八徳Gの自白1

 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。2.自分や先祖の罪を祓う。3.神気を戴く(長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

 冒頭4.八徳Fの克己をお伝えします。

1.七罪2.祓の守りから、3.長呼吸法4.八徳と、攻め(積極策)に転じています。

()(はく)

(あか)き心

 神社神道の(こう)(りょう)の中にも、『清き(あか)き心…』があります。

 赤き心とは、赤ん坊のように(けが)れのない心、という意味です。赤は(とり)()等にも使われる ()(いろ)(赤に近い朝日や夕日の色)で、古来神の色と考えられてきました。

 従って、神の(ぶん)(れい)()(そん)である人の心の色も、()(いろ)ということになります。又、その様子や言葉から明るさが連想されます。

 明かり、(すなわ)その字を分解して日と月で(ぬく)もり=神の(やさ)しい(あたた)かさ、を表しています。

 人の(ほん)(せい)(ぜん)でも(あく)でもなく(あか)き心、(すなわ)ち量は極小でも神と同質の清い心なのです。

 ()(はく)はこの(あか)き心(=原点)に立ち帰り、心新たに進む為の徳積みです。

(いの)

 御教祖の御歌(教歌百首)に、

祈るとは 願うに(あら) ()が心

 明かりの()るを ()へる事なり(古義百首)

があります。

(祈るという事は、ただ神にああして欲しいこうなりたいと願いを述べる、ということではありません。自分の心に、明かり=大元の(てん)(ざい)(しょ)(じん)に入って頂く、又は神と心の波長を合わせる事をいうのです。

 この感覚を(つか)むことが出来れば、気が付けば全て物事は思いのままになっているという(きょう)()に至る事が出来るのです。)

 ()(よく)を神頼みに、無理にでも()(とお)そうとするのではありません。

 一旦、()(よく)から離れ自分の心に神に入って戴くという気持ちになれれば、願いは自然と(かな)うということを教えている御歌です。

 ()(はく)(ほん)(らい)(せい)(めい)(あか)き心に、現実の(つみ)を区別し(はい)(しゅつ)する為の手法です。(いの)(=神の心の取り込み)により、(いっ)(そう)(きわ)()たせられます。

・急がば回れ

『人に(だま)されてはいけない』と教える国もあるそうですが、日本では先ず『人を欺しては

いけない』と教えます。

 確かに他人を(うたが)(だま)され無ければ、()(さき)(そん)は防げるかも知れません。しかし、

 (うたが)い合うより信頼関係を優先することで、最終的に安らぎを含めて得であることの大を知る、急がば回れという智恵でもあります。

 日本人は気付かぬ内に本能のように得をする為だけでは無く、こうした(こう)(けつ)さや素直さが(はら)に通じることを知っているのです。

 (うそ)をつかないということは、ついた(うそ)については()()かで()(はく)をすべきということになります。嘘をつかずに越したことはありませんが、もし犯した時には、()(はく)急がば回れの心で丁寧に行いたいものです。

()(はく)(よう)(ほう)

 ()(はく)というと重苦しく感じられ、自分の 秘密を白状することに恥ずかしさを感じると思われます。しかし本当は(つみ)(はら)、本来の明るさを取り戻す為の(よう)(ほう)です。

 自覚して置いた方が良いのは、誰に()(はく)するかということです。

 それは(もち)(ろん)神と祖先と自分に対しての()(はく)であり、その対象を具体化する為には、信頼する親や友人や本教の教師であったりします。

 又、自分の秘密を全て人前にさらしてしまう、というものではありません。

 先ず自分の秘密についてよく(ぎん)()することが大切です。自分の秘密もよく整理してみると、()(はく)の必要のないものと、反対に()(はく)すべきものとがあります。

 それは自分の犯した(つみ)(ほん)(げん)(その言葉が持つ本来の意味、(すなわ)(つつ)み・(かく))を振り返れば、(おのず)(から)分かってきます。

 私達には(ほん)(ねん)(=生れつき)、良心(=神の心)を持っていると考えるのが古神道です。

 振り返りたくない秘密を放っておくと、 そのまま自分の心の中で(くさ)ってしまいます。

 そして自分でも気が付かぬうちに大きな(つみ)(けが)となっている事があるのです。

 そこで、(つつ)み・(かく)す事を続けると(くさ)って(がい)となるものかそうでないかを見分けるのに、 神から(いただ)いた良心を使います。どちらか分からない時、又害となると判断される時、神祖や信頼出来る人に()(はく)を行うのです。

()びるは(はら)い、そして()(はく)

 自分の過ちを認める素直さや、(てい)(ねい)(あやま)(いさぎよ)さが(つみ)を解くことになるものです。

 自分の秘密、親から受け継いだ先祖の秘密でも良くないものは、さらけ出す勇気が必要です。勇気を持って神の前、自分が(あやま)らなければならない人、又は先祖に()びる、という()(はく)を行なうのが良いのです。 つづく


自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦
2015−5
平成27年5月号  No.1215