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                                                          2013−9

平成25年9月号  No.1195

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

七罪の補足、詐(嘘)=うそ2
  
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。
2.自分や先祖の罪を祓う。3.神気を戴く (長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

1.(しち)(ざい)の二番目、(いつわり)((いつわり))の補足をします。

後ろめたい(恥ずかしい)思い出

 太宰治の小説『斜陽』に主人公の母親が、食事中「あっ!」と声を出す(びょう)(しゃ)があります。

 取り返しのつかない又、言い訳が出来ない思い出が(のど)をついて、思わず「あっ!」等と出る事は、多くの皆様も体験のことでしょう。

 先月から更に二十数年(さかのぼ)る五十数年前、筆者にも人生最初のその思い出があります。

 本院のある徳力は、当時周囲が田園の田舎でしたから、日用雑貨から食料品は正門斜め前の“(なか)(むら)((みせ))”にしかありませんでした。

 間口が約三間(5.4)奥行き二間(3.6)の、現代のコンビニを更に小さくした感じです。

 店には斜めにして中身を取りやすくした、大きなガラスの()()(びん)が十ほど並んでいます。

 近隣の子ども達は、皆それを目当てに母の買い物に付いて行くのです。

 或る日(3才位だと思います)、母は中村店の()()さんと話しに夢中になっています。

 ふと見ると、()れの付いた小さなお()()が一つ、ガラス瓶の(かたわ)らに落ちています。

 筆者は迷ったあげく忍び足で近づき、小さな手にお()きを握りしめたのでした。その時の胸のドキドキ感は今でも覚えています。

 やがて話し終えた母親が私の所に来た時、筆者の()(しん)(きょ)(どう)に気が付きます。

「どうしたの?」そして「手に何を持っているの?」。筆者は「ううん(何も持ってない)」と応えるのですが、聞いては(もら)えません。

「手を開きなさい」…、でそこには握りしめられて()れと手汗でベトベトになったお()きが出てくる訳です。母が、

「まあ!嫌だこの子、それは(どろ)(ぼう)よ!」と言いますから、恥ずかしい事この上ありません。

 それに気付いた中村店の()()さんの、

「欲しかったら上げるのに…」等という(やさ)しい言葉にも、返って小さな筆者の自尊心は傷つき、穴があったら入りたいくらいです。

 筆者にはこんな思い出が沢山あるものです

から、それらが突然に思い出された時に、「あっ」とか「ギャッ」等という言葉になって人前でも発せられる事があります。

 手の大きさが三倍くらいにもなった今でも、小さな手にやっと隠れるくらいのお()きの(かた)さもベトベト感も、今でも覚えています。

 筆者にとっては人生初めての(いつわり)だったのかも知れませんが、今皆様に(こく)(はく)(八徳)させて戴く事で、(じゃっ)(かん)(はらい)になったでしょうか。

(うそ)への対処

 (いつわり)は、自分は勿論、他人を(かば)う時にも基本的に使うべきではありません。

 私達は例えば職場では仕事の進み具合や同僚との関係を、嘘をついてでもうやむやにする事があります。

 学校でも宿題をしたかや(いじ)め等で、(めん)(どう)(くさ)かったり怖かったりで嘘をつく事があります。

 是等が見過ごされ習慣になっては自分の心も(ゆが)み、家族や職場も()(へい)してしまいます。

 筆者は今思えば、泥棒を母に見つけられ、人前で恥をかいて良かったのだと思います。

 三月の終わりに境内に二羽いた(あい)(がも)が相次いで()(しん)()()で死にました。二羽目の時、子ども達が逃げて行く姿が目撃されました。

 遺留品から小学生が三人判明したのですが、筆者はこの石を投げつけた子達の為にも、捕まえられて良かったと思いました。

 悪事を心に包み隠した(=)ままに成長させたくなかったからです。三人は二つの小学校からの寄せ集めでしたが、一つの校長の対応が良く、上手に反省を促していました。

 一人は自主的に清掃奉仕に来ていましたから、それなりの効果があったと思われます。

 そこで私達も、周囲の嘘をつく職場の人や家族に、その非を伝える勇気を持つべきです。

 先月も述べた(あら)(みたま)≠フ働きは、こうした正義感を発揮する時に役立てるものです。

 勇気を()()して嘘や(あい)(まい)さを(けず)ることで、清明で活力ある職場や家庭を(きず)きましょう。

 同時に“嘘はつかない・つかせない”ということを心に強く(とど)めおくべきです。

救いの嘘

 七罪と言っても神の造られたものですから、それなりの意味もあると考えます。(うそ)()まってはならない物の、使い道もあるのです。

 例えば、悪人から(かば)う緊急時や病気の宣告の度合い等、真に人を守る為の嘘は有用です。

 しかし“(うそ)(ほう)便(べん)”等と言って“嘘をつく為の言い訳”を考えるのは本末転倒ですから、自身を見直す注意が常に必要です。

 無用か有用かの(いつわり)を使い分ける為には、七罪の(ことわり)を学び知り、比較しながら自分の(まこと)(ごころ)で判断する事が大切です。