(おのず)(から)(みち) 315 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))19

 

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

第二条祖恩を忘るゝことなかれ2

4)孝行の心

*先祖(まつ)りは親孝行の始め

 親が年を取って祖父母となり、年を経て死(=()()(いぬ)る=神の世界に帰り昇る=()(ゆう))した人の霊魂が、(すなわ)(注:)(うぶ)()(ねの)(かみ)です。

 これに気付けば、神を(まつ)るのは、それがそのまま親孝行の道の始め、ということが理解出来ます。

注:産須根神=厳密には帰幽して五十年の霊祭を経て、先祖から神へと一段格の上がった、(すが)(すが)しくも子孫を守る力の一層強い神霊を指す。

 未満の先祖を産須根神と呼ぶ場合もあるが、混同の嫌いがある。

 産須根神となる事が霊祭の目的である。

(筆者付加→古神道である本教の祭事は、常にこうした目的を持って行われている。

 霊祭=先祖祭は親孝行であり、同時に子孫の為でもある。

 産須根神となる為には、子孫の敬意と霊祭が大切で、それにより双方共に喜び安心を得る。

 即ち、産須根神となった神霊は、守護神としての役割と子孫からの感謝を得る喜びを得、子孫はその守りを得られる。

 親=祖先=神とも言え、神祭は先祖祀りにも通じるのである。)

 

*当然の道の(ことわり)

(こう)(ひゃく)(ぜん)(もと)』という言葉があり、親が子を可愛がる情があるように、子が親に仕えるのも当然と言えます。

 この当然を守らなければ人の道に欠ける事になり、人の道に欠ければ皇道(=神の道)にも(もと)る事になります。

 皇道にも(もと)れば、神の心に背く事から、神の守りを拒否する形となります。そうなると、運不運の波の中で神の救いが受けられず、やがてその身は落ちぶれる事となります。

 生きて行く勢いを失ってしまうのです。

 本教の教師、又は教信徒でもある者は、よくこの(みこと)(わり)(わきま)えて、道の為に尽して行くべきです。

 先ず自分が姿勢を正して行い、幸せを得る事で、周囲の人にもその背中が見本となるような、影響を与える人となりましょう。

5)不孝の心

*親不孝の見本

 私の郷里に、親不孝の人がいました。

 その人は、八人兄弟・姉妹の長男でしたが、初めての子ということで、大変大切にされました。

 親は先祖伝来の資産を減らしてまで学資を掛け、祖父祖母までが一緒になって学業の成功を祈ったのでした。

 そのお陰で、学問に於いてはそこそこに上達することが出来ました。

 けれどもこの人は、そうした人達への感謝もなく、都会へ出て行き、祖父母や両親や弟妹の面倒も見ようとはしませんでした。

 しかもその学識を活用して、世の為人の為に人の道を尽すこともしませんでした。

 三十.四十才を越えて分別の付く年になっても、自分の事しか考えず、親たちの恩に報いて孝行をする事を知りません。

 私(小田清彦師)は、ある時その両親に頼まれて、その息子の所に説諭に行きましたが、なかなか聞き分けてくれません。

 私(小田清彦師)に向かって言いますことは、

「あなたは親の恩・親の恩と何度も言われる。

 なるほど親があって子が生まれ、その子を苦心して育ててくれた恩があるというのは理解出来る。

 けれども、私達夫婦も子を産んで、私達の親のように苦心し、私達の親と同じ様に可愛がっているのだから、同じ事ではないですか。

 結果的に親の恩を子どもに送っている(のだから、恩返しと同じ。)」と言い返して、応じませんでした。

(筆者付加→こうした自己中心の考え方をする人が、子どもの将来を考えた、真の愛情を注いでいるか疑問です。

 子どもの意志に関わらず、ペットのように目立つ髪型にし、着せ替え人形のように派手な服を着せ、自己満足する親は現代もいます。

 自己満足を愛情と勘違いしているのです。

 自分の子どもが、同じ心を持って、自分達に親や家族に恩を返さないという、同じ行いをしても平気なのでしょうか?)

 (小田清彦師)は、返す言葉を知らないことはありません。

 しかし、ここまで堕落した考えを持つ者に、これ以上の説教をするつもりにはなれませんでした。

 それは(注:)(なか)()(ちょう)(みん)(無神論者)に対する(注:)(うん)(しょう)(りっ)()(真言宗の僧)の説教のようなものです。

注:(中江兆民=唯物論者・無葬儀・フランスのルソーを紹介した明治時代の自由民権運動の指導者・自由党・衆議院議員・幸徳秋水の師。)

 徳育教育を(ひょう)(ぼう)しながら、奇行・毒舌家。

注:(雲照律師=明治初頭の(はい)(ぶつ)()(しゃく)(江戸時代の(てら)(うけ){仏教の強要}制度への反発で、仏教を廃そうとする)運動から仏教を積極的に擁護した。)

 兆民の無神論への頑迷を、雲照が諭す事が出来なかったのでした。

 私(小田清彦師)も堕落した人の心は解く事が出来ないと説教を中止し、空しく引き返した事があります。

 その時、こうした人が社会生活を成り立たせられるのかと思いましたが、その結果、やはり世に成功を治める事は出来ませんでした。

 沢山の資本を掛けて学問をしたことが水泡に帰して役に立たず、過激な行いをする者達の仲間に入りました。

 そして世の人に憎まれるという、最低の人生を歩んでいます。

 こういう人は、調べて見ると社会には沢山いると思われます。

 その大部分は、このような親不孝が良くない人生の要因となっているのではないでしょうか。   

                                                           (つづく)

 

平成29年3月号  No.1237   2017-3