本教の目的(
(古神道・神理教を“
・宗教本来の目的と勘違い
本教の目指す信仰の在り方・目的は、高祖
宗教本来の目的は、何でしょうか。
本教というより宗教本来の目的を三つに分けてお話しします。先ず、
1.『生前から死後に至るまでを、どう考え・工夫をし、どう良く生きるか』だと考えます。
そこにその信仰に伝わった考え方や、宗派の教義が活かされるのです。決して集金や勢力拡大(欲や衰亡への恐怖感の裏返し?)という、勘違いに
本教も含めて多くの教団が、時折是等の感違いに陥ることがあり、その大部分が本来の在り方に戻れないように見えます。
何故勘違いから戻って来られないのか。
そして何故本教は、長い歴史の中で、もし一旦勘違いをしても、その都度戻って来ているのでしょうか。一つは次の二つ目の目的が明確だからだと考えます。それは、
・御教祖の悲願
2.『この世を神世のように平和で充実した世界とすること』です。
これを夢物語と思い込むのは、それこそ夢
も希望もない、これも勘違いだと考えます。
宗教独特の具体性のない夢物語、と感じられる向きもあるでしょうが、違います。
働くを、自分や家族の為だけでなく、
具体化の方法は、幾つもあり、それらが相互補完を行いながら、現実をより良い、
例えば本教御教祖の悲願は、再び医師の立場に戻って社会奉仕の施薬院を作り、又宗教家の立場から孤児院を作る事でした。
その部分で神の世を作ろうとされたのです。
そこまで行き着かなかったのは、なんとも残念、との言葉も
明治時代には、こうした社会奉仕には、基本的に国や地方公共団体からの補助はなく、自身や有志の寄付に頼る他ありませんでした。
しかし現代は、完全とは言えませんが、教育や社会福祉で充実している部分もあります。
・本教の貢献@
本教は、境内の自然に恵まれた環境を、大変安価に学校法人神理学園に提供しています。
神理学園はそれと補助金を活用し、乳幼児や卒園生を中心とする小学生達に、理想の教育環境となるように目指しています。
正に神の世のような、教育現場です。
3〜5歳児の異年齢保育や”幼小一貫“等の新発想が、その実現に近づけています。
又、その運用の流れで”幼老共生“として高年齢者のデイサービスを誘致し、常に互いが近くで刺激しあえる環境を目指しています。
加えて、
又、神理学園では本院に
形は違えど、今も本教は、御教祖
・何故勘違いから戻れないのか
2.の『この世を…』を確りと踏まえていれば、勘違いから戻って来る事が出来るのです。
しかし他教の多くは、厳しい現世を
この勘違いを利用し自爆テロ等、宗教指導者だけが得をするような
自分と先祖の
今の不幸せを
宗教団体が母体の学校の多くは、その団体の宗教教育を
その宗教の教えを活用して
多分、自分達の教えが完全に正しいのだから、という
その点、信仰自体の
日本の神道一般は、敬神尊祖という教義基盤を持つものの、宗教へ昇華されていないからかな、とも感じます。宗教の条件である、教義・組織・教祖の三つが揃わないからです。
その点では本教と違い、日常への活用に難が感じられますが、それを誇りにこそ思っても、決して卑下するものでは有りません。
神道一般は、日本民族の叡智の集積から、宗教の基本を備えているものだからです。
本教は、教義を教え込むというより、日本民族の叡智として伝わった生き方を洗練させ、共感・活用して頂くことを指針としています。
反対に、教育や育や社会福祉を集金や勢力拡大等に使い、その
・本教の貢献A
本教では、昨年より“
又、霊魂観や
現在続けている、御教誡や、この後紹介させて頂く、『三つの財産』始め、神道一般を補完し、生活に安心出来る思いの持ち方等です。
是等は、教師
三つ目として、
3.『究極的には、この世を神世とし、宗教・人種・民族・国家を問わず、全ての人が平和で充実した人生を過ごせるようになる事』です。
その為には、この3章1節で述べた、簡易で自然な教えを理解し、先祖の霊魂(四魂)が安定することから、その守りを得る私達の心身も安定する、という誠の悟りを得る事です。
その手法が広く活用されることを、祈るところです。
こうした事を世の役立ちに使って頂くのが、本来の宗教の目的だと思われますし、少なくとも本教ではそう考えています。