(おのず)(から)(みち) 303  管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))9

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

第一条神の心にそむくことなかれ8

2)神様の存在を知ること7

 3)神の守りに入る前に、左の見出しに添いもう少しご一緒に考えたいと思います。

・祈り・信仰・宗教(筆者付加)4

 12月予告した宗教の前に、死生観-6についてご一緒に考えたいと思います。

-6人は死んだら終わりか2

6.自然の死生観・本教の始原

 死後の世界を見て帰って来た人はいませんから、神仏や霊魂の有無については誰にも 証明出来ません。では、1.本教(=古神道)の 死生観は、誰が創った考え方でしょうか?

 人は死んで終わりではなく霊魂を持ち、その大元に神が在るという着想(アイデア)は、何処の宗教や教祖が言い出したものでもありません。自然の死生観であり、同時に本教の始原でもあります。それは、宗教発生以前(祈りと信仰の時期)に、近親者の死をどう受け止め、どう(いや)しに導くかについて、村落や民族で世代を越えて形作られた叡智の集積です。

 それをどこぞの教祖が考えた、と勘違いすると無用な疑いが生じます。

 

 天国や地獄の観念や天地創造の着想(アイデア)も、この辺りで形成されたと思われます。

 こうした思考の経路を確かめながら、信頼の足場を自身でも踏み固め、自分なりの考え方を形成し、近くにあれば教えや人を活用すべきです。

7.自然・天造教と人造教の成り立ち

 人には生まれつき祈り・信仰と同じく、秩序感・正義感・自主性等が教えずとも本能的に 身に付いています。社会環境がこれを磨き、(あるい)は劣化させると考えます。

 是等の自然の感性が、(ある)時は神仏や霊魂の存在を意識し、或時はそれらを否定しながら、長い年月を経て納まった考え方の一つが神道です。

 勿論それは日本民族だけではなく、世界の至る所で発達し、それぞれの村落や民族で形成された天地創造や霊魂や天国・地獄観等は、とても似ています。

 そして日本には、形や教えとして太く(のこ)されている神道、延いては古神道があります。

 飛躍し過ぎた考えと思われる向きもあるでしょうが、本教はそれを自然と考え、天造の叡智の歴史を通じて伝えられた【神からの 教え・(おのず)(から)の道】と(とら)えるのです。

 本教に伝わる(こう)()(にぎ)(はや)(ひの)(みこと)(もの)(のべ)→ (かんなぎ)()家の教えは、一般神道と平行或は交流し(つつ)、独自にこの教えを深めて来たものです。

 しかし、人が造った宗教は、この世界中に派生した観念をいいとこ取りに利用しながらも、全面否定したことから、日本以外は(こん)(せき)程度になっているのは残念です。

 

8.まとめ

1.本教(=古神道)の…2.他教の…・3.無神論者の死生観の考え方は、今後も大きな人類の叡智の流れの中で、多分本教を中心に、より普遍的な叡智が形作られて行く事でしょう。

 霊魂や神仏の存在が信じられない、という人に伝えたいことは、

《自然の教えの存在に心を向け、宗教以前の損得のない素朴な良心に編み出された癒しの手法を、1.本教の…2.他教も勘案・比較しながら、先人達と同様にそれを信用して活用する方が楽ではないですか》ということです。

 少し厳しく言うと、

《安易な無宗教・不信仰の宣言は、自分を生んだ親・祖先の存在を否定し、その世話にもならず、()いては子・孫の世話もしない、という 本心と矛盾した非人間宣言》と同じです。

 自己(人造)教から自然(天造)教に、自分の心を保ち・比較しながら目を移す事で、自分 一人では気付かない不合理が整理されることになります。

 信仰・宗教は言語と同じで、決して一人や 少数の教祖に創造出来る物ではないのです。

 最後通牒のように神仏を信じるか否かを 自分勝手に作り出して迷ったり反発したり するのではなく、それ以前にこの素朴な考え方が受け入れられるか否かなのです。

 本教は、これが自然の伝えである(ゆえ)に、  

神から伝えられた教えと受け止めます。

『本教の教えに()()せよ』というのではなく、『本教の教えを活用し、死への癒し・安心を 基に、充実した人生を切り開きましょう』と

いうのが本意です。

 決して人は死んだら終わりではなく、村落・民族の叡智に添い、永く天地に(しょう)(よう)して、 子孫の繁栄を見守ると受け止めます。

 -6人は死んだら終わりか 終わり

 

-7宗教の成り立ちと(へん)(せん)(筆者付加)

      (人造教と天造教の違い)

 宗教を見分る視点の     救い(奇跡)

一つは、例えば下図の ()(れい)

3点が バランス良く      (いや)

保たれているかです。神道は生の方が死に 優先する、と言われます。もし御先祖が罪に染まっていても、御先祖自身の反省は不可欠ですが、子孫の祓いが無ければ罪は解けないと考えます。遺族に慰霊(四魂の安定)(いや)しについて、確信に近い安心を頂いているかどうかです。

1.宗教の(とら)え方(本質・基本)

 宗教は人の本性としての祈り(個人・家族・地域・民族)が叡智の集積と共に様式化し→ 精神文化としての信仰となり→それが()(ぞく)(じょう)(きょう)に対応した在り様とも言えます。

 全ての宗教はこの祈りと信仰とを元とすると考えられますが、宗派によってはこれを 否定し、教祖(あるい)は教祖の示す神が全てを創造したとする教団もあります。    つづく

2016−3
平成28年3月号  No.1225