御教誡十箇条(略解の詳解)17
(古神道・神理教を“本教”と記します)
第一条神の心に背くことなかれ16(筆者付加)3
*本教の神の存在と死後の世界の結論2
神と死後の世界の存在についてもう少し触れ、一条を終わります。
先月まで、少数の天才宗教家の想像・創造による神と死後の世界の存在には、証拠は無く信じるしかないと述べました。
一方村落・民族の叡智の集積である神道は、証拠こそ無いものの、永年の叡智の集積により、恰も言語のように育ってきたものです。
論理的・科学的に証明出来ないものの、少なくとも信じる他無いと無理矢理飲み込むものでもないことは、理解出来たと思います。
ところで数学の世界では、0.9→0.99→0.999と小数点を増やして行くと、最後は1に行き着く、と数式で証明されるそうです。
叡智の集積は、試行錯誤を繰り返しながらも、この小数点以下の9を、常に加え続けます。
こじつけに感じられる向きもあるでしょうが、その1とはすなわち神と死後の世界の存在を、先月の結論1に補足出来ると考えます。
(第一条終り)
第二条祖恩を忘るゝことなかれ1
1)祖恩とは
*神から祖先・自分・子孫への仕組みと役割
祖恩というのは、ただ一般に言われる先祖の恩ばかりでなく、近くは親、遠くは自然なる大元の神に至る全てを指しています。
当然のことながら、この世に生きる全ての生物には必ず親がいます。
それは人も同じで、英雄や豪傑でも、大宗教家や知識人と称えられる偉人でも、天地の間に偶然飛び出すことはありません。
偉人の出現には、その時代の求めや家庭環境や、本人の意志や努力が不可欠です。
その道筋を、本教では次のように捉えます。
先ず大元の神が、その御心のままに、跡継ぎの道を私達の先祖に伝えます。
次に、親は子を生み、神から伝えられた道を、またその子に伝えます。
その子は、また子を生んで親となり、親は老いて祖父・祖母となります。
そして祖父・祖母は、やがてこの世を去り、産須根神となって自分の子孫を守ることを役割と同時に楽しみとします。
こうして、神と祖先の徳と守りを戴き、本人の努力が加わり、世に偉人が出るのです。
これが祖恩であり、この神理が理解出来れば、一般に恐れられる死も、それほど怖いものではなくなることでしょう。
*祖恩を忘れる怠り(筆者付加)
私達は、目に見えない先祖には敬意を持つものの、えてして、祖霊殿やお墓を放ったらかしにして、打ち忘れがちです。また、生きている祖先神である親や祖父母には、いくら世話になっていても、自分の力に自信が付けばその恩を忘れがちです。そして、うるさく邪魔者のように思ってしまうことがあります。
そのまま縁遠くなってしまえば、悔やみきれない後悔と共に、大切な徳を失い、心も物も貧しい生活を送ることもあります。
*子育ち、親育ち(筆者付加)
昔から「子を持って知る親の恩」という言葉があるように、子どもを持って、ようやく親の苦労や、子への情が分ります。
また、言葉に尽しきれない、親の心遣いや恩恵が分るものです。また、子育てに一生懸命に取り組んでいる内に、気が付けば親自身が心の成長を遂げていた、ということもあります。子育ち、すなわち親育ちです。
私達は、つい子どもや目下を「育ててやる」、等と上から見下ろしがちです。しかし、そうした気持ちでは、目下の成長どころか、自身が幼児返りをすることになります。
「育てさせて戴いている」ことを認識すれば、自分の心の成長も戴けるのです。
身体の成長は20才位で止まりますが、心はどこまでも成長するものです。
*成功する人の条件(筆者付加)
幸せや成功の喜びを感じられる人は、
@前向き=例えば、失敗も成功の元と考えられる。あきらめずに工夫をしながら、少しでも進む喜びを見いだせる。
A悪口を言わない=他人のせいにして終わらない。成功・失敗の原因を冷静に探り反省する。
B信仰を持っている=親と祖先と、その大元の神の徳を感じられる。
以上の三つが揃った人です。
また、お金持ちといっても、金額や財産の量ではなく、先ず心のお金持ち・余裕が大切です。そうした人は、
@好きな仕事をしていると思う。=懸命に工夫する内に、仕事の面白みに気付き、仕事が進むことに楽しみが湧いてくる。
A家族に認められていると思う。=家族に仕事の意義を認められ、感謝されていると感じる。
B沢山(例えば30人位)の人に、その仕事の社会的な役割や、自分の働きを認められていると思う。=時折触れる話ながら、働きの本言(その言葉の持つ本来の意味)は、傍(周囲あるいは社会)を楽にする(役に立つ)です。
家族や自分の為に稼ぐことだけでなく、それが同時に役立っている、また役立てようとする気持ちを持っている人です。
心が神と祖先、すなわち陽の方に向ける先に在るのが祖恩です。