平成28年6月号  No.1228   2016-6

 

(おのず)(から)(みち) 306 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

 

()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))12

               

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

第一条神の心にそむくことなかれ11

2)神様の存在を知ること10

 3)神の守りに入る前に、左の見出しに添いもう少しご一緒に考えたいと思います。

・天国・地獄とは何か?(筆者付加)2

 本教では『(いき)る』を、本教に伝わる(こと)(だま)(がく)で、その(ほん)(げん)(=その言葉が持つ本来の意味)を『(いき)()る(=神の()(はい))』と解釈します。

 古事記所載の(こと)(あま)()(いつ)(はしら)(かみ)から霊魂を戴き、(もっ)()()(ごん)(すい)(キ・ヒ・ツ・カ・ミ)十柱から身体を戴き、親を通して生れた、と(とら)ます。

 又『()ぬ』の(ほん)(げん)を『()()(=(れい)(こん))が、()ぬる(=神の世界に帰る)』と解釈します。

 大元の神の御元に帰り昇る、と解釈します。

 本教に(りん)()(てん)(せい)(=生れ替り)の考えはなく、死ねば祖先となって子孫を見守り、子孫が幸せなら天国(=()(わか)(みや))、不幸せなら地獄(=()())に居るのと同じと捉えます。

 即ち、神から生れ現世で生き、死ねば祖先となり、本来は子孫を守る喜びを得るのです。

 私達は決して一人ではなく、社会や家族や祖先と一緒に生きていると考えます。

 こうした考え方が、村落・民族の叡智、即ち自然に安心の境地に辿(たど)着く(もと)()(おしえ)です。

 本教はこうした教え(天造の叡智=神慮)の歴史を活かす大系を持った生活宗教です。

    2)神様の存在を知ること おわり

 

3)神の守り

・小田師(略解の著者)の例え話

 名を成し功を立て学識もある人が、自分の子どもの(おろ)かさを(なげ)き、自分の跡を継ぎ妻子を養うことも出来ない、と(あきら)めていました。

 しかし、その子はその妻と伴に生計を立て、5人の子どもを立派に育てました。

 これは、人を愛すという御神徳のお陰で、そうした良い結果が出たのです。

 昔の人の歌に、

 生れ来ぬ 先も生れて 住める世も

  (まか)るも神の (ふところ)の内

(生れる前も、生きている今も、又死んだ後も、全て神の守りの中での事である。)

 又、御教祖は、

 神ならで 誰かは守る 生れこぬ

  先も此の世も また後の世も

(神は、過去と現在と未来を通して守って下さる。)(さと)されました。

・まとめ(筆者付加)

 神の心を素直に戴き懸命に目的を果たそうとすれば、神は必ず必要な物を授けて下さり、私達は楽しく世を過ごすことが出来ます。

 学識や職業や貧富を問わず、全ての人を 公平にお守り下さるのが神で、神の心・守りから(みずか)ら離れない限り、漏れる人はいません。

 神の心・守りは天地に満ちています。

・大切な物(筆者付加)

 北条(うじ)(やす)が、(あと)()ぎの(うじ)(まさ)が飯に二度汁を掛けるという学習能力の無さを見て、北条氏の没落を予想した、という話があります。

 しかし、ここでは学歴や能力や出生より、努力と信仰の大切さを伝えようとしています。

 努力・熱意と信仰は、自身の能力や此の世だけを尺度としない、周囲や祖先の力を併せるという、より広い見識・人間性を作るのです。

 

4)人の心の浅さ

・不成功の理由

 人は、成功すると、つい自分の力と思い込みがちですが、本当にそうでしょうか?

 人の大元の祖先であるからこその、神の(めぐ)しみや(やさ)しさの()(えん)に気付いてないと、色んな間違いを起こし、苦しむ事になります。

 自分の力と思い(あやま)事から、気付かない内に神の守りを結果的に拒絶する事になります。

 逆に、何をするにも目には見えない神の心(注:)(うらな)(うかが)って懸命に行うなら、必ず神の心に添い安心を得る事が出来るのです。

注:占い=(ほん)(げん)(その言葉の持つ本来の意味)は、(うら)(=裏、即ち心)(あわ)せで、神と心を合わせる事。

 神の心に添い誠心を奮い起こして、社会の荒波を泳ぎ抜く決心さえすれば、思い願う事は必ず(かな)えられます。

 しかし残念ながら、現代人から感謝や神の守りの念が、忘れ去られようとしています。

 科学や理性主義が進んだ近年、神を信じるのは迷信で、まるで自分の価値でも下げるかのような考え方が形成されているようです。

 その結果、神や祖先の力を拒絶する事となり、周囲の同調・協力も得られず、成功・成就出来ないのです。

・自然な信仰(筆者付加)

 心の弱い人が迷信に(まど)わされる、と思い 込むのは、果たして正しいのでしょうか?

 信仰は、神=自然を先祖の大元としての善意と信じる心から自分の行動を意義付ける、という“強く前向きな心の働き”です。

 信仰は信念と同質で、成功者はその両方のバランスが取れる人です。

 今の自分が在るのは“神と祖先の徳を戴いての事”と、前向きな感謝の心を持ちたいものです。

 自分だけの力で事を成している等と思い 誤ると、順調の時には良くとも、もし不運に見舞われた時に自分を見失ってしまいます。

 神祖と伴に、という幅広い考え方が出来てないと“誰も助けてくれない”等、社会や  他人への不信や不満に(とら)われます。そこで益々、その狭い自分の心から抜け出せません。

 反対に出来ていると“きっと救いがある”等、安心や感謝の気持ちが湧き上がるのです。

 神祖への自然な祈り・信仰は、柔軟性・粘り強さ・ゆとり・他者への優しさ、()いては世に役立つ喜びに気付かせてくれます。(つづく)