(おのず)(から)(みち) 339 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

あなたはもう(さと)っている!6.

         (()(きょう)(かい)は、一連の題が終了後再開)

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

まとめ

・悟りと実践(つづき)

 悟っているのと、それを実践し自他の幸福に結びつけているのは、実は別物です。

 悟っていても、その道筋に添って実践しないことには、今のままで何も変わりません。

 悟っていること自体が幸福なのではなく、悟っているからその道に沿って実践出来、出来たから幸福への道に進められるのです。

 他教のように、悟りを開いた宗教者やその宗教に帰依すれば良いとか、一神教の神や教祖が総てを救ってくれるものとは違います。

 先ずここで開示されている悟りを理解し、神と祖先の力を戴きながら、自分が他と協力しながら切り開いて行くものなのです。

 いわゆる、自力と他力のコラボレーション(=共同作業)です。

・受け止め方としての実践・恋愛論

 例えば先月お話ししたように、帰幽後不要になる性欲と、不要にならない愛欲は別物ですが、悟ってないと混同してしまいます。

 愛し合う夫婦や家族は霊魂となっても交わり続けることでしょうが、性欲は必要ない物となります。

 若い時は、その二つを分けて考える事に思い及ばない壁がありますが、それを乗り越えると、より視野が広まります。

 男女間の交わりの目的は、愛なのか性なのかに意識が向き、自分が愛する相手に対しての本質を見直す事が出来るのです。

 そうなれば、見た目の美醜をも越えた心の交わりの大切さに気付く事が出来るのです。

 そこで、例えば小説や映像の恋愛物語が、例えば性にだけ特化或は偏った恋愛論にならない為の視点が出来るのです。

・実践と分かち合い

 こうした考え方や悟りは、身の回りに大小ない交ぜに転がっているものです。

 それを自分でも見付け、或は分かち合うのも人生の醍醐味の一つでもあります。

 神理教徒は、神髄を既に悟っている、或はその寸前に居る事へ気付きましょう。

 その悟りを元に現実に対処し、自分と周囲の幸福を希求すべきで、また、その希求を通じて人の心は一生成長するのです。

 ここに上げた悟りだけで、整合性を持ちながら、大部分の生活の難儀に対処出来ます。

 本教の教えは、人造教ではなく、日本人が何千年も積み上げて来た叡智、即ち天造の教えだからなのです。

 童話の『青い鳥』、(しん)(げん)の『灯台(もと)暗し』のように、正に幸せ・真実への悟り・道は、実は太古の昔から足下にあるのです。以上の六つを踏まえ、それを丁寧に辿(たど)って行きましょう。

 神道は宗教の基本ですから、その悟りは総ての宗教・哲学に共通する基底となる筈です。

 必ず自他の幸福・安心への道を、確固とすることが出来るでしょう。

 

祈り・信仰・宗教の本質

・朽ちない、朽ちにくいもの

 まあ、こうしてお話しする多くは、他教にない悟りですが、見出しについて本教の視点から(まと)めたので紹介します。

 人の本能である祈りは、自分で限界を定めたり罪に触れたりしない限り純粋であり、朽ちることはありません。

 近年無信仰を自慢、或は信仰を軽視する人がいますが、祈りは人としての本能・基本ですから、よく振り返って貰いたいものです。

 祈りを社会で共有する信仰は、権力に溺れる独裁者が出ない限り、朽ちにくいものです。

 信仰も人類共通の精神文化ですし、人は本来個人主義者ではないので、世界中の村落・民族で受け入れられてきたものです。

 宗教に昇華する前の状態とも言えますが、そこに小さな人間の意図が入ると、天造の教えも人造と化してしまいます。

・朽ちやすい、朽ちるもの

 一定の教義と教祖と組織を持った宗教は、社会や民族を超越する部分で、理性的で良いように感じます。

 しかし、祈りと信仰を包括しつつも腐敗する事が往々にしてあります。

・宗教が朽ちる理由

 その理由の一つ目は、人間本来の弱さで、個人も組織も権力に溺れ、それを利しての諸欲の貪りに陥ることです。

 その理由の二つ目は、人造教の構造的な欠陥で、一人或は少数の教祖が創造した故に進化が出来ないことです。

 例えは悪いのですが、暴力団の親分が黒といったら、本当は白くとも黒です、と言わなければらないのと同じです。

 一旦教祖を普遍で絶対の存在と決めつけてしまうと、それを正当化する為にこじつける、という本末転倒に陥ってしまいます。

 人を救うための教義が、教義を正当化する為にごまかしや嘘に染まってゆくのです。

 また、組織の維持や拡大への欲、他教との比較競争など、卑近な感情に囚われ、戦争の原因にさえなってしまうことです。

 そこで、その純粋な原点である祈りや信仰を忘れてしまうのです。

 人造宗教の多くは、人類・民族が培ってきた純粋な祈り・信仰を、自分達の宗教への忠誠心のようにはき違えているのです。

 自分達の宗教が興る以前の祈りや信仰を否定する内に、(たま)(たま)言葉が同じ事からか、それを軽視するところから、腐敗が始まるのです。

・本教は朽ちるか

 では本教は朽ちないかというとそんな事はありません。前小見出しの理由の一のような人間本来の弱さがあり、それを教えにより克服するのが日常(=本来)の修業です。

 天造教・古神道である本教は、この純粋な原点である祈りや信仰が常に基本です。

 そして叡智を積み上げて来たように、本教という一つの集大成を元に、時代に対応する古くて新しい宗教で有り続けるべきなのです。

平成31年3月号 No.1261  2019-3