背景色が選べます!


                                                          2014−8

平成26年8月号  No.1206

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

八徳Aの誠実4(教祖御歌)
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。2.自分や先祖の罪をう。3.神気を戴く(長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

 

 (ぼう)(とう)4.(はっ)(とく)Aの誠実4をお伝えします。

1.(しち)(ざい)2.(はらい)の守りから、3.(ちょう)()(きゅう)(ほう)4.(はっ)(とく)と、段々攻め(積極策)に転じています。

 

(せい)(じつ)(教祖御歌)

・誠の()(うた)((しも)()に誠)

(から)(くに)の ()()()(ふみ)を かき(にご)

 (あま)()(まこと)を (うしな)()てつ   ((おしえ)(ひゃく)(しゅ))

(()(){現在の中華人民共和国}には折角漢字という素晴らしい文化があるのに、その深い意味を(かえり)みずに伝達手段に使うのみです。

 又、(ふん)(しょ)(こう)(じゅ)等で漢字文化を(にご)し、(つい)には漢字に含まれる神の心を見失っています。

 私達は文字や言葉を神祖の教えとして大切にし、誠(=)の心を保つべきです。)

:御教祖は、世界中に『自然の信仰』が有ったと考え、この意味で中国で始まった漢字を(こと)(だま)(がく)()(げん)として、(こく)(がく)への価値を認めています。

:()(げん)=字の形から字の本来の意味を探る。

:(こく)(がく)=人間本来(人の小さな理性で造った 宗教等に()まる以前)の文化・信仰を探る学問。

:(ふん)(しょ)(こう)(じゅ)=支那で(じゅ)(がく)(よく)(あつ)した時代に、 儒学者を(こう)(そく)(あるい)(しょ)(けい)するのと同時に、儒学の書物を燃やしたという史実。

 近年支那の漢字簡略化は、従来の漢字を国民に読めなくし、都合の悪い知識や歴史を隠す 為の、(てい)の良い焚書坑儒とも言われます。

親によく 仕へまつりて (なり)(わい)

 道にかしこく 誠ある人  ((もの)()(ひゃく)(しゅ))

(親によく仕えることは、神によく仕えることでもあります。本教では人は神の(わけ)(みたま){ぶんれい}を祖先・親を通して戴く、と考えるからです。親によく仕えるということは家業{現代では家業はなくとも、親から子に伝わる仕事に掛ける心意気や信仰}を守り継ぐことです。

 是等は、親子にこそ日頃から心や言葉で 継ぎ伝えられることです。

 又、(かしこ)く誠ある人とは、そうした神の理や心を理解し実行する人を言います。)

(いつわ)りと (まこと)(いず)れ 良しと問はば

 偽りなしと 誠語らむ  (桃の一枝)

((いつわ)りと(まこと)の善悪を答えるのは、人の心に 存在する誠(=)なのです。)

:(いつわ)りと真のどちらが良いかは誰もが知る 所ですが、ここで本当に問うているのは、その根拠です。(あま)(じゃ)()の人は「(うそ)(ほう)便(べん)何故  偽りが悪い?どちらでも本人の勝手だ」と言う人もいることでしょう。ここで教えているのは、その善悪を(はか)(しゃく)()は『誠』ということです。

 人は神の分霊(すなわ)ち神と同質ですから、(すが)(すが)しい人の心が神と同じなのは当然です。

 

(まこと)の御歌(参考)

何せむに ()(がね)(たま)も (しら)(がね)

 子こそ(まこと)の 宝なりけり  (神理百首)

(何であれ有れば邪魔になり、無ければ欲しいと思うのは世の常です。しかし子どもは(うっ)(とう)しく思う時もあればこそ、これ以上(いと)しく 大切な存在はありません。それは本能もさることながら、理性でも自分の命を後に伝えて行く(あかし)であることが分かるからです。

 それほど子どもが物や金に(まさ)る宝であることを自覚し、子どもがいる人は有り難く大切に思うべきなのです。)

(いたづ)きの 力に神の (たま)はりし

 物ぞ真の 宝なりける   (()(もち)(ひゃく)(しゅ))

(働くことが出来る事は人の役に立つことで あり、その働く力を戴いているということは、生きて行く為のもっと大事な宝です。

 人として()(じょう)の喜びは、周囲の人にその 存在の必要さをを認めて戴ける、(すなわ)ち役に 立つということです。そしてそれは、働く  ことが出来るからこそ、実感出来るのです。)

:前歌の子どもと同じく自分の働きも、当たり前のように思いがちですが、有り難い(有る方が不思議)に気付くべきです。

 世の中には子どものいない家庭もありますし、働けなくなった人もいます。

 しかし、無いものを(なげ)くのではなく、有る

ものに感謝し、互いに認め合い、無いものを 補完し合う家庭・社会を目指しましょう。

 

(まこと)の御歌(参考)

成るもまた 成らぬも神の 心にて

 (まこと)成るべき 時もこそあれ

(個人又皆の願いが(かな)うか適わないかは、神の心次第です。

 それはあなた任せに思えるけれど、実は 私又私達の心が神の心と通じているか(いな)か、ということです。

 神は大元の祖先ですから、私達の本来の 願いと目的は同じ(はず)です。それが(かな)わないというのは、私達の心得違いか・方法の誤りか・()だその時期でないと考えましょう。

 そして心得違いや方法に誤りがないか点検し、その時期をあきらめずに待ちましょう。)

 

・信条 第31

 子孫の(さかえ)を見むと欲せば、(つつし)みて誠を尽くすべし。

(子孫の繁栄を見ることは、生前も()(ゆう)() ()(じょう)の喜びです。

 その為には目先の目的を無理に果たすことより、目的に向かって誠と最善を尽すことを心掛けることです。そうすれば(おのず)(から)子孫の 繁栄を見ることが出来るのです。)

 他にも御教祖の(まこと)((まこと)(まこと))の御歌を見付けられた方は、お知らせ下さい。

 誠は、神祖との連絡道であると共に、(つみ)(ほど)く意思・原動力と言う事が出来ます。