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                                                          2013−8

平成25年8月号  No.1194

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

七罪の補足、詐(嘘)=うそ1
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。2.自分や先祖の罪をう。3.神気を戴く (長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

1.(しち)(ざい)の二番目、(いつわり)((いつわり))の補足をします。

ほろ苦い思い出

 今から三十年も前、筆者は境内の神理幼稚園に仕事の重点を置いていました。

 或る日、市内の幼稚園の今は故人となった園長の奥様から電話がありました。

「○月○日の幼稚園研修会では、主人がお世話になりました。」と半月も前の御礼を言われるのです。筆者は(あわ)てて手帳を(めく)り、

「えっ?、確かその日は出席していませんが…」と応え、一瞬の間が空いた後、

「ああ、そうですか…、失礼しました」と話を()じるのを『嗚呼(ああ)チョット!』と言う間も在ればこそ、電話は切られてしまいました。

 筆者は研究や経営で、この園長に大変お世話になっていました。一年ほど()った会議の後の懇親会の折りにそれを思い出し、

「そう言えば昨年、先生の(おくさん)から電話で、研修会で一緒になったかと聞かれましたが、そんな会は無かったですよね」と話した所、

「この馬鹿野郎!お前があんな事言うけ(言うから)、俺は(かあちゃん)(おお)()めやったんぞ(揉めたよ)」と言うのでした。言葉は北九州弁で上品ではありませんが、笑いながらの話です。

 どうも奥様に言えない浮気か何かを、筆者に会ったと誤魔化していたようです。

 この()()りを聞いていた周囲も、事情を知っていたのか大笑いで、何人もが故園長に、

「カンちゃん(筆者)にそんな事を振るのが間違いよ。俺が一緒と言っとったら(言ったなら)()()く言い訳してやるのに」と言うと、

「バ〜カ、お(まえ)(だち)の名前を出したら、(かあちゃん)に信じて(もら)えんやろ(貰えないだろう)」と言っています。当時の園長や若手の会では、全てを含んで言い(つくろ)ってあげる、というのが常識のようでした。筆者は(今も)世間知らずで(かん)も悪いし、馬鹿正直な所もありました。

 この一件が市内の他の悪ガキ園長連にも知れ渡ったのか、お陰でその後浮気隠しに筆者を使うような話は一度もありませんでした。

 筆者はその時、『せめて前もって電話があるかもと教えてくれれば…』と言ったか思っただけか、今となっては思い出せません。

 しかし昨日の事も忘れてしまうのに、この話はずっと心に(わだかま)っていました。

使って良い(うそ)

 もし、前もって聞いていたら故園長の妻に、『はい、研修の後、一緒にお酒を飲みました』等と言えただろうか、ということです。こうした嘘は良い嘘と言えるのでしょうか?

 本教では嘘は(しち)(ざい)の二番目ですが、(うそ)()いて良い場合があるのでしょうか?

(うそ)(ほう)便(べん)』という言葉もありますが、本教には基本的に良い嘘はありません。

 それでも気が付けば嘘をついていた、ということがあります。その多くは、この時のように人を(かば)う為に使われます。

 人は神の子ですから、困った人は救おうとする本能があるのです。しかし家族の心を痛めない為にという()(くつ)を積まれ、真面目に過ぎると(うと)んじられても、こうした嘘は(つみ)です。

『ご主人か私の記憶違いか分かりませんが、ご心配事ですか?』と話を聞くべきでしょう。

 これは勤務状態や休みの理由等の場合も同じです。(かば)うことを仁義と思い違い、その結果組織だけでなく、庇った人も自分をも信頼を失うことになります。

 長所を言い添えながらも、事実は正直(八徳)に話すべきです。(いじ)め事件等を隠す為に“チクリ(()げ口)()(きょう)”と、加えて二重の(おど)しを掛け嘘を強要する手法があるようです。

“チクリは()(きょう)”と言う方が、これを最も恐れる本人の心を隠すことで、卑怯なのです。

“人が良い(優しい)と言われる人はいい加減で、“人が悪い(冷たい)”と言われる人は責任感が強いと評価される事が多いようです。

 当然、優しいことは冷たいよりは良いものの、本末・善悪は(わきま)えるべきです。

 優しさは人の持つ“(にぎ)(みたま)”の働きで(あら)(ぶる)心を(なご)める力を持ちますが、(これ)ばかりが働くと悪事でも(ゆる)す人になります。周囲からお(つむ)(ゆる)いと思われ、(けい)()されることもあります。

 冷静さは人の持つ“(くし)(みたま)”の働きで機敏な判断力を持ちますが、(これ)ばかりが働くと目先の損得に目が行きます。結果的に他人を(だま)し、周囲の不信を招くこともあります。

 従って私達は、怒り・悲しみながらも、勇気・積極性を持つ“(あら)(みたま)”を含む三魂の調和を“(さき)(みたま)”に受け持たせます。

 更にその四魂の調和と祓いを、本教の主祭神である天在諸神に祈るのです。

 現実から逃げるような嘘ではなく、その対処を前向きに行う心構えが大切です。(続く)