背景色が選べます!


                                                          2014−10

平成26年10月号  No.1208

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

八徳3の陰徳A・陰徳の境地への歩み方
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。2.自分や先祖の罪を祓う。3.神気を戴く(長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

 

 (ぼう)(とう)4.(はっ)(とく)Bの陰徳2をお伝えします。

1.(しち)(ざい)2.(はらい)の守りから、3.(ちょう)()(きゅう)(ほう)4.(はっ)(とく)と、段々攻め(積極策)に転じています。

 

(いん)(とく)

・神と人の(ほん)(せい)-役立つ喜び

 今月は(いん)(とく)(きょう)()(たっ)する道を、共に(さぐ)りましょう。その道を見出す手法が、生活宗教である(おのず)(から)の道*{教にあるのです。

 その基本@は、神の心を知る事です。

 私達は神の子孫で有る(ゆえ)に、神と私達  ((わけ)(みたま))の心は同質です。従って神の心は、自分本来の()(なお)な心を見直せば(おのず)(から)知ることが出来ます。メーテルリンクの童話青い鳥≠ノ、実は幸せは我が家にあったという(とう)(だい)(もと)(くら)≠ナもあります。

 基本Aは、その神の心の一部に進みます。

 神道の()(じょう)の喜びとは、人や世に役立つ 楽しみと、それを他人に感謝される(ほこ)りです。

 他人とは、自分の親や先祖であり・子や子孫を含む家族であり、仕事の上司や同僚や部下を含む社会です。

 感謝とは、(ほう)(しゅう)(ともな)はなくても・目に見えない形でも、それが(しょう)(さん)(けい)()(まと)と、本人が自覚・納得出来るだけでも良いのです。

 (まさ)に、(いん)(とく)の基本です。その喜びは経済学等で教えられる自己実現(夢の実現)より上です。

 役立ちと他人に認められる喜びを求める心は、(ちつ)(じょ)(せい)()(かん)()(しゅ)(せい)(いの)等と並ぶ神・人間共通の本性、良心・道徳の元、(すなわ)神の心です。

 家族に()いては子や孫を守り・(あるい)可愛がり、その喜びと感謝を見て幸福を味わいます。

 社会に於いても懸命に働き・(あるい)は智恵を出して(こう)(けん)し、『あなたのお陰で発展があった』と言われ思われる事が、喜びと共に生きる(あかし)でもあります。それは、もし()(ゆう)(()(きょ))した後も子孫や教会・教団の守り神となり、(あるい)は自分の属した社会を見守る喜びとなるのです。

 祖先・先達としてその子孫・社会を見守り、心を支え善導を行う事で、子孫や社会の繁栄を見、その感謝を()(じょう)の喜びとします。

・神の心を知る()(けつ)(陰徳の(ちゅう)(よう))

 この神の心を、『(かげ)()めよ』という教えは、受け取り方によっては混乱を招きます。

 しかし、そこに神の心を知る()(けつ)とも言うべきものがあるのです。

 (ちゅう)(よう)とは、ここでは『どちらにも(かたよ)らず(ほど)よい所』という位の意味です。

 (じゅ)(きょう)が生まれた()()(中華人民共和国)(など)では、表向きは節制を大切にし、この言葉をよく使っていた時代があったようです。

 支那の映画で、「私、陰徳を積んでいたから、こんな幸運が訪れたのかしら。」と喜ぶ場面を何回か見ました。陰徳を積むと得となる、という悟りの一つです。

 先に差し上げる事で頂く事になるという、少し高度な言葉・心掛けで、陰徳を人生の  ()(ゆう)(しょう)()のように使う人もいます。

 囲碁を一般に『地取り・殺し合い』と見る向きもありながら、本質は『地を差し上げて頂く・生かして生きる』効率の競争と聞きます。

 陰徳は囲碁の心得と似ています。

 人に()()らずに社会に役立つ事や人の喜ぶ事をするのは、大変に良い事ですが(そん)をする心配もあり、その(ちゅう)(よう)(ため)(こころ)()が必要です。

(ちゅう)(よう)への(どう)(てい)(御教語66)

 御教祖は『御教語』の第六十六節に、

『何でも世の中の事は、(じゅう)()(ぶん)働いて(はち)()で納得するのが(かん)(よう)である。』と教えられます。

(私たちは十働いたら十の(ほう)(しゅう)(もら)うのは当然としても、八しか働かずに十二の報酬を要求し、又得ている事があります。

 自分の甘えにも気が付かない心持ちになる事があるのです。御教祖は、例えば上司から十の仕事を()されたら、自分で考え工夫して十二分に働く気持ちを大切にされています。

 そして、例えその報酬が八であっても不満を持たず有り難く受け取りなさい。)

と教えています。その十二引く八の四が、  (あま)()(みそら)に積む徳であると思う事が出来れば、不足不平で心を乱し、体を(こわ)すような事にはならないのです。ここでいう(いん)(とく)はその差し引きの四分という事になります。

(よう)(とく)

 先月号で【(てがら)(ほこ)ればその口の下に消ゆ】をお取り次ぎしましたが、(ほこ)るのではなく (よう)(とく)という考え方もあります。

 十二分の中の四分は陰徳ですが、その倍を占める八分は(よう)(とく)(とら)えるのです。

 四対八という()(りつ)は、()(まん)も大切ながら喜びや楽しみはその倍も大切なのだ、と御教祖に教えられている一つの(ちゅう)(よう)です。

 他人にではなく、自分の誇りとするのです。

 又、陽徳として、沢山の人に見られ認めて頂く事で、自分と周囲の人へ良い方向への 見本や刺激となる役割を果たさせて頂いている、と考えるのです。この(よう)に、自分なりの(ちゅう)(よう)を見付けるのは、(いか)()でしょうか。

(いん)(とく)のまとめ

 陰徳は素晴らしいものであるものの、それが全てではなく、陽徳との(ちゅう)(よう)が必要です。

 陰徳は、人に誇らずその感謝や報酬を期待せずに良い事を行ない、(けん)(きょ)さを(みが)き自分を社会に役立てる、奉仕の基本です。

 素直さを(もと)とし、他の徳と(あわ)(おこな)えば、 期待せずとも気が付けば、必ずご自分・家庭・社会にとっての大きな徳・得となるのです。