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                                                          2014−4

平成26年4月号  No.1202

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

八徳の@健康3・奉仕の本質
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。
2.自分や先祖の罪をう。3.神気を戴く(長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

 

 (ぼう)(とう)4.(はっ)(とく)の一番目の健康3をお伝えします。1.(しち)(ざい)2.(はらい)の守りから、3.(ちょう)()(きゅう)(ほう)

4.(はっ)(とく)と、段々攻め(積極策)に転じています。

 

(けん)(こう)(続き3)

・病気災難は人生の節

 教書『(じん)(たい)(ほん)(げん)(こう)』の(くび)()の項に故瀬戸総監は、病気や障害や災難は竹に例えれば『(ふし)』である、と加えて教えておられます。

【…人も子から孫へ伸び栄えてゆく為には、時々伸びを止めて(あらた)まる。つまり(あやま)ちを修正して次の伸びに備える土台をつくらねばならない。この改まりが(びょう)(さい)である。

 しかし、この節になる病気も、それを節にし得るか、ある或いは単なる病の繰り返しにしてしまうか。全て受けた人の受け取り方にかかってくるのである。…】

 何の病気、又災難もないまま(てん)寿(じゅ)(まっと)うする人は、ほとんどいません。

 

『節』があって次の成長がある事を知れば、今自分に病災が(かか)っても、決して絶望するものではない(かみ)(ことわり)を教えているのです。

 人は皆先祖から受け継いだ原因等により、体や運勢に何らかの弱点を持っています。

 病災を『節』として反省し、大難が小難になったと感謝して受け止めましょう。そして、

いかに良い方に(てん)()して行くかと考え直し 工夫するのが、人生の(だい)()()でもあります。

 それは学業・仕事も同じで、例え(らく)(だい)()(せん)があっても命さえあれば、又やり直せます。

 

・健康の(しゅ)()((ゼロ)次予防)

 先々月から、1)神祖への感謝と共に心身の健康に留意し、常に健康であるよう目指す意欲の大切さを説きました。

 次に2)健康の為に行う【(いの)れ、(くす){(くす)}れ】の教えや、呼吸法等の教えも生かした、生活習慣改善のお話をしました。

 次に3)自身の健康と幸福の確保から、一層上質の喜びである神前・社会奉仕へ(つな)がるお話をしました。

 以前(H.15.9.)(ゼロ)次予防の話をしたことがあります。現代医学が病気の部位を治す(たい)(しょ)(りょう)(ほう)であることに対し、運動やサプリメント等で予防するのを2次予防とします。

 更に食生活や、家族生活を充実させ生活習慣を整えてストレスを減らす精神生活は、体

全体への1次予防となります。となれば、私達が目指す(じょう)(こん)(感謝・反省・奉仕)の信仰は、より広く心身を守る(ゼロ)次予防となります。

 次に4)人は神の子であり健康が当たり前と共に『()るを知る』心を(つちか)い、本教の生活に生かす教えや祭や神術をお伝えしました。

 最後に5)病気災難の受け止め方をお取り次ぎさせて頂きました。

 

・健康への()(こう)

 ()(しん)(ぽう)(ほん)(きょう)(たい)()(しゅ)()のように、私達は皆神の子ですから健康が当たり前で、自分の健康を以て自他の幸福を(はか)るべきです。

 大切な基本である心が安定し健康であれば、体も健康になるのです。反対に、体の障害を心の障害としないように心掛けましょう。

 私達は皆神の子ですから、自分を罪深いつまらない存在等と、間違っても思ってはいけません。自分の健康を以て世に役立てるのだから、遠慮無く神に健康を願いましょう。

 この自信と誇りを持つべきです。

 そうした気合いが自分だけでなく、周囲に(こう)(けん)出来、感謝されるという()(こう)の喜びを戴く事になります。

 神そのものである健康が、罪を祓い神祖の気を自他に通わすことになるのです。

 他の八徳と同じく、健康又健康への志向(=希望)自体が、幸福への道程(すい)(しん)(りょく)です。

 

奉仕の本質

 先ほど上げた奉仕について、思い違いの無いようにお話しします。

 私達宗教人は、(もち)(ろん)神前奉仕を第一とするものの、社会奉仕も低いものと考えません。

 後者は前者の(じっ)(せん)であり、本教で言う祈りに対しての神術のようなものです。

(いの)れ、(くす){(くす)}れ】とも同じく、困った事があってただ祈りに(とう)()するのではなく、祈りながらも(しっか)りと現実に対面するべきです。

 人によって個性や立場の違いがありますから、この二つは必ず両立出来ない場合もありますが、出来る部分を見付け行うべきです。

 そこで、宗教人は神前奉仕だけでよい等と、思い違わないようにしなければなりません。

 御教祖が一旦医業から離れ本教教義の大成に力を傾けたのは、それほど専念すべき大事業だと思われたのでしょう。

 しかし本教独立運動の際は、神事・布教・ 医事又、()()(こう)(かい)(はつ)も同時に行います。

 両立出来るかとの(きょう)(ない)心配を()()に、 門司への片道約10qの道のりを毎日のように漁民説得の為等に(かよ)われました。

 神前奉仕と社会奉仕は()(そく)()()(()かず(はな)れず)の丁度良い関係、車の両輪とも言えます。

 後に続く私達は、そうした先人の業績やその(しっ)(こう)の心得を学びつつ、出来る事を探す或いは協力する()(こう)(じっ)(こう)への意欲が(かん)(よう)です。