自白
・赤き心
神社神道の綱領の中にも、『清き赤き心…』があります。
赤き心とは、赤ん坊のように汚れのない心、という意味です。赤は鳥居等にも使われる 丹色(赤に近い朝日や夕日の色)で、古来神の色と考えられてきました。
従って、神の分霊・子孫である人の心の色も、丹色ということになります。又、その様子や言葉から明るさが連想されます。
明かり、即ちその字を分解して日と月で温もり=神の優しい暖かさ、を表しています。
人の本性は善でも悪でもなく赤き心、即ち量は極小でも神と同質の清い心なのです。
自白はこの赤き心(=原点)に立ち帰り、心新たに進む為の徳積みです。
・祈り
御教祖の御歌(教歌百首)に、
祈るとは 願うに非ず 我が心
明かりの入るを 云へる事なり(古義百首)
があります。
(祈るという事は、ただ神にああして欲しいこうなりたいと願いを述べる、ということではありません。自分の心に、明かり=大元の天在諸神に入って頂く、又は神と心の波長を合わせる事をいうのです。
この感覚を掴むことが出来れば、気が付けば全て物事は思いのままになっているという境地に至る事が出来るのです。)
我欲を神頼みに、無理にでも押し通そうとするのではありません。
一旦、我欲から離れ自分の心に神に入って戴くという気持ちになれれば、願いは自然と適うということを教えている御歌です。
自白は本来清明な赤き心に、現実の罪を区別し排出する為の手法です。祈り(=神の心の取り込み)により、一層際立たせられます。
・急がば回れ
『人に欺されてはいけない』と教える国もあるそうですが、日本では先ず『人を欺しては
いけない』と教えます。
確かに他人を疑い欺され無ければ、目先の損は防げるかも知れません。しかし、
疑い合うより信頼関係を優先することで、最終的に安らぎを含めて得であることの大を知る、急がば回れという智恵でもあります。
日本人は気付かぬ内に本能のように得をする為だけでは無く、こうした高潔さや素直さが祓いに通じることを知っているのです。
嘘をつかないということは、ついた嘘については何処かで自白をすべきということになります。嘘をつかずに越したことはありませんが、もし犯した時には、自白も急がば回れの心で丁寧に行いたいものです。
・自白の用法
自白というと重苦しく感じられ、自分の 秘密を白状することに恥ずかしさを感じると思われます。しかし本当は罪を祓い、本来の明るさを取り戻す為の用法です。
自覚して置いた方が良いのは、誰に自白するかということです。
それは勿論神と祖先と自分に対しての自白であり、その対象を具体化する為には、信頼する親や友人や本教の教師であったりします。
又、自分の秘密を全て人前にさらしてしまう、というものではありません。
先ず自分の秘密についてよく吟味することが大切です。自分の秘密もよく整理してみると、自白の必要のないものと、反対に自白すべきものとがあります。
それは自分の犯した罪の本言(その言葉が持つ本来の意味、即ち包み・隠す)を振り返れば、自然分かってきます。
私達には本然(=生れつき)、良心(=神の心)を持っていると考えるのが古神道です。
振り返りたくない秘密を放っておくと、 そのまま自分の心の中で腐ってしまいます。
そして自分でも気が付かぬうちに大きな罪・穢れとなっている事があるのです。
そこで、包み・隠す事を続けると腐って害となるものかそうでないかを見分けるのに、 神から戴いた良心を使います。どちらか分からない時、又害となると判断される時、神祖や信頼出来る人に自白を行うのです。
・詫びるは祓い、そして自白
自分の過ちを認める素直さや、丁寧に謝る潔さが罪を解くことになるものです。
自分の秘密、親から受け継いだ先祖の秘密でも良くないものは、さらけ出す勇気が必要です。勇気を持って神の前、自分が謝らなければならない人、又は先祖に詫びる、という自白を行なうのが良いのです。 つづく