()(きょう)(かい)(じゅっ)()(じょう)((りゃっ)(かい)(しょう)(かい))

   (古神道・神理教を“(ほん)(きょう)”と記します)

第一条神の心にそむくことなかれ2

1)神の心とは2

・人を子孫として(いつく)しむ(他教との違い)続き

 先月、人は我が子を殺さない、から…

 神道では神が人を土を()ねて造ったのではなく、神の(=自然から生れた)子孫と考えます。

 人は神の子孫ですから、例え(しょう)(がい)があり・又(おや)(がみ)の言う事を聞かずとも、(いっ)(たん)あきらめる事はあっても見捨てることはないのです。

 これに対し、他教の人を神の制作物との考えは、(とう)(げい)作家が小さな傷でも失敗作として、涙を()んで()って(こわ)すような事になります。

 ノアの箱船の神話のように、神の気に入らない・心得違いの人達を水に流してリセット、又そうするぞと(おど)す事になるのです。

 古事記・日本書紀の神話で()()()(ぎの)(みこと)が、子の()()(つちの)(かみ)()り殺す場面はありますが、そこからは沢山の神が生まれ出ます。

 本教では、憎しみが理由の子殺しではなく、自然を創る経過の説明等、()()(あん)()に富む神話としての物語と考えます。

 先祖である神は人を殺すことはありません

 それは親が子を殺さないのと同じです。

 人が神を祖先の大元とし、その直系の子孫として安心して頼るのが信仰です。

 先月号のこの小見出しの始めに、此の世に理想の世界を造るのが神道の心という話がありました。これは、例えばイスラム教等の神の心に添えば、死後は酒池肉林という考え方とは大きく違います。

 神の世とは食欲・性欲・物欲等の本能を満たす喜びだけではなく、心を満たす(四魂の安定)喜びが得られる世界です。

 その喜びの世界を、生前も()(ゆう)し先祖となっても、互いに助け喜びを分かち合える事を理解し、実現しようとするのが神の心です。

・神世の実現に向けて(他教との違い)

 人は、神の子孫で有ると共に、神の御心そのものなのです。(これ)を理解する人が増え、人が神の(あと)()ぐ事で、()の世を神(=理想)の世として実現することが出来るのです。

 (すなわ)ち神の心を形として現すことが出来るのです。(これ)を有るべき理想の姿としその実現の為に、神は人に必要なありとあらゆる物を与えられました。

 これも他教との違いですが、本教はキリスト・イスラム教等の一神教のように、自然を 神からの()(たく)(ぶつ)とは考えません。神道では自然は私達人間から見ると、祖先から神に(つな)がる同列線上に存在すると(とら)(そん)(すう)します。

 一神教流入以前の西欧人と古来の日本人は、同じ感覚を持っていたようです。

 例えば(ほう)(ぼく)の為に神に代わって自然林を全て(ばっ)(さい)する等は考えられない事でした。

 もう一つ、一神教流入以降の西欧思想と似ていて意味合いが違うのは、人とその他の動植物との違いについてです。

 一神教では、神の前では人も動植物も一緒くたに平等と考えながら、()(しょく)関係があるという()(じゅん)があります。

 ヒンズー教や仏教では(りん)()(てん)(せい)をする動物を食べてはいけない、との(かい)(りつ)があります。

 食べるものが無くなるからか、植物には 転生しないとの教えにも、不可解でこじつけのような理屈と感じます。

 是等は根拠・理の薄い(かい)(りつ)であり、例えば 現代でもイルカや鯨は食べてはいけないが、飼っている動物は良い等、混乱しています。

 その点本教の教義は明解で、

@人は神の直系である。

A動植物は先祖の一部である自然から、人とは別系統で派生したものである。

Bその理由は、神の目的とその為に必要なものとして神が人に下さったと(とら)える。

 従って、人間以外全て食べたり使ったりしていけない物は無い。ただ(たまわ)り物だから大切に使わせて(いただ)くべきである。

 こうした理を知り受け止め、安心且つ自信を以て、神世の実現に向けて(まい)(しん)しましょう、という事です。本教の勢力拡大ではなく、神世の実現の為に皆がこの神の(ことわり)を知り(じっ)(せん)する事が目的なのです。

2)神様の存在を知ること1

・目的に添った柔軟な(おん)()の心

 神は、(ある)時は(すべ)ての枝に満ち満ちる桜の花となり、(ある)時は(れん)()に錬磨を(かさ)ねた(かたな)ともなります。

 つまり、神の心はそれぞれの時と場合、また人の願いや思いに、いかようにも応じて下さるものなのです。例えば、新しい輸送方法や電気技術等について発明をして、世の中に便(べん)()(はか)りたいと欲して努力すれば、その(ため)の知能を与えて下さいます。

 学者になって世の中の文化を向上させたいと願えばそうして下さり、お金持ちになりたいと一心を()らせば、自然とそうなります。

 神は、いつも人が良くなるように、良くなるようにと、(はか)らわれているのです。

 そうらないのは、人が(みずか)(つみ)(かぶ)り、(しん)()からの(とく)()らせているからなのです。

 また春は花を咲かせて人の眼を喜ばせ、夏は青葉を茂らせて心を涼しくします。

 秋は木の葉を赤く染めて感動を与え、冬は草木の葉を枯らして心を引き締めまた来る春への期待を持たせます。

 そして生活する土地の風土によってそれに適した衣食を与え、学者や政治家や宗教者などいろいろな偉人を世に出される。

 つまり、春夏秋冬の季節の変化を楽しむことが出来るのも、御教祖のような偉人を世に現すのも神の御心ということなのです。

                 つづく


(おのず)(から)(みち)

    管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

2015−9
平成27年9月号  No.1219