枝葉が必要な栄養や水分と、それを取り入れる根の吸収力の両方が調和しないと盆栽は育ちません。
これが、盆栽の枝葉と根に例えた分度です。
6)人間の分度
人間も同じで、人や組織としての経済・責任感・判断・力・容量・能力と、目的や仕事の受入れ量が調和していなくてはなりません。
何事に従事するにも、先ず自分や組織の分限を超過してないか、振り返る事が大切です。
例えば人との付き合いで、相手に合わせて自分もこの位を、と意気込んで分限を越えてしまうことがあります。
交際に虚勢を張ると、金銭の負担等が分限を越え、楽しいはずの交際が心の負担になってしまいます。
自分や組織の力・財政の範囲内で出来るか、常に天分を推し量り事に当たるようにすれば、本条の主意に適うはずです。
7)洞穴の苦学生
これについて一つお話しがあります。
頃は明治44(1950)年1月28日の報知新聞の雑報に『苦学生榛名山中に籠りて勉強す』との見出しで、次の事が出ていました。
『上州伊香保村の猟師で、吉岡勘五郎ともう一人が、榛名山中に猟に行ったところ、雪の山中で馴れた道も踏み迷ってしまった。
行けども行けども思う所に出られず、いよいよ山深く迷い込む内に、一つの谷を越えた岩陰に洞穴を発見した。
洞穴の岩の上に一枚の外套が干してあるので、不思議に思いながら中を覗くと、人影が見える。
てっきり山賊の住まいじゃなと鑑定した両人は、直ちに坂を越え谷を降りて引き返し、村の駐在所に届けた。 (つづく)