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2014−3
自然(おのずから)の道(みち) |
管長 巫部 祐彦 |
八徳の@健康2 |
幸福への道程は、1.七罪を犯さない。 2.自分や先祖の罪を祓う。3.神気を戴く (長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。 (古神道・神理教を“本教”と記します) 冒頭4.八徳の一番目の健康3をお伝えします。1.七罪2.祓の守りから、3.長呼吸法 4.八徳と、段々攻め(積極策)に転じています。 健康(続き2) ・健康が当たり前 『…当たり前』とは意外でしょうが、人は 本来自然そのものです。更に理解を進めれば、健康な心身を持つ人は、神そのものなのです。 時折触れることながら、第二次世界大戦後天皇陛下に人間宣言を強制しても、陛下も私達も神(の子)なのは変わりません。 本教では、人は神の分霊(わけみたま)であり、天皇家が人の本家と受け止めます。又、 人は木火土金水(もっかどごんすい)の五行 (ごぎょう)十柱の神に肉体をお造り戴き、 別天五柱の神に霊魂を賜ったと伝わります。 五体や精神の障碍、或いは他との能力差に多少の不満はあっても、毎日が滞りなく穏やかに過ごせれば、これも健康(=神)の内です。 ・健康でない理由 この心得の持ち方が、神かそれ以外かを分けるのです。日本人が昔から好んで使ってきた言葉に、『足るを知る』があります。 この一つの悟り・神髄を本教では、例えば 冒頭1.七罪の貪で教え諫めています。 しかし、五体の障碍に耐えきれぬ思いを持ち、五体が健全でも周囲の人との能力差の不満に身を焦がすのは、健康とは言えません。 又、災難に苦しんでいる状態も健康とは言えず、それ等には必ず原因がある筈です。 それを誠実・真摯な気持ちで探るべきで、 その心得・手法を伝えるのが本教の教えです。 更に、その原因を探り当て或いは推測すれば次に、神の理から解き解す道筋の教えや、加持祈祷の手法も伝えられています。 健康が当たり前の筈の私達は、何故時折、或いはいつも病気や災難で苦しい思いをするのでしょうか。その一つは先ず、自身の『足るを知らない』貪の心です。次に、 或いは加えて、先月お話した祖先から受け継がれるべき徳の少なさや先祖の苦しみにあると考えます。自身と先祖のどちらか、或いは両方です。そこでどうするかと次に進みます。 ・祓いの方法・道筋 細かい説明は別の機会に譲りますが、自分での祈願や祭官による祓いや、昨年春季大祭で行った御神宝等(かんだから)があります。 ここでお話させて頂きたいのは、御神宝の祈願の前に説明する禁厭(呪い)の趣旨です。 先ず、始めの『(人は)健康が当たり前…』を、本教大意(本教の主旨を最も短く伝える文)を引用して言葉でお伝えします。 祈願者には必ず直るとの希望を持って頂き、此方もせめて改善や『足るを知る』心地まで進んで頂く決意を込めて神事を行います。 そして、本人も祭官も、そうした前向きの姿勢で祓や祭や禁厭を行えば、気付けばいつも不可思議やお陰を戴いているものです。 又加えて先祖祭りも、出来れば神式で本院や教会や家庭の霊殿で行う事をお勧めします。 先祖の霊魂の安定・安心を得る為には私達生きている者が努力して幸せになる事です。 反対に私達が幸せを得る為には、徳を貯めつつ自分と祖先の罪を祓う事なのです。 この両方のきっかけの一つが、除災開運や病気平癒の祭りや禁厭等なのです。 ・神・祖先からのお知らせ これも時折御話することながら、決して、災難を受け病気や障碍を持つ事が悪なのではありません。 手足が使えず、五感(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる)の内の幾つかに障害がある人は数多くおられます。 しかし、その全てが絶望に沈んで浮かび上がれない人ばかりということはありません。 例えば目が見えなくても、見える人に感じられない感覚の世界を知り、見える人より心が安定している人もいます。 反対に、体に何の不自由もない人の方が精神的に安定してない場合を多く見ます。 病気・障碍・災難は、神・祖先からの幸福な人生を歩む為の祓や徳積み、即ち冒頭の幸福への道程を踏むようにと伝えるお知らせです。 日本人は(全人類も)、各宗教団体の歴史に比べ圧倒的に永い間、自然の信仰(敬神尊祖)を、祭りを通じて行って来ました。 もし今病気や災難で苦しんでいるのなら、それは間違えた心掛けを直し、本来の信仰に戻るよう教えて下さっていると受け止めます。 (続く) |