自然の道 341 管長 巫部祐彦
御教誡十箇条(略解の詳解)27
第三条の政令にそむくことなかれ2
3)信仰と政令の関わりの大切さ(の続き)
*本教教師の役割と本教人の心得2
神への信仰心が有る人は、知識や学歴が無くても、「例え人は居なくても、神は居られる。
神は、私達が座っていようが寝ていようが、いつも前に後ろにと付き添い、守って下さる」
と信じていますから、私達も嘘をつかないし、つく必要がありません。
反対に、神への信仰心が薄い、又無い人は、知識や学歴が有っても、当然神への信頼が持てず、神や祖先の守りへの感謝もありません。
(筆者付記→自分の良心は神と祖先からの賜物であることの意識がないので、自分に都合がよいように誤魔化してしまうのです。)
そうなると、「人の居ない所は、見聞きする者はない」という考えに迷い込み、嘘をつき政令に違反することになります。
神の存在を認められない人は、自分を省みる良心の根拠があやふやで、他への思いやりも薄れがちで、自分中心となるのです。
こうした人が増える事は、国の将来に大きな不安を抱かせます。
(筆者付記→「天知る・地知る・人知る」という言葉があります。
自分だけで隠している積もりでも、不思議に悪行は暴かれ悪報となり、善行は善報として神徳を戴くことになるものです。
神を良心に置き換えても良く、人は良心という神を生まれながらに持っていて、その良心という神に善悪の報いを受けるのです。
本人の自覚の有無に関わらず、善い事をすれば気持ちが軽く天に昇る心地がするし、悪い事をすれば重く、黄泉に沈む心地がするものです。
そして、生前の積徳と積罪によって、死後の行き先が天即ち日の若宮と、地獄即ち黄泉に分れると考えるのが、古神道である本教です。
良心とその大元を真の神と信じ、世に善き事を為し罪を祓う心を信仰の文化として受継いで来たのが、本来の神道なのです。
善い事も悪い事も、必ず神は良心としても、それらを見ておられ、その報いがあります。
政令に背かない理由は、処罰されるとか、社会から疎外される等と言う、理性から派生するのではありません。
真の理由は、神への信仰の念からきているのです。
自分の心に良心という神が存在する事に、気付く心得が必要です。)
4)心楽しければ信仰正しく、信仰正しければ政令に背かず
・御教祖の観点
教祖は、天下の罪悪を取り除くため、また、天下の病災を根本から取り除く事を、目的としています。そこで、法令は、国家社会延いては私達の為であるのだから、政令を大切に守るべきであると、教えています。
先ず、心が楽しければ正しい信仰が出来ている、ということです。
次に、信仰が正しければ政令に背くことはない、ということです。
それほど、信仰と政令は強い関わりがあると考えるのです。
(筆者付記→誤解のないように記すと、本教やこの原本作者の小田師は、決して政令に付和雷同に訳もなく従おうと言うのではありません。
御教祖は、政令には従うものの、間違いと思えば当時の官僚にも確りとものを言われた事が、『教祖の面影』等に伝わっています。
先ず天皇陛下を中心にする政府を信頼し、余程の酷い政令で無い限り、理解と協力の姿勢で臨みます。
それでも、もし悪令と気付き、より良い方法に気づいたなら、一旦は従うにしても、その改正を求めるのは、当然です。
官憲の権力の強かった当時は勇気が要ったでしょうが、怒りという荒魂を活用し、はっきりとものを言うことを大切にします。
自分の仕事の目的と、人生の在り方過ごし方を、信仰を基とすれば、政令の正悪を見定められ、柔軟に対応出来るのです。)
・弁護士の祈願を断る理由
ある時、私(小田師)の郷里の弁護士が願って言いますのに、
「長年弁護士をしていますが、依頼人の数が少なくて困っているので、商売繁盛の祈祷をして頂きたい」という話がありました。
心身健康とか、家内繁栄なら行ってますが、その依頼は少し考えたものの、残念ながらとお断りしました。そうすると、
「何故職務繁昌の祈祷が出来ないのですか」と、抗議と共に聞かれました。私は、
「弁護士の仕事は、公明正大にして法律の解
釈を謝ることなく、正しいものは正しく、間違いは間違いと判断するものです。
そして、罪が無い人に罰が与えられないように、その心配も取り除いてあげる仕事ですから、大変に素晴しい社会に重要な仕事です。
しかし、この仕事が繁昌するということは、一面国家にとって大変不幸な事でもあります。
なぜなら、毎日の争いごと等あらゆる罪悪が行われないと弁護士の仕事が繁昌出来ないことになるからです。」そこで、
・弁護士の祈願を受ける方向性
「あなたがご自分の職務に間違いが無いように、という御祈願ならば可能です。
法律の解釈など誤ることなく、健康に仕事を全う出来ますように、という祈祷ならして差し上げられますが如何でしょう。」と申しますと、その弁護士も苦笑しながら、
「それでは、家門の繁栄を祈祷して下さい。」と言われたので、そのお祭りをすると共に、その日は一日教話をさせて頂きました。
その方も多いに感じるところがあったようで、それからというものご縁が出来、互いに手紙のやりとりや往き来を重ねました。
そして、遂に本教教師を志願され、遠江教会管轄下の教師となって、この道の為に余命を捧げて力を尽そうと心を熱くしています。
神を信仰する人は、こうしたところに心を置いているから政令に背かないのです。
(筆者付記→神を信仰する人は自分の仕事の性質と、自分の人生の在り方、過ごし方を信仰を基として柔軟にしかも確りと見極めています。
そこで、政令の善悪も見分けられるのです。)
(つづく)