雑観1 (御教誡は、一連の題が終了後再開)
(古神道・神理教を“本教”と記します)
東京や四国に住む高校時代の同級生とのラインでのやりとりから、本教の世間様への見方を、共に考えられればと記してみます。
ここでは、あえて結論を出しません。
小倉弁と鳴門弁?等、少し上品でない毒舌も小気味よく感じたので若干緩めて転記しましたが、ご不快の点はご容赦下さい。
1.日本の政体・行政について
先ずは、今のコロナ下での10万円の補助金についての話です。
友人A: 新宿区は京都の会社に外注してたよ。
(日本中に外注が多い話が続く中で)
友人B: 区役所ごと外注してまえ!
友人C: 区役所ごと外注‼︎ ワロタ(笑った)
私=それ逆転と発想ちゅうんかね、ええね。
国もそれやって、議員も省庁の職員も一割位にして、大事な決定や方向性だけを示すようにすればいいかも。
そうすると、福祉を充実させながら税金も安くなって、国の競争力も増すやろね。出来るの山本太郎、橋下さんとか名古屋市長のグループ?既得権益壊し過ぎで無理やろね。
友人B: 言ってる事はその通りやと思うけど、Y氏は無理ぜよ。ありゃ単なるアホじゃ。
仮に優秀なスタッフを周りに付けたとしても、本人がアホ過ぎて、どうにもならんと思うわ。アホさ加減では、都知事お婆とエエ勝負と、思う。まだ、元大阪府知事の方が、いう事極端やけどそれなりに筋は通ってるし、自分の間違いを認める事も出来る男やと思う。
名古屋市長は、おもろいオッサンやとは思うけど、政党ジプシーが過ぎるなあと思う。
完璧な政党なんか無いんだから、あちこちフラフラするの分からんでもないけど、本気で政治するなら、信用は得られんのと違う?
今の段階では、河野外務大臣が一番オモロイかも。出来の悪い親父を反面教師にして、よくやってると思うなぁ。
私=もし今の政体より良いと考える人が1/3位おったとしても、明治維新のような大波でも無い限り、あの時代のように、傑出した人が次々に出て来ることはないんやろね。
で、今の政体がホントに政治家も含めてダメやったら、ローマ帝国のように少しずつかどうか分からんけど、壊れて行くんやろね。
私達ジジババは、それをなす術もなく見送るか、出来る事(B:の場合はヨット等での仲間作り)をコツコツとすることやろね。
2.男女別姓と臓器移植
さっきの人達も、期待はしたいけど、もう無理やろーね。外務大臣も、臓器移植とか男女別姓の勘違い発言で嫌気がありながら、期待はしたいけど。
友人B: 外務大臣は選択的別姓認めても良いじゃないかと言ってるだけでしょ。日本は、実質的には、既にそうなってる。が、戸籍上も別姓でとなったら、話はややこしい。
世界で別姓でないのは日本ぐらいと言う意見もあるが、同姓を名乗れないのは、あくまでも「結婚しても、あんたは他人だ!」という、個人の尊重なんて崇高な話じゃないよね。
所詮女性を子供を産む、産ませるモノに過ぎない!という、しょうもない思想によるものだと分かってるのかな?
私=この二件については、別に記したのでここでは割愛します。
3.天皇制について 1
友人B: それより、河野は「女系天皇も認めろ!」と言ってるんじゃない?
それは大きな勘違いだと確かに思うわ。
これは男尊女卑なんて話ではなく、日本と言う国が2千年に渡って守って来たもの。
永い間にはコジツケにも似た論理で、男系を死守して来たことも有るようだが、それでも、なんとかその基準は護ってきた。
血統こそが天皇そのものと言っても良いと思う。それを「変えよう」というなら、それはもう天皇じゃない。
天皇制自体を無くせば良いと思うわ。
私=私達の宗教法人が属す日宗連5団体の一つ教派神道連合会の面々もその意見に賛成なんよ。それでね、何故女性天皇ではいけないかっちゅう神道系の小冊子を配って、意見統一を図ろうとしとる。そやけど、
その小冊子見て、なんで女性天皇がいけん(=悪い)か、どうもピンとこんのよね。
神武(明治ではなく)天皇の血を引く人でないといけない、みたいにあるけど、それっち女系だって血引いとるけ、違うよね。
旧宮家を復活させて、旧体制を維持して安心する為のように感じてならん。別に旧宮家復活に税金使うけ反対とか言っとるんやないんよ。推古・持統天皇など、その子どもに継がせてない実績とか、なんかこじつけに思えて仕方ないんやけど。
私しゃ、この点神道界の異端児かな。
女性は相撲の土俵に上げちゃらんとか、沖ノ島とかの神域に入れんとか、私しゃどっかで入った勘違いの伝統守ってるだけやないかなー、と感じるんよね。
神主は家族の葬儀に出ても当分出仕出来んとか、伊勢神宮なんかはコロちゃんみたいに半月位出られんけ、家族の葬儀も断念みたいな笑えん話になっとるみたい。
前も話したかも知れんけど、天照皇大神の父母であるイザナギ,イザナミの葬儀に七日七夜(四十九日の由来)笛吹き鼓打ち舞奏で、と賑やかに送ったち(=送ったと)記紀にも記載されとるのに、そんな伝統いつから出来たか、学者さんに考証して貰いたいわ。
多分江戸期からの、神道→天皇→王政復古を防ぐ為の寺請(神社請は×)制度が一つ。
明治からは、神社神道の神主は官吏やから、葬儀霊祭と布教をしてはいけん(やっていいのは、補助金の無い教派神道だけ)っちゅう仏教への忖度が二つ。神官も葬儀なんかの穢れを扱うのは僧侶にやらせる(負け惜しみ)なんかの決定的な勘違いから来たんやと考える。
死の本言(本来の意味)は、シヒ(風火)・イヌル(去る)で、神の元に帰る事やから、汚いもんやないのにね。 (つづく)