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2012−4
自然(おのずから)の道(みち) |
管長 巫部 祐彦 |
七罪のB 貪 |
幸福への道程は、1.七罪を犯さないよう心掛け、2.自分や先祖の犯した罪を祓い、3.長呼吸法で神気を戴き、4.八徳を積む、です。 2月から七罪の解説をさせて頂いています。 善と悪の捉え方 ・心の準備 私達は一旦迷い込むと、善がどうして正しいのか、悪がどうして邪魔で妨げになるものかも、得てして分からなくなるものです。 その迷いの本言は魔・呼びで、一層心を暗く濁らせ、悪いものを呼び寄せてしまいます。 即ち、不安から精神が乱れ、判断を誤らせ、自暴自爆の気持ち等を呼び寄せます。そのような時の為に、まず善と悪の本質を確かめ、心の準備をしておくことが大切です。 『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』の金言もあり、本教の教えから知る必要性・本質・祓い方、を学ぶことが出来ます。 善と悪について、前もって双方を比較しながら整理して考えておくと、それぞれの本質が掴めて理解に役立ち心の準備となるのです。 ・七罪の本質・悪 そこで、冒頭1.の七罪の本質である悪を、善と比較しながらお話しします。 善の本言(その言葉が持つ本来の意味)は、汚れ・去りで、心から汚れ(罪)が去った、明るく晴れ晴れと快い状態を言います。 善は仁・義・忠・孝という正しい行動の結実であり、清・明・正・直という神の意志への肯定をその原因とします。御教祖の御歌に、 仁と義と 忠と孝てふ 其の四つの 非ざるという 文字ぞ罪なる (内伝百首) と、罪≠フ字を四≠ニ非≠ノ字源を分解して説明しています。 悪の本言は、明かり・去りで、心から神の明かり(徳)が去った、暗く重苦しい状態です。 悪は罪・穢・過・災という誤った行動の結実であり、濁・暗・邪・曲という神の意志への背反をその原因とします。御教祖の御歌に、 怠りて 偽り憂い 憤り 高慢怨み 貪るも罪 (人道百首) と、罪を具体的に列挙しています。 貪の心 ・欲の是非 宗教は一般に、快楽と禁欲・楽観と悲観・性善と性悪・自力と他力・多神と一神等、どちらかに大まかに分類されています。文明の進んだ地域の宗教ほど後者の比重が大きいようですが、本教は全てどちらにも偏らない教えです。欲は、呼吸・食・排泄・睡眠・性・物・名誉・闘争・逃避欲と数えれば切りがありませんが、是等は全て繁栄の為に欠かせない欲と言えます。こうした欲の全てを肯定する本教は、何か怪しく思われるでしょうが、是等の一つでも欠ければ、人類の繁栄はありません。 最初の四つは生命維持に不可欠で、性欲は人類の永続に欠かせません。物・名誉欲は、最近日本の子どもに偉くなりたい人が減り、ゆったり過ごしたい人が圧倒的に増えたと危機感と共に伝えられています。闘争・逃避欲も生き抜く為の能力です。欲は神に戴いた自然な感情で、決して醜いものではないのです。 折角神に与えられた大切な感情ですから、劣情・煩悩%凾ニ自他を恥じ蔑み、忌み嫌うことはありません。これらは全て目的と必要があって、神から与えられたものです。 この考え方については他の教えと一線を画しています。 ・欲が悪さをする部分 しかし、本教が快楽派一辺倒と言う訳ではありません。欲の何処が悪いのでしょうか。 そこで冒頭1.の七罪の一つ貪が挙げられるのです。御教祖の御歌に、 我がものと 思えばやがて 散りうせぬ 神に賜る 物にあらねば があります。 神に賜る≠ナ、楽しみの本言は賜り・主であることから、神は人に生きる楽しみを与えたいという意志をお持ちであると言えます。 しかし、『神に賜ったものでない欲は、もしそれを得る事が出来ても長続きせず、すぐに消え失せてしまう』と教えているのです。 神に賜ったものでない欲≠ニは、無理をして満たした欲や、目的と必要以上に得ようとする欲の為の欲、貪です。酒や煙草等の嗜好品やギャンブル等の依存症もそうで、欲に貪りが加わる事で罪となるのです。 又、殺人や破壊欲も七罪の憤や怨の貪であり、神に賜った物ではありません。 ・貪の祓い方・陰徳 そこで本教には冒頭4.の内の一つ“陰徳”の教えがあります。自分の幸福は周囲の人の幸福と共にあると気付くべきです。さりげなく周囲を支える陰徳は執着を薄れさせ、貪から自らを救い出す手立ての一つです。 |