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                                                          2013−7

平成25年7月号  No.1193

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

祓い6.(他教との比較・まとめ)
 幸福への道程は、1.七罪を犯さない。
2.自分や先祖の罪をう。3.神気を戴く (長呼吸法)。4.八徳を積む。心掛けです。
   (古神道・神理教を“本教”と記します)

 冒頭2.(はらい)をまとめられればと思います。

死後観の比較

 先月、『神・祖先・親と私達の目的・関係は、実は互いを含む全ての幸せ(=()の世界の実現)・真の自由である。』

*神の世界の実現=一般に安心・充実・幸福、 本教では(れい)(こん)(()(こん))(あん)(てい)した社会の実現。

 又、福岡伸一氏の説から、『それは、多分DNA(()(でん)())と私達との関係・目的も同じではないか。』というお話しをしました。

 同氏の“人(生物)は一年もすると分子レベルでは全て入れ替わっている”は、仏教と神道の死後観の比較に使えます。仏教の“(ろく)(どう)(りん)()して()(だつ)を目指す”と、神道の“祖先となって子孫を守る”の考え方の比較です。

 物質(=分子)は変化し、色んな生き物に(てん)(せい)するのは“(ろく)(どう)(りん)()”に当たります。又、物質は変化しても(れい)(こん)(=精神)は不変不滅だからこそ自分の子孫を見守るのは“祖先となる”に当たります。ただ、筆者は(ろく)(どう)(りん)()の思想は、物質と霊魂を混同しのだと考えます。

 仏教の死後観は、一般に(りん)()(てん)(せい)し、()(だつ)を目指して他の生き物に生まれ変わる、或いは(ごく)(らく)(じょう)()か地獄へ行く説のようです。

 キリスト教は、天国か地獄・(れん)(ごく)に行き、最後の審判を待つと考えるようです。

 古神道の本教は、大元の神の国である()(わか)(みや)((たか)(まの)(はら)(あま)()(みくに))か、(つみ)(とが)を祓う()()か、迷いの(木石水土等に())世界の三つです。

 本教は、()(ゆう)すれば(死後は)先祖として自分の子孫を守ろうとするものの、日の若宮からしか守ることは出来ないと伝えます。

他教との(そう)()点と(そう)()(てん)(生まれ変わり)

 他教との相似点として、(ろく)(どう)(りん)()も最後の審判も、神道の祓いの目的と似ています。

 (そう)()(てん)は他教の例えば地獄へ行きっぱなしに対して、本教の祓えば救われる点です。

 エジプトの古代宗教もオシリスと言う、仏教の閻魔(えんま)・神道の(おお)(くに)(ぬしの)(みこと)のような神がいて天国と地獄・罪の重さを別けるようです。

 キリスト教も最後の審判がそれに当たるのかも知れません。

 ところで、どの教えにも天国と地獄があるのですが、元は何だったのでしょうか。

 それは古神道、即ち(けい)(しん)(そん)()の自然の信仰だと筆者は推測します。この(てん)(ぞう)の教えも停滞期にその道理が忘れられた時、(じん)(ぞう)の教えがこれを真似たのだと考えます。その時、(じん)(ぞう)(きょう)は皆、形だけ残った天国と地獄の教えを(かん)(ゆう)(おど)しに利用したのではと思われます。

 エジプトの宗教は、オシリスを(あざむ)く方法を記した死者の書で多額の金銭と共に信者を増やしたようです。

 キリスト教は、犯したかどうかも分からない(げん)(ざい)を、キリストが替わりに背負ってくれるから入教すべきだとのことのようです。

 仏教は生まれ持った(ごう)、というキリスト教と似たような物を創りだして信仰を(うなが)します。

 人は弱いもので、(れい)(ぞく)(うなが)す教えの雰囲気にもろくも降参したのだと思われます。

 本教では、もし迷いの世界で苦しんでいても、教えを守る子孫の祓いと本人の反省により、まず()()に行き罪を祓います。そこで(げっ)(かい)(()())の神は罪を許して(にっ)(かい)((わか)(みや))に送り(かえ)して戴くと、(うじ)(がみ)となって子孫を守る喜びを得られるのです。神道は他教と違い、現世で祓えない罪はなく、自由・自発の教えです。

 本教には『生まれ変わりは他人や動物になるのではなく、心を入れ替える(教語99)』の教えがあります。それは祓いにも通じます。

 生まれ変わっては子孫を見守る楽しみを得られず、先祖(まつ)りも有り得ません。

罪を憎んで人を憎まず

 この言葉は実に“言い得て(みょう)”です。

 先月号最後の見出し〈祓いは自由への道〉に記した上下・同僚との(あつ)(れき)と解消と同じで、視点を変えることで心の自由が得られます。

 軋轢からの憎しみは見間違えて人を憎んでしまうことから罪となります。自分と相手の罪に視点を変えて、自分と共に相手の罪の祓いを祈りましょう。そこで憎しみ・(うら)みに心身の健康を損ねることからも、互いに傷付けあう事からも開放されるのです。

まとめ

 6回に及び祓いを論じましたが、振り返って祓う対象は人と人に関わる全てで、罪は冒頭1.(しち)(ざい)に集約されます。

 (つみ)は包み隠す(さま)(ざま)な要因からの原因で、(けが)(きたな)いではなく神祖からの徳が枯れ生きる力を(うしな)うという結果です。

 先ず(はら)いを行ってから御神徳を戴く、という神道の最大の(しん)(ずい)・悟りの一つ、日本人の信仰の文化を大切に、伴に幸福に(まい)(しん)しましょう。