(おのず)(から)(みち) 329 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

三つの財産1(()(きょう)(かい)は、一連の題が終了後再開)

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

 先月から、春の大祭講話を、少し掘り下げながらまとめています。

古神道と本教・神理教

 (にぎ)(はや)(ひの)(みこと)(こう)()とする(ほん)(きょう)は、(もの)(のべ)(かんなぎ)()(かばね)、佐野の(うじ)()る中で受継がれました。

 本教は、古神道と影響を及ぼし合いながら、十代の宗祖・()()(こと)宿(すく)()の時には、教義大系がほぼ整っていたと、家伝書から考えられます。

 その後も、何人もの(えい)(まい)な先祖が、この教えをその時代に合わせて分かりやすく伝え、世に役立てて来ました。

 そして、七十七代の教祖・佐野巫部経彦が、明治初期に開示する為、一教独立時に古事記の一節から戴いた教団名が神理教です。

 本教・神理教は、古・純神道を目指す、伊勢神道を始め、吉田・吉川・(すい)()神道等とも影響を及ぼし合いながら、独自の歴史を歩みます。

 教祖の時代は、古・純神道は外国文明が入る前の習俗・信仰を探る国学として、(もと)(おり)(のり)(なが)(ひら)()(あつ)(たね)時代を受継ぎ研究されました。

 教祖は、当時の篤胤に並ぶ泰斗で、小倉藩士の西(にし)()(なお)(かい)(おう)師事し、国学の素養を元に、家伝の教えを、大成・開示されるのです。

 直養翁は吉田松陰の師でもあります。

古医道と教祖・皇国医道

 実は、古神道と本教・神理教と同じ様な関係が、古医道と教祖・皇国医道にもあります

 教祖は、(にしき)(こう)()家から学んだ日本の古医学と家伝の医学から皇国医道を大成し、門前市を為す程の信頼を得ます。その後、もっと多くの人を救いたいと、一旦医業を閉じ、これも家伝の古神道を復活開示されます。

 しかし、問診や施薬は止めたものの、皇国医道の心得は、教えに伝わっています。

 本教には、教祖の医学書も伝わっていますが、教書には、それを元にした生活の知恵や医術とは別の神術が数多く記されています。

 筆者は、その中の、『()(みず)の巻(二代管長)』『(あん)()の灯台』『(じん)(たい)(ほん)(げん)(こう)(瀬戸政光十五代総監)』の合本を、講習会等で使ってきました。

 ここでは、その生活に役立つ教え・神の心の一部を、お取り次ぎしたいと思います。

(しも)の病気の(とら)え方   (人体本言考の抜粋)

 下の病気とは、性病や陰門・陰茎・肛門、婦人病では冷え・血の道の病気を指します。

 男女の性病に(かか)わる器官の(やまい)を指すものの、女性の方が(かか)可能性が高いと見る向きが多いようです。

 男性は、妻や家族や知り合いの女性がこの病気をした時、例えばその原因である”(ほう)(らつ)“をしたからだと冷たく見下しがちです。

 しかし、その放埒とは、実は男性が行ったのが、その原因の事もあるのです。

 対岸の火事のように無責任に思っていたら、実は自分が原因となってないかを反省する、と共に思いやりの心が大切です。

 この神の(ことわり)に気づかないと、同じ病気が自分に廻って来る事になるし、その罪を祓わないと、子孫にまで及ぶこともあるのです。

 他人の不幸を、見て見ぬ振りをするのではなく、家族・()()へ、出来る事はさせて頂く、という気持ちになる事が大切です。

 交通事故に、(ひゃく)(ぜろ)(どちらかが百%悪い)の事故はほとんど無いと言われます。

 これと同じで、男女や同性同士の(あつ)(れき)でも、善悪が一方に(かたよ)る事は、少ないものです。

 自分の言動や心の持ち方が、妻や家族等に下の病気を起させる原因を作っていることも考えられます。

 気付くか否かに関わらず、自分が作った原因を放置すると、それは又、自分にも同じ病気災難として巡って来ることになります。

三段階の気付きからの必然の奇跡

 例えば夫婦・友人同士の(いさか)いも、一方がその無益さに気付く事が出来、先ず、言葉や力での圧力を()めるのが第一段階です。

 次に、若し相手がその罪のせいかは原因不明でも病気災難にあった時、冷視や憎しみを乗り越えて思いやるのが第二段階です。

 ここまででも状況によれば奇跡に近いかも知れませんが、その奇跡が再び起きて、もう一方の気付きになるのが第三段階です。

 そこで、お互いの思いやりの気持ちに気付き、後の付き合いは別にして感謝や反省の言葉が出せれば、素晴しいことです。

 この境地に至ってこそ、(しも)の病気は元より、色んな病気にも(かか)りにくくなるし、反対に、出来なければ、次に進めないのです。

 物理的な現状は別にしても、精神的に強い免疫力が出来ることは確実ですし、それが又物理的な病状も回復する力が出て来るのです。

 流れが良い方に向い出すと、色んな要素が合わさって、必然の奇跡となるのです。

 逆に、この境地に至らないと、病状は良くならないし、一層悪化することになります。

 是が神の(ことわり)、この古代からの知恵に気付くことも、本教の目的の一つです。

祖先と自分の、(ばつ)(ざい)(せき)(とく)(せん)(ざい)(しょう)(とく)

 父、四代管長の友人で晩年になっても、そこそこに健康で遊びに来て碁を打ち、酒を酌み交わす人がいました。もう父もその友人も故人となったから、お話しすることです。

 若い時は会社を経営しつつも(ほう)(らつ)し、性病となり、それが妻に移り、その子も生まれながらに性病を得たとの事でした。

 男性社会と言われる当時も、家族にとって我慢出来ることではなく、家は崩壊寸前となったようです。

 しかし、どこで改心したかは聞いていませんが、晩年はこうした穏やかな生活を取り戻したのでした。

 筆者は、この父の友人は祖先かご自分のかは分からないけれど、徳があるのだなと考えたことです。

 徳が無ければ、小さな心得違いでも、悪い風が吹けば、取り返しがつかなくなる人の方が多いものです。

 しかし、こんな大きな心得違いも、本人の努力もあるでしょうが、乗り越えたのは、徳のお陰だと思います。 

 (つづく)

平成30年6月号 No.1252  2018-6