御教誡十箇条(略解の詳解)10
(古神道・神理教を“本教”と記します)
第一条神の心にそむくことなかれ9
2)神様の存在を知ること8
3)神の守りに入る前に、左の見出しに添いもう少しご一緒に考えたいと思います。
・祈り・信仰・宗教(筆者付加)5
昨年12月からこの小見出しについて、 祈り・信仰に伴う死生観が終わりました。
-7宗教の成り立ちと変遷(筆者付加)
(人造教と天造教の違い)2
先月から-7宗教…に入り、1.で先ず宗教 本来の役割や、捉え方について述べました。
2.宗教への疑問
宗教とは、祭神・教義・儀式・教団名等を統合し、慰霊や癒し等の目的を果たす組織ですが、まともな宗教の存在について懐疑的にならざるを得ません。
宗教と言える段階に本当に昇華している教団は、皆無に近いと思われます。
無信仰者が増えるのも勘違いだけではなく、教団への不審があるからです。
もし民衆の中から成立する時は純粋な救いの教団であったとしても、一時的でも堕落・
腐敗するのは運命です。
一般民衆が宗教に求めるのは救いの為の 神仏の徳と安心の為の教義ですが、宗教が求めるのは維持拡大に伴う他教・他民族・他国との競合になりがちなのも一因です。
3.無私と誠意ある現場の神官・僧侶・牧師等
悪意は無いかもしれないものの、人造教の教祖・創始者達自身の勘違いの教義に、多くの人が惑わされ、或は結果的に騙されているように感じます。
しかし、教祖・創始者だけでなく布教現場の神官・僧侶・牧師等伝道者には、自分の利益を二の次にして信徒の為に祈り、その結実を自分の喜び・心の糧と出来る人がいるものです。
伝道者はそれぞれの教団組織に属すことで社会的な信頼を得つつ、その教団の教義というより、その教義を利用或は独自の解釈を加え展開して安心や救済を図るのが現実です。
殆どの宗教教団はその教義等よりも、そうした伝道者の努力により成り立っています。
善意の伝道者に行き当たる時は幸運ですが、その属する宗教教団が妖しい場合もあります。
伝道者が所属する宗教教団を選ぶ必要性を感じてない事や、得意分野の違いから気付いてない、或は欺されている事も考えられます。
又、宗教団体も疑問ならその伝道者も疑問という事も考えられます。
それらは玉石混淆で、力の有る無しだけでなく、もし力が有ってもそれを自己の利益誘導に使う等、いかがわしい人もいるものです。
教信徒の幸福を主体に教勢の維持も確保出来るのは、教信徒が本部に参拝しても正しい信仰を伝えられる教団と、その教団の教義を活用出来る善意ある伝道者の存在です。
4.宗教の成り立ちと本教
以下に成り立ちの経緯・歴史を分けて説きます。
・1村落や民族単位で生活し文明と文化の 調和した太古は、一般民衆を主とする祈りとその叡智が集積した信仰で十分であり宗教は不要であった。
・2村落や民族の融合が進むに連れて、言語と同じく信仰も融合が進んで行った。
村落や民族固有の信仰の保全・継承が難しくなった。他信仰組織との叡智の融合もあり、反対に命と信仰の悲惨な抹消行為(ジェノサイド)もあった。
・3-1信仰組織が政治と結託し、或は信仰組織が政治組織も兼ねるようになった。
社会と共に肥大化した信仰組織が、宗教 組織として運営されるようになった。
政治や宗教団体の利権が主となり、逆転して一般民衆の安心が従となった。
一般民衆が宗教に求めるのは救いの為の神仏の徳と安心の為の教義であっても、宗教教団が求めるのは維持拡大に伴う他教・他民族・他国との競合になりがちとなった。
・3-2社会の進化拡大に伴う物質文明と精神文化の調和、という自然の要求があった。
急速な社会の肥大化に伴う物質文明の進化に精神文化が追随出来なくなり、その調和や癒し役割を宗教が担う部分があった反面、 洗脳や強迫を伴う勢力拡大も図られた。
・4社会共存・救済という人間本来の優しさは残し乍、他教・他国との競争もあり、組織の 存続や拡大へ軸足が移って行った。
もし民衆の中から成立する時は純粋な救いの教団であったとしても、一時的でも堕落・腐敗するのは運命である。
・5多くの宗教は、教祖或は少数の発案者により、信仰の歴史・文化をも否定しつつ成立した。
原初信仰も宗教と共に腐敗と再生を繰り返し乍、その殆どは消滅或は痕跡となった。
・6本教は、原初信仰(古神道)として・1以前から盛衰を繰り返し、一般神道や宗教の興廃とも対極を成しながら存続してきた。
本教にも腐敗(例えば太平洋戦争前)の歴史があるものの、何度も復興を果たし壊滅を免れたのは、神道には“祓い”の文化が色んな形で行われたからと推測する。
5.他教と本教の役割・違い
・1人造教の役割
継ぎ伝えられた信仰文化を肯定し、進展させて行くのが天造教と本教は捉えます。
是に反して、継ぎ伝えられた信仰文化を 否定し信仰と宗教を一緒くたに創造、或は 一旦肯定してもその流れを人為的に手を加えたのが人造教と本教は捉えます。
言語が学問として成立したように信仰から宗教が出来ますが、その多くは残念ながら 地域本来の信仰に類似しつつも否定し、新たに人が造った人造教です。
宗教・信仰も言語の様に民族本来の天造の教えがもっと多く存在するのが自然ですが、人が作り替えた宗教(人造教)が幅をきかせているのが現実です。
人造教は上記のような利己・排他主義も 伴いながらも、3)-2社会の進化拡大に添う 物質文明と精神文化の調和・癒し、という役割も果たしてきました。
しかし、構造的に権威付けや勢力拡大に 軸足を置き、教義の不備を権威で補い、救ってやる的な本末転倒になってしまいがちです。
つづく