本教の存在価値(バーパス)
(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
自身の存在価値(バーパス)
・自分に存在価値はあるか
先月は認知バイアス(=思い込み)という、少なくとも筆者には耳慣れない言葉と、その受け止め方や解消法について考えました。
今月は、同じく耳慣れない存在価値(バーパス)について、ご一緒に考えたく思います。
先ず、私達自身の存在価値についてどうお考えでしょうか。
例えば高年齢になると、自分は社会や家族のお荷物になるばかりで、存在価値が薄くなると考えがちになる人が多いと聞きます。
70才を越えると、ホルモンの関係で精神的な粘りが薄れて仕事から離れ、生き甲斐を失い、認知を早める事があるそうです。
又、若い人でも、人生の面白みに気付かず、社会との繋がりを希薄に感じ、自分は存在価値が無い、と思い込む事があります。
普段は、何も考えずに飲み食いを楽しんでいても、歳を取ろうが若かろうが、或時突然そんな寂しさに捕らわれる事があるものです。
自分など居ても居なくても良い存在で、誰の役にも立ってない、誰からも必要とされて
ない存在だと、落ち込む事があるのです。
それこれ入り乱れると存在価値など考えたくもない、と思う人もいることでしょう。
そうした人生の迷い道に踏み込むと、自信を失い、前に進めなくなったり、坂道を転げ落ちるような気持ちになったりするものです。
では、どう考えれば良いのでしょう。
・働く意義
御教祖は、教語の第三十三節で、
『人は食ふ為に働くに非ず。働く為に食ふ。
故に、働かざる者は食ふべからず。
幼者は更に働くべく、老者は既に働きたればなり。』と諭されています。
私がここで時折触れる話ながら、『働く』のは、自分や家族の衣食住を支える為だけではありません。
『働く』の本言(その言葉の持つ本来の意味)は、傍・楽で、周囲の人や社会を楽にする、即ち社会奉仕の意味もあるのです。
仕事に貴賤はなく、衣食住を支えると同時に、社会奉仕の双方を意識出来ながら行えば、全て貴い仕事をしていることになります。
即ち、これを意識して働く人は存在価値があると、自信を持つようになるものです。
・働かずとも存在する意義
教語の後半は、幼者はその働きをする前で、働けなくなった老者は無理をする必要はない、ということです
人間社会というものは、太古の昔から、余程のことが無い限り、そうして成り立って来たものだからです。
それは、若い人でも障害や事情で仕事が出来ない人も同じで、慌てず怠らずの心で準備をすれば良いことなのです。世の中に不要の
人など、例え犯罪者であろうとも一人も居ない、というのが、神道の考え方でもあります。
後は、それぞれが、自分の何処の部分が世に役立ち必要なのかに、気付こうとする事だと言えますし、それは必ずあるはずです。
本教の存在価値(バーパス)
・本教に存在価値はあるか
この世には、多神教と言われるヒンズー教や仏教、一神教と言われるユダヤ・キリスト・イスラム教の五大宗教があります。
加えて、民俗宗教として、道教や儒教は中華二カ国の3割以上、世界人口78億7千5百万人の内、5億人近くを占めています。
大方は是等に淘汰されながら、まだ世界には自然信仰や、数多くの宗教があります。
日本だけでも、神道を始め中華三教(道・儒・仏教)にヒンズー教と、それらが融合した宗教等、多数あります。
文科省文化庁の令和3年の宗教年鑑を見ると、一つの宗教と見なされる包括宗教法人が4百弱、単立法人が7千強もあります。
そうした中で、本教には存在だけでない宗教教団としての存在価値はあるのでしょうか。
・宗教の四つの必須要素
一般的に宗教と呼べるものは、1.教義 2.教祖3.組織の三つを備えていると定義されているようです。しかし、私はそれに加え、もう一つ必須条件があると考えます。
それは、4.言語と同じように積み上げられた、人類・民族の、神や祖先や死後観を含め、自然に積み上げられた思索の集積です。
是を加えて、もう一度幾千幾万とある宗教を振り返ると、多くはそれ以前の信仰を否定するものから、殆ど消えるように思えます。
・バランスのとれた教義大系
本教は、バランスのとれた大系が有ります。
1.天在諸神を主祭神、配祀諸神を配祀神とし、皇室を尊崇します。
2.高祖・饒速日命からの教統を受け継ぎ、
3.その77代目の教祖経彦命を擁します。
4.古医道や言霊学や霊魂観が伝わり、それらを基に広範囲に渡る教理を持っています。
5.その教理を基に、十種神宝や宇良奈比真伝、祝詞も神理賀詞や人体賀言という、古神道である本教独自の多様な神術が伝わっています。
・教義の活用
他教と同じく祈りも大切ですが、七罪・祓・長呼吸法・八徳を併用しての、普段の無理のない信仰生活の在り方が伝えられています。
御教祖が古医道を基に大成された皇国医道は行われていませんが、人体本言考として教書となり、教師を中心に活用されています。
傷病やその部位から、反省すべき点についての指針が記されているものです。
傷病の平癒祈願は、御霊祭と共に本教の特質でもあり、傷病平癒の祝詞に加え、人体賀言や十種神宝を使っての祈願が行われます。
言霊学や霊魂観は、葬儀・霊祭という御霊祭を意義あるものにする手法でもあります。
ただ、天国に行くとか安らぎを祈るだけではなく、霊魂安定の本質は子孫を見守れる事であり、その為の祝詞が伝わっています。
本教は、ただ存在することだけの価値に加え、それを知る皆様を含め、具体的に人様、延いては社会幸福への存在価値があるのです。