(おのず)(から)(みち) 335 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

あなたはもう(さと)っている!3.

 (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

つ、祓いの本質を知っている、のつづき

 祓いの方法は、ここで何度か触れたので簡単に述べますが、例えばご自分でも(よう)()に出来る、(こと)(だま)祓いがあります。

 ここで何度も述べたことながら、日本人は太古の昔から言葉を大切にします。

 (のり)()はその(すい)で、()(れい)で良い言葉は自分や周囲を善くし、汚く悪い言葉は自分や周囲に罪を(かぶ)せてしまう、と考えます。

 そこで普段から綺麗で善い言葉を使うと共に、須佐之男命から伝えられる「(わが)(こころ)(すが)(すが)し」を唱えます。

 また古神道の陰陽五行の教えの凝縮でもある「トホカミエミタメ(遠津神笑み給え)祓え給え清め給え」も、誰でも何時でも使えます。

 その他、(いろ)(だま)(おと)(だま)・水や火の祓い・祭等、様々にありますが、別の機会とします。

 では祓えばどうなるか。(ひん)すれば(どん)する((おろ)かになる)等の状況が無ければ、人は本来罪を犯しませんし、悪い事はしないものです。

 祓いの本質も何度目の事ながら、2.3.で述べたように、人は神の分霊・子孫ですから、霊魂は神と同質です。しかし、神に比べると余りにも小さく、(つみ)()まり(やす)のです。

 例えば良かれと思って忠告をして(さか)(うら)みをされたり、反対に逆恨みをしたりして、罪を被り善い心が閉ざされる事があります。

 (いわ)(ゆる)(ゆくり)(なく)(こころならずも)犯す罪です。

 そして心が閉ざされると周囲が正しく見えず、また神と祖先からの徳を受けることが出来ない、()ね返すような状態となります。

 (すなわ)ち、罪の(ほん)(げん)(その言葉の持つ本来の意味)である、霊魂が包み・隠された状態です。

 それが、先に上げたような祓いにより、その(ほん)(げん)である、()(あら)せとなり、朝日が出るような、雲から日が出るような感じとなります。

 そこで、周囲がはっきりと見渡せ、神と祖先からの徳を戴くことが出来るのです。

悟りの本質・目的2

 ここで9月号に続き、もう一度悟り…について振り返ります。

 悟りと言えば、神や仏の存在に気付き、(こう)(ごう)しい色だったとか、慈愛に満ちた感覚だった等を指す、と思い違えてはないでしょうか。

 厳しい修行があってこそ、存在や感覚を捉えたと思うのは、勘違いだと考えます。

 厳しい修行をしなくても、日々を懸命・誠実に過ごす内に、アイデアとして仮定され、或は(ひらめ)として神の存在に気付いたのです。

 そして、それが正しいかどうか、沢山の人が長い年月を掛けて、叡智や感性を集積させて、その存在を認め合ったのです。

 それが、天造の神です。

 (あたか)も言語が同じ様な集積によって出来上がったのと似て、一人、或は少数の天才に築き上げられるものではありません。

 

 それらは、天造教を否定しつつも、神の存在や天国地獄の観念を真似して、脅しの道具に作り変えた人造教に過ぎないのです。

 悟りとは、先々月から語る具体的、且つその本質を知ることで、それぞれが日々に活かせる小さな悟りの発見に、活かせるものです。

敬神尊祖を忘れた訳

 その天造教の大きな柱が「敬神尊祖」です。

 これは、他の人造教に真似の出来ない教義であり、悟りなのです。ここに気付かずに、神道に教義がない等と公言する神道者がいるのは、嘆かわしいことです。

 では何故神道を(なり)(わい)しているのか?

 決して生活の為だけでは無いはずですから、よく自分と向き合って頂きたいものです。

 それぞれの本性は、きっと神道の(おく)()その素晴らしさに気付いているのです。

・敬神(大元の神)を忘れた訳

 では何故忘れて思い出せないのか。

 一つは、日本人特有の()(ぎゃく)()(かん)でしょう。

 他の宗派から無いと言われて、右向け右に向いたままになっているのです。

 多分、文明の高い国は、文化や宗教も高い、隣の芝生は立派だ、と思い違えたのでしょう。

 例えば、何故神道以外でただ有り難いと聞かされ内容も分からず、葬儀も結婚式も一緒の梵語や中国語のお経で式を行うのでしょう。

 宗教は皆道徳規範を持つ物ですが、多分宗派の優劣をその規範の説明技術の優劣で行う、と言う勘違いではないかと考えます。

 日本は鎖国等の理由により文明は遅れた時代もありますが、文化と信仰と道徳は、常に最高であることを忘れたのです。

 

 二つは、江戸時代の(てら)(うけ)制度で神葬祭や霊祭を禁止され、明治になって(注:)(きょう)()(しん)(とう)でな(注:)(じん)(じゃ)(しん)(とう)の神主はそのままとされます。

注:明治政府によって区別された。

 神社神道の(ほん)(そう)は伊勢神宮で、神社本庁事務所は明治神宮境内にある。

 教派神道は、それぞれが独立した本部を持つ。

 自身と家族の神葬祭と霊祭は許されるものの、氏子へのそれと布教は、官僚であることを逆手にとられ、禁止されたのです。

 国からの補助のない、教派神道十三派のみが許されたのです。しかし、教団による方針の違い等で、教派の信徒でも、多くは(しゅう)()を神道に戻さず今に至っているのが現状です。

 うやむやの内に本当に自由となったのは、何と太平洋戦争が終わってからなのです。

 そこで三百五十年もの間、神葬祭と霊祭と布教を奪われた神主の多くは、どうなったか。

 明治を始め、何回か神社本庁からの式次第の通達や講習会はあったようですが、なかなか浸透しません。その理由を考えると、

 一つは、式次第が神宮や稲荷や八幡等多くの様式を当たり障り無く(まと)めると、神葬祭の本筋や目的が見えて来ないのです。

 神道布教については、祭事の経験しかなく、教えが無いと思い込んでいるからか、熱心になれません。

 儒教を引用して道徳の話しをしたり、「(こと)()(教義の説明)をしない」等、平安以前の死語を理由にしたりする人が多いようです。

 この言葉は、しなくても理解しているという意味で、教話を避ける理由にはなりません。

                (つづく)

 

平成30年11月号 No.1257  2018-11