御教誡十箇条(略解の詳解)11
(古神道・神理教を“本教”と記します)
第一条神の心にそむくことなかれ10
2)神様の存在を知ること9
3)神の守りに入る前に、左の見出しに添いもう少しご一緒に考えたいと思います。
・祈り・信仰・宗教(筆者付加)6
-7宗教の成り立ちと変遷(筆者付加)
(人造教と天造教の違い)2
3月1.宗教の捉え方から、先4月6.他教との違いの・1人造教の役割が終えました。
6.他教と本教の役割・違い
・2教祖の限界
人造教は、絶対化された教祖により教義が示され様式・組織化すると固定化し、その教えの解釈に止まり、あまり進展しません。
天造教は、祈り・信仰に裏打ちされ乍、永年の叡智から教祖等が時代に合わせて、再度 整理大系化する事で進展します。
天造教即ち真の宗教は言語と同じで、決して一人或は少数の教祖に創造・完成出来るものではありません。
宗教組織は礼式や教えや神術等を積み上げるのに便利ですが、人が造ると教えが偏り、排他的にもなりがちです。
・3天造教の役割・目的
本教は、人造教の良い部分を認めながら、目標を見失い道を違えた部分を、人類の叡智である天造の教えから正す役割を自覚します。
我田引水の誹りを恐れずに言えば、天造教とは、主祭神等が不明確ながら一般神道と、それを深めた本教を於いて他にありません。
宗教は現代のように分離した状態でお仕舞いではなく、きっとこれからも多くの人本来の良心と叡智によって、自然に統合されて行く事でしょう。
キリスト教でもプロテスタント(新教)等は、派によっては天造教への回帰を模索しているようにも感じます。
本教はその自然の道の中心に位置して、 永く天造の教えの形成発展に役立つことでしょう。
肥大化する物質文明と精神文化の乖離は、今後も益々進んで行くと予想されます。
そこで、本教のような教団が太古から見え隠れしながら、現代にも姿を現したのだと 認識します。
現代には本来の信仰を活かし維持する為に、天造の教えが必要なのです。
信仰の活かし方を、例えば霊魂観や死生観や祓い等を叡智として教え継ぐのも、天造の教えの役割の一つです。
・4一般神道と本教の違い
神道一般と古神道の本教は、祈りと信仰の 叡智を元に、古来交流しつつ進展してきました。
若干解釈は違うものの『神典(古事記・日本書紀・延喜式等所載)』は共通の原典です。
神社一般は、祭神・教義・儀式・教団名等の 統合する宗教の一歩手前の観があり、多様で
他教と混合・習合している神社もあります。
しかし、敬神尊祖を主に人類本来の宗教の基本を備え、社殿や礼式の形も信仰の文化として整い、信仰奉仕者の活動する様は、世界に誇るべき信仰文化です。
本教は、宗教の形式も整い、他教と習合する必要を感じません。
それは、前者の基本を元に、人類本来の 習俗・信仰を見出すことで、煩瑣な教義も必要なく、自然に帰り幸福(霊魂の安定)を得られると考えるからです。
これを本教では、復古・古・純神道と呼びます。
教祖を始め本教の過去の具現者達同士は、教えの積み上げはあっても対立がありません。
又、教義等の違いが原因の分裂や離教が 少ないのは、自然で幅広く深い教えの大系や神術があるからです。叡智を継承する宗教を探し出せれば幸運です。
自惚れの誹りを恐れずに言えば、本教は 神道一般の叡智だけでなく、天在諸神から 物部・巫部家の叡智をも包括する教団です。
・天国・地獄とは何か?(筆者付加)1
神道一般では天国を『あまつみくに(=天津国)』とも読み、高天原とも呼びますが、本教では正確には『日の若宮』、地獄は神道一般と
同じく『黄泉国』と呼びます。
善を積み罪を祓った霊魂は死後日の若宮
(=天津国)に帰り昇り、悪を為し罪を祓って ない霊魂は黄泉国に降り沈むとされます。
一旦死んで戻って来た人はいませんが、 人の叡智として癒しの観点から形成された考え方と推測します。本教ではこれを神が伝える教え、と受け止めます。
『日の若宮』は、他教のような酒池肉林というより、神々の世界から手を差し下ろすように子孫を見守る喜びと共に、霊魂の安定を得る所です。
『黄泉』は、罰を受けるというより、地下から手を出せないように不幸に迷う子孫を救えない苦しみと共に、生前犯した罪について問い正され反省を促される所です。
この自業自得の苦しみから救われる方法は、本人の反省に加え子孫や教友の祭により罪が祓われる事です。そこで自然と心も軽くなり『日の若宮』に帰り昇ると考えるのです。
この辺りの受け止め方が他教との違いです。
従って、他教のように『地獄(黄泉)』へ 何万年も行きっぱなし、ということはありません。
又、どちらも神の賜り物を突き返す行為で容認出来ませんが、近年の自爆テロと太平洋戦争での特攻の考え方にも違いがあります。
前者は死後の楽園(自分)を夢見て行い、 後者は死後の子孫や社会(他者)の繁栄と霊魂の安定(自他)を夢見るのです。
つづく