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                                                          2014−5

平成26年5月号  No.1203

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

八徳の@健康4とA誠実1
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。
2.自分や先祖の罪をう。3.神気を戴く(長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

 

 

 (ぼう)(とう)4.(はっ)(とく)の@健康4A誠実1をお伝えします。1.(しち)(ざい)2.(はらい)の守りから、3.(ちょう)()(きゅう)(ほう)

4.(はっ)(とく)と、段々攻め(積極策)に転じています。

 

(けん)(こう)

 

・人と動物の違い

 人と動物の違いについても、時折ここで()れることがありました。

 以前、(せん)()(まつ)をするか否かで分けましたが、世界を見回してみると、それを(れい)(さい)(ほう)()等で(しっか)りと行うのは日本人だけのようです。

 道具を使うか(いな)かや家族の死を(いた)むか(いな)か等、で分けていた時代もありましたが、近年それ等を行う動物も見つかりました。

 違いは、火を使うか否か位でしょうか。

 人と動物で、健康への意義の持ち方の違いを考えると、《目的があるか否か》と言えます。

 健康をただ運が良かった、というだけの僥倖(ぎょうこう)(とら)えるのは(いか)()なものでしょう?

 健康を頂いた意味にも目的にも考えを及ばせず、ラッキー(運が良い)!等と脳天気に思ってただ健康を(むさぼ)るのは、動物と一緒です。

 そうした健康は、又不運によって簡単に取り去られることも考えられます。

 

・健康を続ける為の心得

 先月、健康は当たり前で、それは神祖への当然の要求として願うべきものだ、と説きましたが、その意味は何でしょうか。

《健康となるべき目的がある》からです。

 健康になって世の為人の為に尽くすのだから、当然頂ける物として、その目的を含んで健康を願うべきです。

 こうした健康の意義は、先祖(まつり)の意義と同じで、健康な人程気が付かないようです。

 又、健康になってこの意義(すなわ)、目的や 感謝を忘れる人が多いのではないでしょうか。

 感謝の心が持てれば神前・社会に奉仕し、役立つ喜びを感じるのが、人間らしい生き方だと言えます。これが出来ないと、自分でも気付かない内に、運命の波に()さぶられるだけの、動物のような人生を送る事になるのです。

 本教は人類が積み重ねた叡智(えいち)(ものの)() (かんなぎ)()家の先祖と教祖が大成した、運命の波を整え穏やかな生活の為の自然の教えです。

 

 皆様には本教をよく確認得心されて、家族知り合いにこの(こころ)()(=人類の叡智)(でん)(どう)下されば、それが(すで)に社会奉仕になっています。

 (もち)(ろん)信仰心の有無も動物との違いながら、近年はそれが無いと言う人も増えています。

 ここでは踏み込みませんが、信仰から自由だと()()するのは、動物と一緒になったと 自慢するようなものだと筆者には感じます。

 ワイルド(野性的)の良さは否定しませんが、頭の中まで野生に戻ってはいけません。

 皆様にはこうした教えを伝える本教(=生活宗教)をよく学ばれ、(じょう)(こん)の信仰(=感謝・反省・神前奉仕)に進まれますようお伝えします。

 

(せい)(じつ)

・誠について

 (せい)(じつ)は教示録の(てい)()の中には無いものの、本教の八徳の一つとして伝えられています。

 他教に仏教の()(つくし)()やキリスト教の『(あい)』や(じゅ)(きょう)()(もい)(やり)といった、キャッチフレーズのようにその教えを象徴する言葉があります。

 本教は何かというと、『(まこと)』です。

 御教祖の(おくり)()(あま)()(みこと)(わり)(まこと)()(みち)(しる)()(つね)(ひこ)()(みこと)』にも『誠』の字が使われています。

 只、以前訂正しましたが、明()大神の星≠誠≠ノ変えた表示は間違いであることが確認されています。

 今後、徐々に修正されることになります。

 

 本教の標語とも言うべき(まこと)≠ヘ、真実という意味の(しん)(マコト)≠ノ通じます。(まこと)(ほん)(げん)(その言葉の持つ本来の意味)(あま)()(こと)で、神の言われた事、(すなわ)ち神の御意志です。

 真の自由・真の喜びの一つは、こうしたことに自然と気付くことです。本教の目的(万人の安心)は、こうした私たちの心と共通した神の心の方向性への気付きから始まります。

 人は()(しん)(あん)()()らわれ、恐怖や不信の感情に()り固まると、誠意を尽くしても反応しにくくなるものです。

 そこで()ず“()(せい)人を(つらぬ)きて神に(つう)ず”という信念を持って誠を尽すことです。

 信念を持って誠を尽すことが、不信に()り固まった相手にも必ず理解して頂ける、という心構えとなります。

 その心構えが、以前の誠意に比べ、より厚みをもって相手に伝わることになるのです。

 ()(だん)ながら、先ず自分次に相手の先祖の祓いをし、先祖から理解を得る方法もあります。

 誠=神であり、自分と相手とその先祖が身に(まと)う七罪を祓い落とすことです。

 先ず自分から行うのは、一見無防備となるようで一旦心細く感じても、これによって 相手に残っている(まこと)(ごころ)と同化出来るのです。

 もし罪汚れに(おお)われていても、誠という神と同質の存在が(おのずか)ら真実を求めて動こうとするものなのです。 つづく