(おのず)(から)(みち) 342 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))28

第三条の政令にそむくことなかれ3

4)心楽しければ信仰正しく、信仰正しければ政令に背かず(の続き)

・御教祖の伝えるところ

 私達の()(おしえ)(のかみ)は、天下(全世界)の罪悪や病災を根本から取り除く為にこの世に現れ、一生をこの道に捧げて教えを説かれました。

 御教祖は、政令は本来国家・社会の為であり、ひいては私達の為で有るのだから、大切に守るべき、と教えられています。

 本教の教師は、政令遵守という御教祖の心を理解して布教するべきです。

5)政令の歴史・目的・原因

・政令の歴史

 この政令というものは、政府から発せられて、善良な国民の保護の為に活用されるものです。

 神世の昔、(あめの)(やすの)()(わら)に集まられた()()(よろず)(のかみ)が議論を重ねられたように、今では国民の代表が、全ての法律・規則を話し合いで決めます。

 これを(さかのぼ)ると、天皇陛下を経て、一直線に(あま)()(かみ)((あめに)(ます)(もろもろ)(のかみ))の御心に通じるのです。

 天津神は、天上と天下の政治を(あま)(てらす)(すめ)(おお)(かみ)にお任せになりました。そして、天照皇大神は(まつり)(ごと)(すめ)(みまの)(みこと)()である、()()(ぎの)(みこと)(さん)(しゅの)(じん)()授けて下界に派遣なさいました。

・政令の目的

 この三種神器は、正に天照皇大神の御心そのものであります。

 それは政治の原因、つまり始まりであり元であり、天下の人達がを安心出来るように治める、という御意志(目的)なのです。

・政令の原因

 大元の天津神の深遠なる御心が、歴代天皇の()(しん)()(すなわ)()(くらい)(ざね)(御意志・目的の実現)を政治の原因と理解し説く人は少数です。

 政令が何故あるかという原因は、天津神の御意志(目的)が天照皇大神を通して(すめ)(みまの)(みこと)伝わり、国民に役立たせる為です。

 だからこそ、歴代の天皇陛下が政治を行おうとされる時は、真っ先に神祭をされたのです。

 そして(あまつ)(かみ)(くにつ)(かみ)(全ての神々)と歴代天皇の御霊の前で、天皇自らが何故・どうした政治を行うかを報告した後、施行されて来ました。

 これは今上(現在の)天皇の(大嘗祭・新嘗祭等を通じての)政治に向けてのなされ様からも拝察できます。

(筆者付記→神の世を目に見えるようにこの世に顕す、即ち、誰もが安心出来る天下にするというのは、神の御意志だということ。

 その神の御意志の発露である政令を、出す側も受け止める側も大切にするべきだ、ということである。

 今の世は、太平洋戦争後、立憲君主制となり、議会で選定された総理大臣は天皇陛下に任命されるようになった。戦前の憲法と変わったとはいえ、善良なる国民に慈愛を注ぐという歴代天皇の大御心は変わる事がない。

 従って、その大御心を受けての国民の在り方は今まで通りで変わらないし、心構えを変える必要もないのである。)

6)三種神器の徳

 三種神器について、()野朝の忠臣であった(注きた)(ばたけ)(ちか)(ふさ)は、(じつ)(げつ)(せい)の神に合せて次のように解説しています。

注:吉野朝=南北朝時代の南朝・後醍醐天皇の方。

 北畠親房=南朝の正統を主張する神皇正統記の著者。

 即ち、鏡は日の体(御姿)・玉は月の精・剣は星の気とし、鏡を正直の根本()・玉は慈悲の本元()・剣は知恵の本元()としています。

 そして、この三徳を合せ受けていなければ天下を治める事は難しいというのが天神の御心であります。

 そこでこの三つの徳を忘れない為に、三種神器を皇孫命即ち()()(ぎの)(みこと)伝えられた、と説かれています。

 私(小田清彦)も、その通りだと思います。

 天皇陛下は常に鏡の徳である正直を元とされ、玉の徳である慈愛と、剣の徳である知恵(決断)を以て、政治を行なわれました。

 陛下は、火災や風水害にみまわれた人には、鏡の徳である正直な赤心と玉の徳である慈愛を以て心身を癒そうと現地をも訪れられます。

 又、政令に背き、正当な決まりに従わない者が出た時には、剣の徳である知恵(決断)を以て役人に制御させてきました。

 私達は、本教に(まつ)られている(あめに)(ます)(もろもろ)(のかみ)(じつ)(げつ)(せい)至尊の大神霊であり、三種神器の徳と欲一致すると思い及ぶことが出来ます。

 とすれば、本教の教師・教信徒は、正直と慈愛と知恵(決断)を基として生活するべきです。

 教育でやかましいほど唱えられている、知育・体育・徳育というのは、三種神器の(じつ)(げつ)(せい)です

 即ち、正直と慈愛と決断、つまり智と仁と勇の三つです。

(筆者付記→本教の参道右手に、(じん)(だい)()()((まち)(がた)文字の草書)で、『()(もん)()(しん)()』の石碑がある。

 文化4(1807)年、御教祖の父経勝の国学の師である甲斐国二宮前宮司(さか)()()(そう)(おう)75才の時、巫部家の伝書を読んで記したもの。

 聡翁は、明和4{1767}年の尊王弾圧の明和事件も連座したがそれを隠し、家康の墓の修復に協力する等し、幕府の嫌疑を脱した

 その後、57才で神主を引退し、再び尊王と神道の復権を目指して士明派を興し、密かに全国を(ゆう)(ぜい)した。

 マコト(真実=(まこと))・マスミ(明白=()(すみ))・マスグ(正直=(まっ)(すぐ))と記され、聡翁は、三種神器の神徳である()(くさ)()(おし)()意味する、とした。

 本教では、これを三種神器の心とする。)

 政令の元とは、不思議で有り難い大神霊より発せられ、自然と心身を守って下さるようになっています。

 ですから、これに意味なく(そむ)けば、ただ立身出世の芽を枯らすのみではありません。

 自分の死後、霊魂の安定帰着と子孫の守り神となる歓びを得られなくなるのです。

                (つづく)

令和元年6月号 No.1264  2019-6