性的少数者について
(御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
LGBT(エル・ジー・ビー・ティー)について
人によれば、この言葉を見るのも聞くのも嫌だ、と感じる人もいることでしょう。
しかし、ここに少しでもお付き合い下さる事で、全ての人に大切な人権の基本に繋がり、本教の考え方の指針の理解にもなります。
是非、目をそらさずに、普段気付かずにいるかもしれない差別観や不平等に立ち向かうべく、お付き合い下さると幸甚です。
表題の性的少数者は、英語でセクシャルマイノリティといい、主にLGBTを指すとされます。
LGBTとは、性的指向や性自認を意味する英語の頭文字をとって作られた言葉です。
Lは、女性同性愛者(レズビアン)の略で、性自認が女性且つ性的指向が女性に向けられる人のことです。
Gは、男性同性愛者(ゲイ)で、性自認が男性且つ性的指向が男性に向けられる人です。
Bは、両性愛者(バイセクシュアル)で、性的指向が二つの性に向けられる人のことです。
同性愛や異性愛の中間であり、又、どちらへの指向も包含するあり方とされています。
これには、汎性愛者(パンセクシュアリテ
ィ)といって、相手の性自認に関係しない性的指向者を含むこともあります。
日本では戦国から江戸期の武士に、妻が居ても色小姓等、男性の秘書兼愛人のような存在がありました。
又、妻帯を禁じられた僧侶が、陰間という売春男性を利用したのはよく知られています。
此等もBの範疇に入るように思われます。
それは、先のLとGだけでなく次に述べるT等、多様な性自認の人へも性的指向を感じる人のことをいいます。
Tは、トランスジェンダーで、性自認が、生まれた時の身体の性別と一致しない状態にある人を指す、広い概念とされます。
トランスジェンダー男性は、男性の性同一性を持つものの、医師により女性と割り当てられた人を指します。
又、トランスジェンダー女性は、女性の性同一性を持つものの、医師により男性と割り当てられた人を指します。
少し細かく言えば、LGBやTの一部の人には、互いにLGBとTを一緒にされるのを嫌がる人もいるそうです。
それは、Tの人はそうなった根拠はLGBとは違うと考え、LGBもTに対して同じ理由から相手を好まないのだそうです。
又、LGに異性愛の意味合いが薄いことと、LGBの中に、より少数であるTを見下す人がいる事への反発等もあるようです。
QIA+
LGBTに加え、QIAや更に少数の分類もあるようですが、紙面の目的からこのQIA辺りまでの確認に留めます。
Qは、クエスチョニング又はクイアの略で、性自認も性的指向も定まっていない人です。
Iは、インターセックスで、身体的な性が男性・女性の中間、もしくはどちらとも一致しない状態を意味する言葉です。
Aは、アセシャルで、無性愛とも言い、恋愛感情の他者への性的欲求の経験が無く、性的接触をしたいと思ったことが無い人です。
宗教団体や政治家の勘違いと差別感情
現代でも、宗教団体やその手先のような政治家が、性的少数者は病気であるとか、後天的な虐待等の結果と主張しているようです。
それらは、本当に真に受けてよいものでしょうか。
『天は二物を与えず』、の言葉があるように、完全な人間はいないところが、この世の面白さでもあります。
私たちは神の子孫ですから、霊魂は完全でも、不意犯した自分やご先祖の、罪や徳が私たちの心身に入り乱れて働いているのです。
精神的障害と言っても、これも完全な人間等は居ず、誰もがどこかに障害に繋がる瑕疵があるといって間違いないと考えます。
それが目につく人も、目につかなくて事件になる場合もあります。
その瑕疵を、自分、あるいは周囲の家族や社会の人々と補い合って、正常な人間社会があるのだと言えます。
性的少数者の本質
医学では、1953年から性同一障害の名称で、障害の範疇として世界中に認知されました。しかし、
近年では、それを精神疾患の一つではなく、性の多様性の一部として理解しようとする動きが広まり、性別違和の名称に改まりました。
性的少数者については、瑕疵や病気や障害ではなく、後天的な虐待などの結果でもない、とされるようになったのです。
後天的な原因があるにしても、先天的な要因の方が大きく、又、遺伝子の疾患でもない、ということです。
性別に関わる情報を持つ性染色体にはX
とYの二種類があり、XYのペアで男性・XXで女性になるそうです。
そのXYになるか、XXになるかのタイミングで、身体は男性で心は女性とか、その反対とかが成立するとのことでした。
従って、性的少数者は、神からそうなるように決めて戴いたと考えるべきではないでしょうか。
その割合は、左効きの人の割合である、10%程度だと言われています。
以前のように左効きを無理矢理なおそうとせず、その利点を活用するように、広い視野から見る機会を与えられたように感じます。
少数者であることでの不便はあるでしょうが、生まれたことには必ず意味があるのですから、それを探ることが大切です。
そして、そこに人としての安心・幸福を見つけるのは、全ての人に共通した課題です。
日本人の自殺者は、平成15(2003)年の3万4千4百2十7人を頂点に、令和3年の2万1千7人と下がり続けています。
コロナが無ければ、殊に女性が増える事も無く全体はもっと減っていたと推測されているようです。
自殺の原因は、生き難さと言われていますが、性的少数者には、まだまだ大変生き難いと思われます。
私たちの社会に残る、性的だけではなく、いろんな意味での少数者に、生き易さを感じて頂きたいものです。それが、回り回って自分の生き易さに返ってくるのです。
そんな世の中を、いたわり合いや理解によって、先ず自分の家庭や自分を取り巻く社会から形成して行きたいものです。