(おのず)(から)(みち) 353 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

神心と人心との違い

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

         (()(きょう)(かい)は、来月から再開)

三月の月次祭での神理入門(故瀬戸政光総監の解説書)の話を、お取り次ぎします。

 神心と人心は違うのでしょうか。

 人は神の子孫であり(わけ)(みたま)(ぶんれい)ですから、本質は同じと本教では考えます。

しかし、人心は(ばく)(だい)な神心に比べて小さいが(ゆえ)に、例えば、色々な罪に(けが)され(神祖から戴くべき徳が枯れる=届かない)(やす)いものです

 例えば(おこた)(七罪の一つ)の心を持つと、優れた人を見ると真似も出来ないとあきらめてしまうことがあります。

 又例えば(たかぶ)(七罪の一つ)の心を持つと、劣った人を見ると駄目な人だと決めつけ廃除しようとすることがあります。そうではなく、

 例えば(こっ)()(八徳の一つ)の心を以て、どうすれば優れた人に近づけるのかを工夫・努力するのは、神の心に添っています。

 又例えば(あい)()(八徳の一つ)の心を以て、どうすれば劣った人の良い部分を見出し、より高みに昇れるよう手助けする心は、神心です。

 

神の(ことわり)について-病気の原因

 毎朝の神拝式での話を、お取り次ぎします。

・本教の特徴

 時折触れる事ですが、本教は日本人に伝わる敬神尊祖を基に、生活に役立つ整理された知識・教義の引き出しを沢山持っています。

 (ほん)(げん)(その言葉の持つ本来の意味)()(げん)(その字の形からの本来の意味)から成り立つ(こと)(だま)(がく)は、その教義を肉付けします。

 例えば()()(古事記・日本書紀)から、(くに)(ぶり)(日本本来の習俗・文化・信仰)抽出(ちゅうしゅつ)検証にも役立ちます

 日本独自の農業技術や皇国医道や神術にも、意義や成り立ちを確認出来、活性化への息吹を与えることが出来ます。

 現代の本教は医術こそは行いませんが、皇国医道の伝承から、自分や家族の心掛けを病名やその部位から振り返る(すべ)を持ちます。

 例えば(じん)(たい)(ほん)(げん)(こう)から、反省すべき心掛けや、その軽重を参考にすることも出来ます。

 又、皇国医道の知識から(じん)(たい)()(げん)という優れた(のり)()を持ち、()(しん)(ぽう)()(れい)()を使わせて戴く意義を知り祭事を行う事が出来ます。

 そして、霊魂観の伝承から、神祖と自分の存在の意義が感じ取れ、同時に葬儀・霊祭がその(ことわり)に添って行う事が出来るのです。

・病気の原因と対処の心得

 一つ

 今月はその中から、病気への受け止め方についてお伝えします。一つは、

 本教の一般的な受け止め方として、病気の本言である、「()む・()」から振り返ります。

()む・()」とは、神と祖先からの日即ち護り・徳()んだ(=途絶えた)ということなのです。

 人には 徳が止ったからと言って、(ばち)が当るように急に悪い事が起るではありません。

例えば景気のように、幸不運の波があり、好いときにはそこそこに発展することでしょうが、大きく伸びることはありません。

 しかし、悪い時には、踏ん張り耐えることが出来ず、予想外に落ち込むことになります。

 多くは自分が気付かない原因により罪で自らを(おお)い、神と祖先からの守護や神徳を受け入れず()(かえ)しているからと考えます。

 それは、親や先祖との関係や他人との確執から来る七罪(=怠・詐{}・貪・憤・慢・憂・怨)を祓ってない事等が原因との教えです。

 徳を積む(八徳{=健康・誠実・陰徳・施捨・労役・愛他・克己・自白})や、神気を戴く等を含めた幸福への道程を踏んでない、と考えます。

 それには、家相や墓相や心掛け等色んな要素があり、それを前小見出しのように、人体本言考等から反省するという手法があります。

病気即ち神と祖先からの徳が止った原因を、傷病の部位の教えから自分や祖先の心得違いや誤った行動を見直し考えるというものです。

 二つ

 もう一つは、四魂論から考える方法です。

 神理入門の解説書で故瀬戸総監は、(あら)(みたま)(くし)(みたま)の働きから次のように解説します。

先ず、激しい労働争議の中で健康を害し、長期療養の後、立ち直った友人を例に、

「我々は健康な時は、往々にして理を忘れて突っ走るのである。己の力を過信してしまう。

 こうした人には、必ず(かみ)(ことわり)(つまづ)きや(やまい)を通して休息を与える。

 そうしないと、人は己の奥に目を向け考えようとしないからである。

 荒魂の外に向かう気力が落ちると、内に向かって考えるようになり奇魂が働く。

 寝れば荒魂が休み、奇魂が活動を起す。

 失敗して気力が落ちる、病んで寝るのは、どちらも共に奇魂の働きを(うなが)すもので、それは神と祖先の世界へ通うことを意味する。

 今まで感じたことの無かった、太陽の恵みや当たり前のように吸ってきた空気の有り難さを覚えるまでに心が働く。行き過ぎる人は、必ず神理によって引き戻され、足りない面を(のぞ)かされるのである。」とあります。 

 忙しい間は積極性を持つ荒魂が働き、寝ている時や休んで居る時は奇魂が神祖と通じ知恵(振り返り)を働かせているとの教えです。

 病気の原因の二つ目は、四魂の調和を忘れ、荒魂だけの使い過ぎで、自己への振り返りを忘れている事へのお知らせ、というわけです。

 幸魂・和魂の不調和は別の機会にします。

まとめ

 普段からそれらを(わきま)えて生活するのは難しい事ですが、先ずは神と祖先に頼りながら、懸命に生きる働きをして良いと言えます。

 まさか、働くと病気になる!等の極端な受け止め方はしてない事でしょう。

 しかし、仕事の行き詰まりや疲れを感じた時は、無理をせずに休みを取れば荒魂が安らぎ、同時に奇魂を働かせることになるのです。

又、病気を得た時もこれこそ神と祖先のお知らせと有り難く受け止めて考えましょう。

休息は、決して無駄な時間ではないのです。

令和2年5月号 No.1275  2020-5