あなたはもう
(古神道・神理教を“
四つ、祓いの本質を知っている、のつづき
祓いの方法は、ここで何度か触れたので簡単に述べますが、例えばご自分でも
ここで何度も述べたことながら、日本人は太古の昔から言葉を大切にします。
そこで普段から綺麗で善い言葉を使うと共に、須佐之男命から伝えられる「
また古神道の陰陽五行の教えの凝縮でもある「トホカミエミタメ(遠津神笑み給え)祓え給え清め給え」も、誰でも何時でも使えます。
その他、
では祓えばどうなるか。
祓いの本質も何度目の事ながら、2.と3.で述べたように、人は神の分霊・子孫ですから、霊魂は神と同質です。しかし、神に比べると余りにも小さく、
例えば良かれと思って忠告をして
そして心が閉ざされると周囲が正しく見えず、また神と祖先からの徳を受けることが出来ない、
それが、先に上げたような祓いにより、その
そこで、周囲がはっきりと見渡せ、神と祖先からの徳を戴くことが出来るのです。
悟りの本質・目的2
ここで9月号に続き、もう一度悟り…について振り返ります。
悟りと言えば、神や仏の存在に気付き、
厳しい修行があってこそ、存在や感覚を捉えたと思うのは、勘違いだと考えます。
厳しい修行をしなくても、日々を懸命・誠実に過ごす内に、アイデアとして仮定され、或は
そして、それが正しいかどうか、沢山の人が長い年月を掛けて、叡智や感性を集積させて、その存在を認め合ったのです。
それが、天造の神です。
それらは、天造教を否定しつつも、神の存在や天国地獄の観念を真似して、脅しの道具に作り変えた人造教に過ぎないのです。
悟りとは、先々月から語る具体的、且つその本質を知ることで、それぞれが日々に活かせる小さな悟りの発見に、活かせるものです。
敬神尊祖を忘れた訳
その天造教の大きな柱が「敬神尊祖」です。
これは、他の人造教に真似の出来ない教義であり、悟りなのです。ここに気付かずに、神道に教義がない等と公言する神道者がいるのは、嘆かわしいことです。
では何故神道を
決して生活の為だけでは無いはずですから、よく自分と向き合って頂きたいものです。
それぞれの本性は、きっと神道の
・敬神(大元の神)を忘れた訳
では何故忘れて思い出せないのか。
一つは、日本人特有の
他の宗派から無いと言われて、右向け右に向いたままになっているのです。
多分、文明の高い国は、文化や宗教も高い、隣の芝生は立派だ、と思い違えたのでしょう。
例えば、何故神道以外でただ有り難いと聞かされ内容も分からず、葬儀も結婚式も一緒の梵語や中国語のお経で式を行うのでしょう。
宗教は皆道徳規範を持つ物ですが、多分宗派の優劣をその規範の説明技術の優劣で行う、と言う勘違いではないかと考えます。
日本は鎖国等の理由により文明は遅れた時代もありますが、文化と信仰と道徳は、常に最高であることを忘れたのです。
二つは、江戸時代の
注:明治政府によって区別された。
神社神道の
教派神道は、それぞれが独立した本部を持つ。
自身と家族の神葬祭と霊祭は許されるものの、氏子へのそれと布教は、官僚であることを逆手にとられ、禁止されたのです。
国からの補助のない、教派神道十三派のみが許されたのです。しかし、教団による方針の違い等で、教派の信徒でも、多くは
うやむやの内に本当に自由となったのは、何と太平洋戦争が終わってからなのです。
そこで三百五十年もの間、神葬祭と霊祭と布教を奪われた神主の多くは、どうなったか。
明治を始め、何回か神社本庁からの式次第の通達や講習会はあったようですが、なかなか浸透しません。その理由を考えると、
一つは、式次第が神宮や稲荷や八幡等多くの様式を当たり障り無く
神道布教については、祭事の経験しかなく、教えが無いと思い込んでいるからか、熱心になれません。
儒教を引用して道徳の話しをしたり、「
この言葉は、しなくても理解しているという意味で、教話を避ける理由にはなりません。
(つづく)