(おのず)(から)(みち) 326 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))24

 

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

第一条のまとめ2

9)まとめ(第一条の概略・筆者付加)2

*神の守りを招く素直な心

 心のままにならないと思い込むのは、その人の心が、神と祖先から離れているからです。

 神の心を素直に戴き、自分だけでなく世の為人の為に尽す、奉仕の気持ちが大切です。

 本来、神の心から漏れている人は、一人もいないのです。

 素直な心さえあれば、行う事業は、必ずそれに必要な人や金品を、神に授けて戴けます。

*神は人を罰しない

 人は、少し自立が出来ると、素直な心が薄れ、謙虚な口ぶりとは裏腹に、今の自分があるのは自分の力、と思い込みがちです。

 そこで神と祖先の心や徳への感謝が薄れ、神からの気が枯れ(=(けが)れ)、迷い(=(まが)・呼び)、事業も停滞して、苦しむ事になります。

 神を信じることを、自分の価値を下げるように思い違うから、結果的に神と祖先の導きや徳を拒否する形になってしまうのです。

 そこで幸運な時に舞い上がれず、不運な時に踏み止まれない状態を、他人や自分で罰を受けたと、勝手に思い込むのです。

 神は常に私達に神徳を与え続け、決して罰を与えたり、徳を絶ったりする事はないのに、自分からその道を閉ざしているのです。

 神は人を(きた)め(行った罪を問いただし、反省を促し)ても、罰することはありません。

*人は神と同じ理念・目的を持っている

 人は神の(わけ)(みたま)(ぶんれい)、と(とら)えることが出来れば、真の自由は神と同じ心を持ち、その目的は、この世を神の世とすることです。

 神と人はその霊魂の量が圧倒的に違うだけで同質である、と捉えられれば、人は神と同じ理念と目的を持っていることになります。

 そこが理解出来れば、人は決して神の使いっ走りや奴隷等ではなく、同じ目的を持つ先祖と子孫・同士であることが自明となります。

 大元の先祖である神に頼るのは、決して盲信ではなく、格好の悪いものでもありません。

 祖先・親と私達、私達と子・孫の心が違うと感じるのは、心が(ゆが)んでいるのではなく、心が罪に染まり、物事が正しく見えないのです。

 親子や会社の上下関係に於いて意見が違う事がある理由も同じです。

 より良くしようとする理念と、その為の目的が同じでも、どちらか或は両方の心が穢れて、方法を違えているのです。

 互いの大小の微妙な罪による陰りが、互いに誤解を生んでいるのです。

 そうした悪い環境を互いに作ると、目標を達成し、成功を得る事が出来ません。

 互いを神と尊敬しあい、先に謝った方が勝ちと、相手より自分の非を反省して、分かり合えるよう努めることが大切です。

 

*神徳を受けるには

 神と人は、信仰の代りに徳を与える等の、いわゆるギブアンドテイクではありません。

 親と祖先の大元の神を素直に信頼する事が、神徳の道を広げることになり、自分だけでなく家族や社会の為にもなります。

 それを分かりやすくする為に、次のように整理して考えてみましょう。

1.神は(おお)(つち)の上の全てを産んだ大自然ですから、人はその子孫であり、即ち神の子孫・(わけ)(みたま)(ぶんれい)です。

 だから、親が子を(いと)おしむように、神は常に徳を与えようと、作用しています。

2.神の徳とは別に、世の中に景気・不景気の風があるように、幸運と(なぎ)不運が不規則に吹きつけています。

3.七罪に気を付け・罪を祓い・神気を戴き・八徳を行うという、幸福への道程を踏む信仰人は、清くて軽い霊魂となります。

 その人は、幸運の風が吹く時には、(たこ)舞い上がるように大きく羽ばたき、不運の風が吹く時は、足を地に付けて踏み(とど)まります。

4.そうでない人は、濁って重い霊魂となり、良い風が吹いてもそこそこで、悪い風が吹くと、吹き飛ばされてしまいます。これが(もとつ)(おしえ)・古神道・神理教の伝える『神の(ことわり)』です。

*特別な人?

 勿論、こうした心掛けをしなくとも、運の良い人もいます。こうした人が、

「特別な信仰などしなくとも、私は強運を持っているから大丈夫」と豪語するのを聞くこともあります。多分、自分が努力されていて、

「努力が強運を呼ぶので、他人は自分のような知恵や能力や努力が足りないのだ」と思われているのかと推測されます。

 それなら障碍者はどうなるのでしょう。

 勿論、本人の努力にも一理ありますが、その方は、親や祖先が積み上げた目に見えない徳があることに心から気付いていないのです。

 多分、一見ご自分も家族も皆で幸運の中に過ごされているように見えて、辛い思いをされている家族も既にいるのだと思います。

 そして、祖先の徳はご自分が使い果たし、或は借財となった不徳を、子孫が支払わなければならなくなるという(ことわり)が作動します。

*永代の幸せ

 人生は、自分だけで見るのではなく、子孫も見守る事が出来るような、より長い目で掴もうとする、幅拾い考え方が大切です。

 せめて、親と祖先に感謝する気持ちが大切ですし、それを形に表せればより丁寧です。

 それは、ただ宗教に頼ることではなく、人の本性である信仰心に気付く事です。

 その信仰心が自然に発露出来る、本教のような信仰に巡り会えれば、それは(ぎょう)(こう)です。

 先ずは、ご自分の努力による、精神と生活の安定は、御先祖の安心に繋がる基本です。

 同時に、子を大切にするように、祖先の霊殿やお墓を綺麗に保ち、これも人の本性である祈りを捧げ、他人にも役立つことです。

 どうすれば御先祖が喜ばれ、心地が良いかを考えるのです。

 (まと)めると、『感謝・反省・奉仕』となり、これが『信仰の三原則』といわれるものです。

 自分の努力はお金と同じで、三代も続きませんが、徳積みは、子孫の気付きと共に、税金も取られずに、永代の可能性があるのです。

         (以上第一条{概略}終り)

平成30年2月号 No.1248  2018-2