冒頭4.八徳の一番目の健康3をお伝えします。1.七罪2.祓の守りから、3.長呼吸法
4.八徳と、段々攻め(積極策)に転じています。
誠実2(教祖御歌)
・誠の御歌(上の句に誠)
誠≠ヘ教えの中心の言葉ですから、教祖の御歌を出来るだけ紹介します。
@ 誠もて 祈らばやがて 煩いも
悩みも失せて 打ち栄ゆべき(神徳百首)
(もし今、罪{煩い・悩み等}に覆われていても、神と心を合わせ、自分と周囲をより良くしようとする為の祈りをしましょう。それは誠の祈りであることから、必ず罪は取り祓われ、再び打ち栄えるのです。)と教えています。又、
A 誠もて 事をなしなば 偽は
この世の人に 捨てられやせむ(桃の一枝)
(誠という人本来の心持ちを皆が行えば、この世から嘘偽りは立ち消えになるでしょう。)
B誠もて 共につかえむ 今も世に
神は在すなり その神の前に (神理百首)
(誠の心を以て共に奉仕しましょう。そうすると神は神殿だけに居るのでなく、自分や周囲の人も又神ということに気付きます。)
C誠ある 子等を愛しと 黄泉に落ちし
親を許さむ 月読神 (神理百首)
(月読神は、誠意を持って祈る子孫を愛され、その親の反省と共に、罪を祓い咎を許され、日の若宮{神の国}に帰されるのです。神道の黄泉国は、行きっぱなしではありません。)
D誠とは 天に在します 諸々の
神の宣らせし その天つこと(教えの百首)
(誠とは、天在諸神が教えて下さる人間が生きる道を指します。天つ事とは、神の言われた事、即ち神の御意志なのです。)
E心さへ 誠なりせば 神は我が
頭に何時も 宿るなりけり(神徳百首)
(心を誠に保ってさえいれば、神は何時も自分の頭に宿り、生きてゆくのに正しい道を指し示して下さるのです。)
F心だに 誠ありなば 祈れ此の
己が思ひの 儘になるべき (神歌百首)
(心にさえ誠を以て祈れば、神と心が通い合い、神即ち自分の思いのままになるのです。)
G世の中の 人に誠は なかりけり
我一人ぞと 思うばかりに (桃の一枝)
(功績も罪咎も全て自分一人で精算するものと思い込む人には、誠を伝えることも受けることも出来ません。良いことは分かち合い、
悪い事は分け持って頂くという、家族・社会・神祖と、世の中を広く見る心が大切です。)
・誠の御歌(下の句に誠)
H目に見えぬ 天津神術 目に見せて
人の誠の 道標せむ(桃の一枝・三大教歌)
(例えば不幸を幸福へ転換させるように、神の徳を目に見せる事で、誠≠ェ神への近道の道標であることを伝えましょう。){次号も}
Iただ頼め 助け玉ふぞ 天に在す
神は誠を 梯立にして (神理百首)
(誠さえ以て一心に願えば、誠は私達の心が 天へ昇る梯子となって天神に繋がり届く ことで、必ず助けて戴けるのです。逆に願いが叶わないのは、まだまだ私達の心に誠が足りないからとも言えます。)
J我が心 離れし後の 心こそ
人の誠の 心なりけり (人道百首)
(例えば一神教の多くは、人は全知全能の神の下僕と考えますし、仏教は、人は修行により宇宙の真理を悟る存在と考えます。
本教は、人は神の子孫と考えることから、神の命令に従うというより、神と心を合わせることにより、真の自由を得ると考えます。
そこで、私達の心に巣くう邪念というか罪{=包み隠す後ろめたい心}から解放されれば、本当の自由・誠の心となれるのです。)
K作りたる 人の教えは 崩れ果てて
神の誠や 世に栄ゆらむ (桃の一枝)
(一時は栄えているようであっても、結局人が作った教えは、崩れて無くなってしまう。
しかし衰えたようであっても、神の誠、即ち天が造った教えは、最後は世に栄える。
『神理学入門』第35の『淡露の滴るが如しと雖も竟に敷く天造の教え。白雪の積むが如しと雖も忽ち消ゆ人造の教え』の通りです。)
注:人の教え(人造教)について=御教祖は『自然の信仰』を天造教と呼び、『人間の理性による信仰』を人造教と呼びます。筆者は『人類の 叡智{それぞれの時代や先人によって発見、或は導かれた真理や悟り}の積み重ね』、或はその大系化された教えを天造とし、一人〜少数の 天才的な救世主、或は悟りを開いた人から始まる教えを人造と区別しています。
人造教は天造教に根を持ちながらもこれを否定しますが、実際にこの二つは似て非なるものです。
注:崩れ果てについて=天造教であろうと人造教であろうと腐敗がおき崩れるのは自然の理です。
ただ日本の神道には『祓い』という信仰の文化があります。是れによって崩れ果てる前に、腐敗部分を除き、常に新鮮さを保つことが出来てきました。これこそが日本に自然の信仰である『神道』が太く遺った理由の一つの柱です。
L疑ひて 試せ迷ふな 我が神の
道は誠の しるしあるなり (言霊百首)
(疑わしいものも、自分さえ誠を保って迷わず試す内に、真実の徴が見えて来るのです。)