家族葬について2
(古神道・神理教を“本教”と記します)
御教誡を今月までお休みして、表題についてお話しします。
家族葬をする事情5
大体以上(先月述べた)のような事情が多いと思うのですが、最近、又進化したような、無宗教で家族葬をした方の話を聞きました。
筆者は、これも家族葬等から自然に成長した、未完成ながら一つの叡智だと感心しました。
それは、僧侶や牧師や神主に頼まず、家長である自分が故人に対しての御礼や慰霊の言葉を述べた、との事でした。
続いて、家族が皆で順番に霊前に進んで、同じ様に挨拶をして式を終えたとの事でした。
その後の霊祭の継続や遺骨の扱い等、どう考えているのかは不明なものの、葬儀の部分の在り方は、不自然に感じられません。
それは、江戸時代初期に寺請制度という仏式の葬儀を強制される以前の、日本人本来の葬儀の在り方に類似しているように感じました。
一度には変わらないかも知れませんが、近年の高額な葬儀式に反発するような、世間の流れが元の在り方に回帰しつつあるようです。
それならば、折角積み上げられてきた日本の葬儀式の文化や、本教に伝わる洗練され安価な
葬儀式の文化を利用した方が良いと思います。
今から又数百年の試行錯誤をして、寄り道・回り道をするより、効率が良いと思います。
先ず、今までの神道の流れを振り返り、本来の葬儀の在り方を述べたいと思います。
日本人が中世に神道に距離を置いた経緯
日本人は、仏教伝来の西暦五百年代以降、そんなに間を置かずに、ずっと仏教徒だった、と思い込んでいる現状肯定派が多いようです。
この派による様々な勘違いは、人類・日本人のテーマと感じますが、それは信仰・宗教にも昔からあり、今も続いています。
仏教は儒教や道教と前後して、当時の日本には煌びやかな文明と共に日本に伝来しました。
当時の貴族階級は、進んだ文明を持った国には進んだ信仰がある、と思い込んだようです。
それは、キリスト教が鉄砲やガラス等と共に伝来した時も同じでした。
そこで仏教は、発生地の印度でも使った、本地垂迹説という、仏が中心で実は日本の神々はその使いっ走り、という説を展開します。
自分勝手な説ですが、文明という光に惑わされ、多くの日本人は此を信じてしまうのです。
そこで、多くの日本古来の神社に僧侶が支配者として入り込むという、おかしな迷いの時代が長く続くのです。
因みにこの説は郭公等が百舌等他の鳥の巣に卵を産んで育てさせる托卵と似て、進化の競争の中で、気付かれると難しくなるようです。
印度で一斉を風靡した仏教も、今は元のヒンズー教に戻り、北伝の支那や南伝の東南アジアも元の民族信仰やイスラム教になっています。
近隣の台湾・朝鮮で約三〜四割と聞きます。
日本は九割位でしょうが、その中で葬儀回避という新たな流れが出来つつあるようです。
真似の葬儀は不自然だからだと思われます。
仏教は貴族階級の嗜みが武士階級に広がり、鎌倉時代から庶民へ伝わるようになりました。
しかし、それは一部の大都市であり、大部分の農村地帯は氏神信仰が中心であった事でしょう。その大都市の庶民も、葬儀を仏式で行う家はごく一部だったと思われます。
神式を含めて、神主や僧侶に葬儀を頼むような経済状態ではなかったと思われるからです。
先ず、本来の仏教は、ヒンズー教の受け伝えから輪廻転生といって、他の動物に生まれ変わる事から、先祖の霊祭の考え方がありません。
しかし仏教は日本仏教として日本式の葬儀・霊祭を、お経を使って行うようになりました。
葬儀・供養(慰霊)をしないと、教えだけでは伝道が長続き出来ない、と悟った?ようです。
日本人が近世に神道に距離を置いた経緯
日本人のほとんどが仏教徒になったのは、江戸時代初期の寺請制度によるものです。
余程大きな神社の宮司だけは良くとも、家族は仏葬を強要されます。当時の神主や神道家に取っては大きな屈辱でしたが、江戸幕府の力は強大で抵抗しようもなかったのです。
寺請制度は、江戸時代の初期に、お寺を役所のように戸籍を扱わせ、そのご褒美のように仏式の葬儀と法事を行わせるものです。
加えて日本をキリスト教から守ると言いな
がら、実は国民の心を天皇家から切り離すという、一挙両得・三得の巧妙な政策です。
江戸時代の日本人は、これに完全に惑わされ、それは現代にも大きな影を投げています。
しかし、国学の四大人(荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤)や本教、又、皮肉にも徳川水戸家の国学の思想を基に時代は変わります。
現代は、その後の紆余曲折の末に、象徴とはいえ天皇を中心とする時代が戻っていますが、形はあっても心が伴っているとは言えません。
今の世も、信仰や葬儀・霊祭の本質や流れを知る人は少なく、未だ混沌としているのです。
日本人本来の葬儀・一般の神葬祭
江戸時代より前の葬儀は、家長、或は本家や部族の長や村長等が、行っていたと思われます。
それは、古来の氏族制度の流れの中で、自然な習慣で、冒頭の家族葬が似ていると述べたのに、得心が行く事でしょう。多分、もしかしたらお経を上げる事も有ったかも知れませんが、多くは日本の言霊である、祝詞を使ったことでしょう。当然のようにその式次第は、氏族制度から伝えられた神式であったと思われます。
現代の葬儀・本教の神葬祭
現代の世情も少しづつ、そして気が付けば大きな変遷を遂げつつあるように感じます。
冒頭のように行って頂いて構いませんが、もし本教で行うならば目的が明確になります。
本教の葬儀式は、古式を復活させ、且つ霊魂の安定という目的を以て行われるものです。
遺骨の扱いや、五十日祭迄や、その後の年祭に、一層の安定や子孫との繋がりを見つめつつ、行われる事となるのです。