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                                                          2014−6

平成26年6月号  No.1204

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

八徳のA誠実2(教祖御歌)
  
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。2.自分や先祖の罪を祓う。3.神気を戴く(長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)
 

 

 (ぼう)(とう)4.(はっ)(とく)の一番目の健康3をお伝えします。1.(しち)(ざい)2.(はらい)の守りから、3.(ちょう)()(きゅう)(ほう)

4.(はっ)(とく)と、段々攻め(積極策)に転じています。

 

(せい)(じつ)(教祖御歌)

・誠の()(うた)((かみ)()に誠)

誠≠ヘ教えの中心の言葉ですから、教祖の御歌を出来るだけ紹介します。

@ (まこと)もて (いの)らばやがて (わずら)いも

 (なや)みも()せて ()(さか)ゆべき(神徳百首)

(もし今、(つみ){煩い・悩み等}(おお)われていても、神と心を合わせ、自分と周囲をより良くしようとする為の祈りをしましょう。それは誠の祈りであることから、必ず罪は取り祓われ、再び打ち栄えるのです。)と教えています。又、

A 誠もて (こと)をなしなば (いつわり)

 この世の人に ()てられやせむ(桃の一枝)

(誠という人本来の心持ちを皆が行えば、この世から(うそ)(いつわ)りは立ち消えになるでしょう。)

B誠もて 共につかえむ 今も世に

 神は()すなり その神の前に (神理百首)

(誠の心を以て共に奉仕しましょう。そうすると神は神殿だけに()のでなく、自分や周囲の人も又神ということに気付きます。)

C誠ある 子等を(めぐ)しと ()()に落ちし

 親を許さむ (つく)(よみの)(かみ)    (神理百首)

((つく)(よみの)(かみ)は、(まこと)(ごころ)を持って祈る子孫を愛され、その親の反省と共に、(つみ)(はら)(とが)を許され、()(わか)(みや){神の国}に帰されるのです。神道の()(みの)(くに)は、行きっぱなしではありません。)

D誠とは (あめ)()します 諸々の

 神の()らせし その(あま)つこと(教えの百首)

(誠とは、天在諸神が教えて下さる人間が生きる道を指します。天つ事とは、神の言われた事、(すなわ)ち神の御意志なのです。)

E心さへ 誠なりせば 神は我が

 (こうべ)()()も 宿(やど)るなりけり(神徳百首)

(心を誠に保ってさえいれば、神は何時も自分の頭に宿り、生きてゆくのに正しい道を指し示して下さるのです。)

F心だに 誠ありなば 祈れ此の

 (おの)が思ひの (まま)になるべき (神歌百首)

(心にさえ誠を以て祈れば、神と心が通い合い、神(すなわ)ち自分の思いのままになるのです。)

G世の中の 人に誠は なかりけり

 我一人ぞと 思うばかりに (桃の一枝)

((こう)(せき)(つみ)(とが)全て自分一人で精算するものと思い込む人には、誠を伝えることも受けることも出来ません。良いことは分かち合い、

悪い事は分け持って頂くという、家族・社会・神祖と、世の中を広く見る心が大切です。)

 

・誠の()(うた)((しも)()に誠)

H目に見えぬ (あま)()(かみ)(わざ) 目に見せて

 人の誠の (みち)(しるべ)せむ(桃の一枝・三大教歌)

(例えば不幸を幸福へ転換させるように、神の徳を目に見せる事で、誠≠ェ神への近道の(みち)(しるべ)であることを伝えましょう。){次号も}

Iただ頼め 助け玉ふぞ 天に在す

 神は誠を (はし)(だて)にして   (神理百首)

(誠さえ(もっ)て一心に願えば、誠は私達の心が 天へ昇る(はし)()となって(あまつ)(かみ)(つな)がり届く ことで、必ず助けて戴けるのです。逆に願いが(かな)わないのは、まだまだ私達の心に誠が足りないからとも言えます。)

J我が心 離れし後の 心こそ

 人の誠の 心なりけり    (人道百首)

(例えば一神教の多くは、人は全知全能の神の(しも)()と考えますし、仏教は、人は修行により宇宙の真理を悟る存在と考えます。

 本教は、人は神の子孫と考えることから、神の命令に従うというより、神と心を合わせることにより、真の自由を得ると考えます。

 そこで、私達の心に()くう(じゃ)(ねん)というか(つみ){=包み隠す後ろめたい心}から解放されれば、本当の自由・誠の心となれるのです。)

K作りたる (注:)の教えは (注:くず)()てて

 神の誠や 世に栄ゆらむ  (桃の一枝)

(一時は栄えているようであっても、結局人が作った教えは、(くず)れて無くなってしまう。

 しかし(おとろ)えたようであっても、神の誠、即ち天が(つく)った教えは、最後は世に栄える。

『神理学入門』第35の『(たん)()(したた)るが(ごと)しと(いえども)(つい)()く天造の教え。白雪の積むが如しと雖も(たちま)()ゆ人造の教え』の通りです。)

:人の教え((じん)(ぞう))について=御教祖は『自然の信仰』を(てん)(ぞう)(きょう)と呼び、『人間の理性による信仰』を(じん)(ぞう)教と呼びます。筆者は『人類の (えい)(){それぞれの時代や先人によって発見、(あるい)は導かれた真理や悟り}の積み重ね』、(あるい)はその大系化された教えを天造とし、一人〜少数の 天才的な救世主、或は悟りを開いた人から始まる教えを人造と区別しています。

 人造教は天造教に根を持ちながらもこれを否定しますが、実際にこの二つは似て非なるものです。

:(くず)()について=天造教であろうと人造教であろうと腐敗がおき崩れるのは自然の理です。

 ただ日本の神道には『(はら)』という信仰の文化があります。是れによって崩れ果てる前に、腐敗部分を除き、常に新鮮さを保つことが出来てきました。これこそが日本に自然の信仰である『神道』が太く(のこ)った理由の一つの柱です。

L疑ひて 試せ迷ふな 我が神の

 道は誠の しるしあるなり  ((こと)(だま)百首)

(疑わしいものも、自分さえ誠を保って迷わず試す内に、真実の(しるし)が見えて来るのです。)