自然の道 351 管長 巫部祐彦
御教誡十箇条(略解の詳解)35
第四条禍いを避け病の癒ゆる厚き神徳を
忘るることなかれ4
1)百難消除・諸業成就の基とは4
(筆者付記
*教師・教信徒が悩み苦しむ人にしてあげられること3
第三に、陰に日向に苦しみからの解放を祈る事です。必ずその心は神に通じるものです。
病気で悩む人には、祈りと共に御霊符でのお加持を伝え、本教教師であれば平癒祝詞と共に人体賀言や御神宝でご祈祷を行います。
商売での相談事には、繁昌祈願祝詞を奏上し、神占いや宇良奈比真伝で、神意のお取り次ぎを行います。
大切な事は、是等の神術を尽しながら、例えば『本教大意』を使って、悩み苦しみの原因やそれを解く神の理を理解頂くことです。
そして、悩み苦しまぬ為の、普段の心の持ち方、幸福への道程をお伝えすることです。
普段からの祈りや信仰の大切さに理解が至れば、大難が小難・無難になるのです。
*死にたいという人にしてあげられること
死にたいと言う人の言葉に、心のというより御神護の弱さを感じ、その原因として御先祖の迷い苦しみと共に、危うさも感じます。
生は息・入るで、五行十柱の神に創られた体に、別天津五柱の分霊(ぶんれい)を戴く、神の誠の粋として得られたものです。
注:五行=木火土金水
注:十柱=国之常立神・豊雲野神(水)・宇比遅邇神・須比遅邇神(土)・角杙神・活杙神(木)・大戸之遅神・大斗之辨神(火)・面足神・綾惶根神(金)
注:五柱=天之御中主神・高皇産巣日神・神皇産巣日神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神
注:誠=本言(その言葉の持つ本来の意味)は、 天津・事=神の言葉・心。
今が苦しいからと、こうして戴いた尊い命を安易に突き返して良いものではありません。
そうは言っても、先ず理屈を聞くような精神状態にない人に、その理を話して理解して貰えるものではないでしょう。
多くは心が弱っている状態にあるのでしょうから、何故弱っているのかを、こちらが考えあげるべきです。
現実の不運に接しても、打ちのめされ心が弱る人もいるし、しなやかに受け止めながら次のチャンスを窺う余裕を持つ人もいます。
その違いの原因の多くが、それぞれの御先祖の迷いや御神護の強弱にあると考えます。
そこで、同じ祈るのでも、そうした神の理を知り、目的に合う道筋に添い、弱っている人に寄り添いながら進みたいものです。
即ち、心を強く持てるように、先祖の迷いを解くように、大元の神に神理が通うように祈るのが、私達教師・教信徒の勤めです。
そうすれば、生への充実感、生きる意欲、楽しみが、必ず湧き出るのです。
先祖への振り返りを意識しつつ、共に祈る事で、生きる意欲を湧き立たせつつ、しなやかな心持ちになって頂きたいものです。)
*誠(大きな知恵と小さな知恵)
この世に人と生まれた以上は誠の道を守り、誠の行いをなし、自然に“誠の人”と世の人達に仰がれるようになりたいものです。
『知恵・力 金や宝は 有りぬとも
誠なき身の 末ぞあやうき』
(知恵や力や財力を持つ事が、この世の最高の幸せと思い誤ってはいけません。
もしその全てを集めることが出来たとしても、誠が無ければ、それら物質的な金品・権力は真の幸福に役立ちません。
自分や家を守る時、金品も必要ですが、往々にして金品に苦しむ余り、それさえあれば幸せは買い求められると、勘違いをしがちです。
金品は豊かでも、守る範囲を家や自分だけと狭め、心貧しく幸せを掴めない人もいます。
もし今が幸せでも、誠が無ければ、あやふやで不安定な未来を背負うことになるのです。
金品や権力があるばかりに、それらに溺れ思い違いをして、自分の心を見失い、他人からの信頼も失う人を見るのは残念です。
しかし、金品や権力が無くとも誠の心が通じ合う家や社会は幸せと平和を得る事が出来、最終的には豊かな心と財産も得るものです。
後先になりましたが、知恵も聞こえは良いのですが、その本質を見誤っては、逆に不幸の元となります。
知恵にも人生や社会の大局を見渡す大きな知恵と、こざかしい目先の利益に敏いだけの小さな知恵の違いがあります。
知恵は私達の持つ四魂の内、奇魂の働きとされますが、小さな知恵は、自分でも気付か
ず、自己利益だけを追いがちです。
奇魂だけが偏って欲得の為だけに働き、相手の不利にも気付かない、或は結果的に騙してしまうことさえあります。
そこで、そのずるさに気付いた周囲の人達の信頼を失い、物事を成し遂げられません。
知恵や権力や金品だけを追い求める人は、その小さな知恵だけに、心を閉ざされているのです。何事も、心に誠が無い人は、物事を成功裡に終えられないものです。
物質的な宝を得たことに安心せず、一旦損をしてでも誠を身に付けることを心掛ければ、大きな知恵と幸せを享受出来るのです。
本(=誠・心)と、末(=意欲・金品)の均衡が大切で、末のみ目を奪われると、均衡が崩れ覆ると教えられます。)
『正直の頭に神宿る』と、昔よりの俚諺に伝えられています。また、
『日月は四周(=北南東西即ち地球)を巡るといえども、常に正直者の上を照らす』と、
天照皇大神も倭姫命に神懸かりしてお告げになったと伝わります。
注:倭姫命=垂仁天皇の皇女。天照皇大神の祠を大和から伊勢に遷す。又、倭建命の東国征討の時に草薙剣を授ける。
正直は神の御心ですから、神は正直の人を愛します。肉眼でこそ見えませんが、天の意に叶った誠の人が行う事は、全て物事が良い方に進んで行くものです。(つづく)