自然の道 347 管長 巫部祐彦
御教誡十箇条(略解の詳解)32
第四条禍いを避け病の癒ゆる厚き神徳を
忘るることなかれ1
1)百難消除・諸業成就の基とは1
*正直
本教教規(旧教規)の第二条に、
『百難万病は心より生ずる。
心を正しゅうし、行いを直くすれば、百難自から消除し、万病忽ち平癒すると決定せよ(自分自身の心を固めなさい)』とあります。
よく考えると、己の心の迷いが原因で、色々な災害が湧き起こって来るものです。
注:迷う=本言(その言葉の持つ本来の意味)は、禍・呼び、と言い、古来、日本人は、迷いは魔を招いてしまうと忌み嫌ったのである。
例えば迷い箸等と言って、どれから食べようかと箸を彷徨わせる等、考えても分からない事を決められず時間を無駄にする等である。
失敗を恐れず物事を先に進め、もし間違いに気付いたなら勇気を以てやり直す方に、潔さを感じていたのであろう。
その人の災難の元は、実は自身の心の迷いに原因があることが多いのです。
また、自身の摂生(心身の健康に注意すること)を量り間違えて、結果的にその心に罪を作るから病気が起ります。
心を正しく清らかに、行いも善と素直を心掛ければ、必ず神はこの正直を愛され、百難を消除し万病を癒される事は疑い有りません。
教祖の御歌にも、
祈るとは 願うにあらず 我が心
明りの入るを 言えるなりけり(古義百首)
(祈るというのは、ただ願うばかりではなく、自分の心に明り即ち、神の心を入れる事です。
神の心を入れる即ち、先祖の大元である神の心に近づこうとする心持ちが大切です。
そうした心持ち即ち、心境に至れば、願わずとも自然に願いが適う、安心の境地に入ることが出来る)と教えられています。
(筆者付記
*不心得でも幸せな人達について
別件で本院に来られた方が、興味を持たれていたようで、頻りに本教の祭の仕方やその考え方について聞かれることがありました。
ある程度お応えして段落がついた時に、どうして興味を持たれたかをお聞きすると、
「自分は次男で、神も先祖祀りもしてないから」と言われるのでした。そこで、
「今の生活は如何ですか?」とお聞きすると、収入も安定しているし、どちらかというと幸福だ、とのことでした。
筆者にしてみれば、自分で気付かれたというより、きっとその方の御先祖が本院へ導かれたのだと感じたことでした。
また今まで信仰心に気付かれなくとも幸せであったのは、御先祖から頂いた徳の貯蓄があったからだと考えます。
幸福でありながら神祖との繋がりに気付かれる方もいるし、どうしようもなくなって逃げ込むように教会や本院に来られる方もいます。
切羽詰まっての信仰を下根とすると、この方のように幸せであるのに信仰をされるのは、中根の信仰と言う事になります。
どちらも、御先祖の導きですし、それに素直に従うというのは、正直の実践をされた事にもなります。
そこで筆者は、次男で神棚も仏壇も無いというその方に、
「それなら、神棚をお鎮めして、出来れば毎日お水を替えて、お茶等をお供えし、一日の健康・安全や守護への御礼や報告をされませんか。
もし家の宗旨が仏教その他でも、神棚は安価ですし、そのお鎮めは日本人の信仰の文化とも言える普通のことです。
そこに本教の主祭神である天在諸神と産土神社の御神札をお鎮めして、神棚を通して御先祖とその大元である神を拝礼されることです。」
とお勧めしました。また、
*徳の捉え方
「今のあなたの生活は、無事に生活費を得て、財産も蓄えられつつあるかも知れないけれど、徳を積まれているとは言えません。
財産は積まれつつあっても、御先祖の徳は食いつぶされているようで、私達から見ると不安です。
ご自分や家族、そして子孫の為に徳を積むという意識は大切です。
徳は、例えばそうした毎日の御先祖への感謝や、その意識を持っての社会奉仕で、自然に積まれて行くのです」とお話しした事でした。
徳の無い家は、例えば景気が良くなると、それなりに財産も増えるでしょうが、悪くなった時に踏み止まることが出来ません。
徳の有る家は、景気が良くなると、一層財産も増えるし、悪くなっても踏み止まることが出来るものです。
それは病気災難を含む運不運にも同じ様な発展と耐性を保てます。
それは神と祖先の徳とも言えますし、それ以前に、普段の信仰心から祖先や家族との繋がりを感じ、心が安定しているからだと思われます。
祈りや祈りを家族などと行う信仰は、人の本能であり、それを行う事で安心を得るというのは、信仰の文化とも言えます。
徳は金品・不動産と違い、目には見えませんし相続税も掛かりません。
使わせて頂くと共に、神祖からのご褒美の利子と併せて、貯める事も心掛けるべきです。
日々の祈りを通して自分の心に明り即ち、大元の祖先である神の心を入れて同調させ、自分と家族、子孫の為に徳を積む意識が大切です。
神の明りを入れ、徳を積んで行くには、正直と素直さが最初の条件となるのです。
*神の明りを入れる・心の波長を合わせる
他教との大きな違いでもありますが、明り、即ち神の心を入れ、神と波長を合せるのは、神にに隷属するのではありません。
人は祖先を通した神の子孫ですから、神の心を感謝と伴に受け入れる事が、真に曇りのない自由を得る事です。
そうした心地になれることで、自然に願わずとも願いが適うこととなるのです。
先ずは、大元の神である、天在諸神の御神璽或は神札をお祀りし、願わずとも戴ける厚い御神徳を忘れないようにしましょう。 (つづく)