背景色が選べます!


                                                          2014−11

平成26年11月号  No.1209

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

八徳Cの施捨
  
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。2.自分や先祖の罪を祓う。3.神気を戴く(長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)
  

 (ぼう)(とう)4.(はっ)(とく)Cの()(しゃ)をお伝えします。

1.(しち)(ざい)2.(はらい)の守りから、3.(ちょう)()(きゅう)(ほう)4.(はっ)(とく)と、段々攻め(積極策)に転じています。
 

()(しゃ)

()(しゃ)(ほん)(しつ)

 ()(しゃ)()(しゃ)(ほう)(しゃ)(など)、似た言葉があります。

 具体的に、(さい)(がい)()(えん)(きん)(しゃ)()や社会奉仕 団体への寄付(など)を前者とし、(さい)(せん)(さい)()の (はつ)()(りょう)(など)を後者として比べて見ます。

 この二者は、一般に受け止め方が(ちが)うように感じます。(すなわ)ち、前者は()(しゃ)による(はらい)、  後者は(おが)(ちん)(さい)()への(おん)(れい)という感じです。

 しかし、実は後者も(おが)(ちん)(おん)(れい)は間違いで、後に述べるように、同じ(はらい)なのです。

 神は金品による(たい)()(など)は求めず、金品より上の価値を知り金品に(こだわ)らない(いさぎよ)さを、 神と同質の(せい)(めい)と喜び、受けられるのです。

 まあ、現実はどちらも運営費となりますが、元は共に(きよ)()()(こう)する心の(どう)()であり、同じ()(しゃ)という純粋な(はらい)の行動です。

 (きん)(ぴん)()()なく(=(ほどこ))()てる事は、  (みそぎ)(=()()ぐ)と同じ行為なのです。(すなわ)ち、 ()(ぶん)な欲や(しゃ)()の心を、金品の()(しゃ)や祈り・ (ろう)(えき)(八徳の一つ)等によって()(のぞ)くのです。

 ()(しゃ)(すが)(すが)しい(しん)(しん)となる事で(しん)()(つう)(まじ)わるという古来から伝わる手法なのです。

()(しゃ)の歴史

 神道は(あたか)(げん)()のように人類の叡智(えいち)を積み重ねた(てん)(ぞう)(きょう)で、1〜少数の天才が(つく)った(じん)(ぞう)(きょう)ではありません。

 1〜少数の天才では(げん)()(つく)れないように、宗教も多くの天才と年月による信仰の(えい)()の積み重ね以外に出来るものではないのです。

 ()(しゃ)という叡智が積み重なったのは、()()()(おの)(みこと)()()()るとされます。

 それは日本最古の書である古事記(712)や日本書紀(720)に記されています。

 (かん)(りゃく)()れると、()()()(おの)(みこと)は本教の(てん)(ざい)(しょ)(じん)((しゅ)(さい)(じん))の最後(18柱目)(あま)(てらす)(すめ)(おお)(かみ)弟にあたります。

 父()()()(ぎの)(みこと)(うな)(ばら)を治めるように命じられたことに不満を持ち、父の不快を買いながらも、母()()()(みの)(みこと)の元に行こうとします。

 その前に、姉(あま)(てらす)(すめ)(おお)(かみ)(あい)(さつ)に行く時の様子が余りにも荒々しいことから姉に疑われますが、(うけ)()により(いっ)(たん)は晴れます。

 

:(うけ)()=互いの持ち物(姉の(たま)と弟の(つるぎ))から 神を生み合い、(つるぎ)から三柱の女神、(たま)から五柱の男神が生れた。

 しかし、(まん)(しん)(七罪の一つ)した弟神は天上で(あば)れたあげく、姉神の(あめ)()(いわ)()(がく)れの事件の後、その罪を問われることとなります。

 そこで『()(くら)(おき)()(おほ)せ(多くの台に置き並べる(ほど)の、沢山の(あがない)(もの))』という財産刑と共に(ひげ)(つめ)()かれるという体刑を受けます。

 この()()元として、当時の知識人達は、刑として取り上げられる前に(あがない)(もの)をする事で(はらい)(予防にも)なる、と考えたようです。

 罪を犯さない為に先に金品を差し出す・ 自分から金品を差し出す事で罪が祓われる、という教えが古代から伝わったのです。それが今の日本に広まったのだと考えられます。

()(しゃ)=(はらい)の効用

 ()()()(おの)(みこと)(めい)()(かい)(ふく)と共に、この()()からのもう一つの教えを(しる)します。その後、

 私達の住む地上に降りられた(みこと)は、(いず)(もの)(くに)()()(がわ)(じょう)(りゅう)で、(あら)(ぶる)(かみ)である()(またの)(おろ)() 退(たい)()するという有名な(こう)(せき)をあげられます。

 又、その戦いで得た(くさ)(なぎの)(つるぎ)(あま)(てらす)(すめ)(おお)(かみ)(けん)(じょう)し、自身は(くし)()()()()(せい)(こん)し、子孫も得て幸せに暮らされるのです。ここでの教えは、神も人も、もし(つみ)(おか)しても、反省と  共にその(つみ)(はら)()(しゃ)の手法があることです。

 それが出来れば又、こうして世の(ため)に役立ち、神とも(あが)められるようになるという(ぎゃっ)(きょう)(こく)(ふく)希望が現代に教え伝えられるのです。

 

 (とき)(おり)お伝えする事ながら、他教の(げん)(ざい)や (ごう)と違い、神道の(つみ)(はら)われないものはなく、反省と(はらい)により、必ず救われるのです。

・神に(=世の(ため)人の為)役立つ

 御教祖は御歌に、

世のために (たから)すつるは (あま)()(そら)

 (くら)を建てると かはらざりけり(教歌百首)

(世の為に宝を捨てる{=自分の持つ能力や 財産を活かし使う}事の大切さに気付き、  実行しなさい。目に見えなくとも、徳という素晴らしい財産を()める事になる)と教えています。(たから)を捨てると言うと、すぐに宗教 団体等への寄付というパターン?を思い浮かべてしまうものです。しかし、それは他の  多くの教団に(どく)された(さび)しい発想と言えます。

 宝を捨てるとは金品だけに()らわれず、 自分の持つ能力を使うことでもあります。

 罪を犯して財産を(あがな)うようにならない 為にも、自分から世の為人の為に宝を役立てるという、積極的な意思が必要です。

 自分の持つ能力や財産を、どうしたら世の為人の為に役立てられるかという見地から、まず自分で考えること、が大切なのです。

 これが出来るように心を成長させることが、(あま)()(みそら)(くら)()てる』(=自分の安心と子孫の(ため)に徳を積む)ということになります。

 この場合の宗教の役割は、そうした心を、正しい方向に効果的に導く為にあるのです。